近江の国の石山寺 場所;滋賀県 年月日;H29.3.20
テーマ;梅と桜の共演
春の気分に誘われて、近江・摂津・河内へ3泊4日で出かけました。目的は、古寺と縄文・古墳時代の遺物の博物館めぐりなのですが、この季節には東京23区内ではめったに見られない梅と桜の共演が見られるかもしれない、との期待があった。
それは、現役時代に経験した関越自動車道の横川SAの梅と桜の共演だった。妙義山を裏から眺められるこのサービスエリアは、お気に入りの一つで毎回小休憩をすることにしていた。東京では梅は1か月も前に散ってしまい、桜の季節も終わりかけているときに、梅と桜の共演が見られるのは嬉しい。
旅の第1の訪問地に「石山寺」を選んだ。3月20日は「梅まつり」の最終日で、「紫式部像 三筆同時公開特別展」の表示もあった。石山寺のホームページは、次の紹介文がある。
『紫式部が参籠して『源氏物語』を書きはじめたという石山寺。各時代にわたり、石山寺に『源氏物語』起筆の跡を訪ねて、その心寄せを歌や文章にとどめた人々が絶えることはありませんでした。 このような『源氏物語』にちなんだ作品は石山寺に収蔵され、その一部を石山寺の宝物とともに、毎年春と秋に開催される「石山寺と紫式部」展でご紹介しています。 石山寺と『源氏物語』が紡ぎ出した歴史と文化をお楽しみください。』
HPの「歴史と文化」では、
『さざなみが煌めく琵琶の湖水が、やがて穏やかな流れとなる瀬田川、石山寺はその西岸の伽藍山の麓の景勝地にあります。その創立は、東大寺大仏造立のための黄金の不足を愁えた聖武天皇が、ここに伽藍を建てて如意輪法を修すようにとの夢告を受け、良弁僧正を開基として開かれた寺院です。また、本尊の秘仏如意輪観音像は、安産、厄除け、縁結び、福徳などに霊験あらたかな仏さまとして信仰を集めています。
石山寺は奈良時代から観音の霊地とされ、平安時代になって観音信仰が盛んになると、朝廷や摂関貴族と結びついて高い地位を占めるとともに、多くの庶民の崇敬をも集めました。その後も、源頼朝、足利尊氏、淀殿などの後援を受けるとともに、西国三十三所観音 霊場として著名となり、今日まで参詣者が絶えません。』とある。
東京人には意外なのだが、京都駅からJRと京阪電車を乗り継げば、25分で瀬田川の川岸の石山寺駅に到着する。
駅から、川沿いに10分ほど歩くと山門がある。そこからかなり長い参道になる。
入るとすぐに、「特別公開」の看板があり、先ずはそこを見学した。勿論、撮影禁止なのだが、3筆は、看板で確認できる。
ちなみに、この中の中央の絵が、なぜ源氏物語の発想の場面と考えられているかは、宿泊したホテルに置いあった書物序文から知ることができた。
ここで、「水相観」というのは、水が熱せられると水蒸気になる。また温度が下がると水に戻り、更に温度が下がると氷になるというように無常、常に変化するという意味のようだ。式部の机の下に壺があり、そこから水蒸気のようなものが立ち上り、ゆらゆらと流れているのだが、それは実物の絵を肉眼でよく見ないと分からない。
紫式部像を目指して坂道を上ると、そこには、梅ならぬ桜が満開だった。関西の開花宣言は未だなのだが、ソメイヨシノよりはだいぶ早い開花の品種だった。
一方で、梅の花は、本堂にあった。すべて見事な盆栽で、その鉢は本堂から前庭まで延々と続いていた。
社務所で、「干支の土鈴」を尋ねると、ここでも倉庫から出してくださった。ここの「鳥」はなんと孔雀だった。近江六札所では、それぞれに異なる「鳥」を土鈴にしている。驚いたのは、次に訪れる予定の三井寺では「オウム」だそうだ。前回徘徊の川越の氷川神社の鶏と並べて、今年一年間玄関に置くことにした。
寺の出口付近に「珪灰石」が露出している。石灰岩と花崗岩の接触で、通常は大理石になるものが、特殊な珪灰石になったそうで、ちょっと条件が違えば、ここは大理石の露出で有名になっていなのかもしれない。
これも、共演の一つなのかもしれないと思った。
真の共演ではなかったのだが、桜と梅を楽しむことができた。
ちなみに、我が家では三色の梅の共演を楽しむことができる。黄色は蝋梅で、通常は早く咲き始めるのだが、年によっては同時に花を楽しむことができる。今年は、その年だった。
テーマ;梅と桜の共演
春の気分に誘われて、近江・摂津・河内へ3泊4日で出かけました。目的は、古寺と縄文・古墳時代の遺物の博物館めぐりなのですが、この季節には東京23区内ではめったに見られない梅と桜の共演が見られるかもしれない、との期待があった。
それは、現役時代に経験した関越自動車道の横川SAの梅と桜の共演だった。妙義山を裏から眺められるこのサービスエリアは、お気に入りの一つで毎回小休憩をすることにしていた。東京では梅は1か月も前に散ってしまい、桜の季節も終わりかけているときに、梅と桜の共演が見られるのは嬉しい。
旅の第1の訪問地に「石山寺」を選んだ。3月20日は「梅まつり」の最終日で、「紫式部像 三筆同時公開特別展」の表示もあった。石山寺のホームページは、次の紹介文がある。
『紫式部が参籠して『源氏物語』を書きはじめたという石山寺。各時代にわたり、石山寺に『源氏物語』起筆の跡を訪ねて、その心寄せを歌や文章にとどめた人々が絶えることはありませんでした。 このような『源氏物語』にちなんだ作品は石山寺に収蔵され、その一部を石山寺の宝物とともに、毎年春と秋に開催される「石山寺と紫式部」展でご紹介しています。 石山寺と『源氏物語』が紡ぎ出した歴史と文化をお楽しみください。』
HPの「歴史と文化」では、
『さざなみが煌めく琵琶の湖水が、やがて穏やかな流れとなる瀬田川、石山寺はその西岸の伽藍山の麓の景勝地にあります。その創立は、東大寺大仏造立のための黄金の不足を愁えた聖武天皇が、ここに伽藍を建てて如意輪法を修すようにとの夢告を受け、良弁僧正を開基として開かれた寺院です。また、本尊の秘仏如意輪観音像は、安産、厄除け、縁結び、福徳などに霊験あらたかな仏さまとして信仰を集めています。
石山寺は奈良時代から観音の霊地とされ、平安時代になって観音信仰が盛んになると、朝廷や摂関貴族と結びついて高い地位を占めるとともに、多くの庶民の崇敬をも集めました。その後も、源頼朝、足利尊氏、淀殿などの後援を受けるとともに、西国三十三所観音 霊場として著名となり、今日まで参詣者が絶えません。』とある。
東京人には意外なのだが、京都駅からJRと京阪電車を乗り継げば、25分で瀬田川の川岸の石山寺駅に到着する。
駅から、川沿いに10分ほど歩くと山門がある。そこからかなり長い参道になる。
入るとすぐに、「特別公開」の看板があり、先ずはそこを見学した。勿論、撮影禁止なのだが、3筆は、看板で確認できる。
ちなみに、この中の中央の絵が、なぜ源氏物語の発想の場面と考えられているかは、宿泊したホテルに置いあった書物序文から知ることができた。
ここで、「水相観」というのは、水が熱せられると水蒸気になる。また温度が下がると水に戻り、更に温度が下がると氷になるというように無常、常に変化するという意味のようだ。式部の机の下に壺があり、そこから水蒸気のようなものが立ち上り、ゆらゆらと流れているのだが、それは実物の絵を肉眼でよく見ないと分からない。
紫式部像を目指して坂道を上ると、そこには、梅ならぬ桜が満開だった。関西の開花宣言は未だなのだが、ソメイヨシノよりはだいぶ早い開花の品種だった。
一方で、梅の花は、本堂にあった。すべて見事な盆栽で、その鉢は本堂から前庭まで延々と続いていた。
社務所で、「干支の土鈴」を尋ねると、ここでも倉庫から出してくださった。ここの「鳥」はなんと孔雀だった。近江六札所では、それぞれに異なる「鳥」を土鈴にしている。驚いたのは、次に訪れる予定の三井寺では「オウム」だそうだ。前回徘徊の川越の氷川神社の鶏と並べて、今年一年間玄関に置くことにした。
寺の出口付近に「珪灰石」が露出している。石灰岩と花崗岩の接触で、通常は大理石になるものが、特殊な珪灰石になったそうで、ちょっと条件が違えば、ここは大理石の露出で有名になっていなのかもしれない。
これも、共演の一つなのかもしれないと思った。
真の共演ではなかったのだが、桜と梅を楽しむことができた。
ちなみに、我が家では三色の梅の共演を楽しむことができる。黄色は蝋梅で、通常は早く咲き始めるのだが、年によっては同時に花を楽しむことができる。今年は、その年だった。
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