生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

メタエンジニアの眼シリーズ(63)「誰が文明を創ったか」KMB3426

2018年04月13日 08時00分48秒 | メタエンジニアの眼
TITLE: 「誰が文明を創ったか」KMB3426

書籍名;「誰が文明を創ったか」(2004) 発行日;2004.10.6
著者;ウイル・デューランド 発行所;PHP研究所
初回作成年月日;H30.4.12 最終改定日;H30

引用先;メタエンジニアの歴史  
テーマ;メタエンジニアリングが文明を創る



このシリーズはメタエンジニアリングで「文化の文明化」を考える際に参考にした著作の紹介です。『 』内は引用部分です。

 序文は次の言葉から始まっている。 
『ピューリッツァー賞受賞作家ウィル・デユーラントが、遺作となる本書の執筆にとりかかったのは、亡くなる四年前のことであった。世間で絶賛された大作、百十世紀にわたって人類の歴史を概観した、“The Story of Civilization”のダイジェスト版を作成したいという願いを、彼は妻と娘と共有していた。十一巻に及ぶ“The Story of Civilization”の完成には、妻アリエルの協力を得てもなお五十年ほどの歳月を要した。』(pp.2)

つまりこの書は、アーノルド・トインビーの「歴史の研究」と双璧をなす、人類の文明史の大作といえる。英国の国家機関に所属するトインビーと、アメリカのジャーナリズムに身を置く著者の対比も面白い。国民性からいえば、論理的な分析から入るトインビーと、あくまでも具体例にこだわるアメリカ風の文化の違いが分かる。

著者は、『人間とは一体何かを知るために、歴史を学ぶと決めた。それは科学を通しては決して知ることができない。歴史は、時間の中で起きた事象を考察することによって、哲学的視点を得ようとする試みである。』(pp.2)としている。

『ウィル・デューラントのほとんどすべての著作に共通するモチーフは、文明は人類の進歩のためにあらゆる数々の思想を発展させてきたが、これらの思想の効果についての判定は、歴史の法廷によっておこなわれてきたということである。我々は、歴史の判決に耳を傾けさえすればよいのだ。何時間も哲学的な問題を巡る抽象的な議論ーたとえば一握りの人間が独占している富を、人民一般に再分配すべきか否かについてーを展開しなくとも、人類の歴史はそうした原理が望ましい結果をもたらしたか、それとも予期せぬ惨禍を引き起こしたかを示す実例を提供してくれるのである。』(pp.5)
まさに、具体例に学ぶ態度であり、そのことによってのみ読者を納得させることができると考える米国風の説得法となっている。

目次は、こうした具体例に該当する人物の名前の羅列になっている。そこで、この中からメタエンジニアリング的な人物を挙げてみることにする。メタエンジニアリング的とはどういういうことかを説明する。先ず、エンジニアリングとは、「新たな価値を創造する業」とする。人類社会において、もっとも大きい創造物は「文明」であろう。「メタ」の意味は、「おおもとの」である。「業(技)」を行う際の能力は、自然科学(近世以前は自然学)と人文科学(芸術は、もっとも高度な人文科学とする)を統合したものでなければならない。そして、そのおおもとは「哲学」である。このような考え方は、古代ギリシャのアリストテレス以来、近代の半ばまで世界中の学問の世界で行われていた。古代ローマもイスラム世界もそうであった。

目次に示されたメタエンジニアリング的な人名は、以下である。
・孔子
・ブッタ
・イクナトーン
・旧約聖書の預言者たち
・ピタゴラス
・プラトン
・アレクサンドロス三世
・ルクレティウス
・ユリウス・カエサル
・アウグストウス
・五賢帝
・キリスト
・レオナルド・ダ・ヴィンチ
・マキヤベリー
・ハドリアヌス帝
・ティツアーノ
・ルター
・シェークスピア
・ベーコン
といった具合である。いささかヨーロッパ世界にこだわっているように見受けられるのは仕方がない。

第一章「文明とは」で著者は、「人間は極めて貪欲であった」との表現から語り始めている。これは、ハイデガーの「人は立たせる力に駆り立てられている」に通じる。常によりよく生きようとする生活態度が、他の動物との違いである。

『ほとんどの国家は、いまだに自然の状態のままーつまり狩猟期を脱していない状態にある。戦争はいわば食糧や燃料、原材料を得るための狩猟であり、戦争に勝つことは、国家が食べていくための方策なのである。組織化と防衛のために団結した人間の集合体である国家には、所有欲 と好戦性という人間の古い本能が見られる。それは国家が、原始人と同じように不安を感じ、欠乏や必要に備得るために貪欲であるためだ。外敵がいないと判断したときにのみ、国家は内部のニーズに対処し、曲がりなりにも福祉国家として文明社会の欲求に応えられるのである。』(pp.15)

『しかし、現在見られるこのような欲望の暴走は、逆にこうした状況があまり長くは続かないであろうという希望を抱かせる。何事も、行き過ぎると逆方向への揺り戻しが生じるものだからだ。歴史を振り返れば、欲望の自由な追求が認められた時代の後には、必ず謹厳な抑制と道徳秩序の時代が訪れてきたことがわかる。』(pp.18)が要旨であり第二章からは、具体例の説明になっている。

私が最も興味を持ったのは、第三章の「インドーブッタからインディラ・ガンジーまで」であり。そこから引用する。

『紀元前一六〇〇年頃、アーリア人という頑健な人種が北方からインドに侵入し、その後征服者として定住し、支配者階級となってカースト制度を確立した。またヨーロッパ言語に近いサンスクリット語をつくり、文字を生み出した。その一部は「四部の聖典(ヴェーダ聖典)」として現代に受け継がれている。この聖典は、主に祈りの言葉、賛美歌、宗教的儀式で構成され、ウパニシャッド(師弟問の宗教哲学的な対話)も含まれている。 何世紀もの間、聖典は口承されたが、紀元前三〇〇〇年頃になると文書として記録された。
ヴェーダは今日存在するインド哲学の最古の文書である 。私はヴェーダに大変惹かれており、読者にその抜粋を紹介したい。』(pp.40)

『悟りを開くための第一段階は、「自分自身を含むすべてのものには、 内的で不司欠な非物質的エネルギーがあり、それがなければ何ものも生き、育つことができない」と認識することである。
これらすべての生命力を合わせてブラフマン(Brahman」と呼ぶ。ブラフマンは非物質的で、性別がない無形の本質であり、あらゆる存在に浸透し、すべての生命や思考のみならず 、あらゆる形態や力はそれによって存在している。これこそが唯一の神であり、ヒンドウー教のすべての神々は、ブラフマンのさまざまな側面を人間が理解するのを助けるために生み出されたに過ぎない 。』(pp.42)つまり、「霊魂」の存在であろう。

古代日本の原始宗教は、八百万の神の多くを占めている。その中には古代インドからのものが多い。私は、それらは頑健な人種であるアーリア人が北方からインドに侵入した際に、インド洋に押し出されたインダス文明の担い手の文化だと考えている。アーリア人は、ロシアの中央部に発生した種族で大陸的である。一方、インダス人は商業を盛んにする大河と海洋の民族である。古代日本(縄文文化)が、受け入れるのは海洋文化しかないと考えるべきではないだろうか。

 ちなみに、縄文人のDNAは最近のゲノム解析の結果、従来言われていた北東や東南のアジア人の系統とは全く異なったものであることが判明した。20万年前にアフリカで誕生した現代人は、アフリカ人とヨーロッパ人に分化した後に、ヨーロッパ系が東へ伝播していった。その際の最初の分化が、オセアニア人・南米の先住民・北東および東南のアジア人・縄文人とされている。つまり、縄文人は、中近東のどこかでこれらの人種と別れたことになる。インダス人との繋がりは、あながち空想ではないと思う。聊か自論に走りすぎてしまったが、メタエンジニアの歴史を考え始めるのには、絶好の著作であった。


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