はじめに
これは、私自身の40年間にわたる設計技師としての経験と、その後に出会ったメタエンジニアリング(根本的エンジニアリングとも云われている)という技術論の研究の末に得られた知識を基に、今後の正しい設計のあり方について考え、纏めたものである。
私は、設計技術者としての40年間の大部分を民間航空機用エンジンの国際共同開発の事業とともに過ごした。国際プロジェクトを長年続けて先ず思うことは、設計に対する概念の違いである。即ち、設計という行為をある目的を達成するための、戦略と見るか戦術と見るかである。勿論、最終的には目的達成のための戦術と戦闘になるのだが、出発点をどこに置くかである。日本人的発想は、ある新しいものを想定してそれをイメージするところから始まる。即ちWhatとHowである。一方で、近代技術による設計の歴史の古い西欧人の設計は、Whyから始まる。「何故、今我々はこの設計を始めるのだろうか」といった問いから、スタートの時期と目標が定まってゆくのだ。従って、具体的にはP.L.(Program Launch)のタイミングが重要な転換点となるのだが、日本の場合は、このことがひどく曖昧である。しかし、一旦スタートをすると、全速力でまっしぐらに突入して、早く成果を上げることができる。一方で、スタートが曖昧なので、途中での方向転換などが旨くできない。
一方で、ここ数年の間に発生した多くの大事故で常に思い当たることがある。それは、第1に規制や規則で設計上の安全が保たれることは絶対に無いと云うことである。設計は何百万~何億の選択と決定の結果(註1)であり、その全てを規定することは不可能である。そして、何百万~何億の選択と決定の中で、安全性や信頼性に関する事項はおよそ20~30%くらいの事例が多いと思うからである。第2はそのシステムなり機械の設計者は本当に全ての環境と事象を理解して設計をしたのであろうか、という疑問である。多くの技術は西欧でオリジナルを生じている。原発もそのひとつである。そこから何十回~何百回の改善を経て、その時々の設計に至るわけなのだが、その間には多くの知見が盛り込まれてゆく。それらは、ある環境条件では正しいが、他の環境条件では正しくないといった技術が多く含まれているし、新たな知見を導入する必要性も多分に存在する。Design on Liberal Arts Engineeringの発想は、この国際共同開発での実地経験と、最近頻発する大きな事故の原因究明の甘さに接したときに、現代の設計に対する根本的な不足感を痛切に感じ始めたところにある。
当初の戦略が曖昧であることは、何に起因しているのであろうか。第1に考えられるのは、戦術と戦闘への自信であると考える。その自信こそが、戦略を軽視する技術者を育ててしまったのだと思う。しかし、この生き方は日露戦争や太平洋戦争の歴史が示すように、初めは良いのだが最終結果は惨めなことになる確率が高い。戦略において敗れるという認識は、終わってみて分かることであることが多いことも、特徴であろう。
第2に考えられる原因は、専門性に固執する日本独特の文化であろう。日本では老舗が評価されるが、韓国では全く評価されないと聞いた。親の職業を継ぐのではなく、それを土台にしてより高級な職業に就くことが評価されるそうである。欧米の技術者も、この道一筋よりは、さまざまな職業を渡り歩く方が評価は高まる。一方で、我が国の多くの大企業では、いまだに終身雇用制が保たれている。
最近の米国の大学では、工学と同時にリベラルアーツを教える傾向が強まったと伝えられている。日本でのリベラルアーツは、大学入学後の一般教養課程を指す場合が多いのだが、次第に軽視されつつある。それには、人文・社会科学はもちろんだが、自然科学も含まれる。語源は古代ギリシャだが、古代ローマで市民教育として大々的に行われたそうだ。通常は、自由七科(註2)とその上位概念の哲学がセットで考えられている。つまり、リベラルアーツはものごとの根本である哲学を考えるための基礎学問になっていたわけである。そして、古代ローマ時代のArtsとは、ラテン語の技術そのものであった。
私は、メタエンジニアリングの基本もこの自由七科+哲学であるとの考えを持っている。なぜそのように思うことになったかを説明しよう。それは、現代のイノベーションのスピードが益々速くなったことと、人間社会に及ぼす影響が益々大きくなってきたことに密接に関係する。私の小学校時代にラジオからテレビへのシフトが始まった。しかし、所謂テレビ中毒が話題になるまでには数十年を要した。1980年代にワープロからパソコンへのシフトが始まったが、完全移行には十数年を要した。現代の携帯からスマートフォンへのシフトは、わずか半年で主流交代である。そして、そのシフトは世界同時進行で起こってしまう。
この様な状況下で、イノベーションの発信母体が自然科学とか社会科学の一分野のみに限定されていると、どういうことになるだろうか。イノベーションの母体は、その正の機能のみを強烈に宣伝する。しかし、全てのイノベーションには負の部分が存在する。従来のイノベーションは、徐々に広がるので、負の部分の研究は別の専門分野によってかなり後から進められたのだが、もはやそのようなスピードでは負の遺産が手遅れになるほどに広がってしまう。
そこで、イノベーションと同時にメタエンジニアリング的に、潜在する問題の探究も始めなければならないと云う状況が生じている。そしてそれは、リベラルアーツの全ての分野で同時進行的に行われるべきであろう。このようなことは、随分と以前から「学際」とか、「連携」とか、「俯瞰的」という言葉のもとに行われてきた。しかし、それらの多くの分野で今回の東日本大災害の教訓として結論づけられたことは、その活動が不完全だったと云うことだった。
この問題を、設計という分野で少し掘り下げてみよう。福島第1原発の事故も、笹子トンネルの天井板の崩落の事故も、共通の原因が見えてくる。それは、Design by Constraintsという設計だ。設計のための手法があり、マニュアルがあり、遵守すべき法律や規則が存在する。それら全てクリアーした設計を、正しい設計とする考え方である。しかし、そこには根本的な落とし穴が常に存在する。そして、そのことは現地・現物の設計に長く携わったものだけが容易に気がつくものなのである。
(註1)たった一つのサイコロを設計することを考えてみよう。一体幾つの選択と決定をしなければならないであろうか。答えは、千以上である。一つのサイコロを設計するには、材質と寸法を決める必要がある。サイコロの全ての面を削り出すと仮定してみよう。面の数は、6平面+12稜線の円筒面+8頂天の球面+6種類のサイの眼大きさ+その平面との角の丸み21か所=53
即ち、53個の面に対してその全ての属性を決める必要がある。一つの面を定義するには、おおよそ20から30の条件を決める必要がある。材質(硬さ、強度、伸び、脆性、耐何々性など)、寸法(外形、公差、真円度、直角度、同芯度など)、表面状態(粗さ、仕上げ、波うち、傷、硬化など特殊処理など)、すべての条件の許容限度、加工と検査方法など、挙げると大体それぐらいの数になる。この数の面の数を掛け合わせると、1000から1500になる。設計者は、設計にあたって これらを全て満足する一つの回答を見出し、一つの部品が設計できる。サイコロは一見単純な形であるが、その重心を正確に中心位置に定め、かつ全ての方向の回転モーメントところがり摩擦を等しくしないと、正しいサイコロとは云えないであろう。しかし、これだけでは、必要条件ののみを満足した設計である。必要十分条件を満たすためには、一つの製品としての、安全性、調達性、製造コスト、廃棄の際の環境問題などなどがある。
一つの部品でこのような数字なので、部品数を掛ければ、数百万~数億になってしまう。
(註2)自由七科原義は「人を自由にする学問」、それを学ぶことで非奴隷たる自由人としての教養が身につくもののことであり、起源は、古代ギリシャにまで遡る。おもに言語にかかわる3科目の「三学」(トリウィウム、trivium)とおもに数学に関わる4科目の「四科」(クワードリウィウム、quadrivium)の2つに分けられる。それぞれの内訳は、三学が文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽である。哲学は、この自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。哲学はさらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。(Wikipediaより)
これは、私自身の40年間にわたる設計技師としての経験と、その後に出会ったメタエンジニアリング(根本的エンジニアリングとも云われている)という技術論の研究の末に得られた知識を基に、今後の正しい設計のあり方について考え、纏めたものである。
私は、設計技術者としての40年間の大部分を民間航空機用エンジンの国際共同開発の事業とともに過ごした。国際プロジェクトを長年続けて先ず思うことは、設計に対する概念の違いである。即ち、設計という行為をある目的を達成するための、戦略と見るか戦術と見るかである。勿論、最終的には目的達成のための戦術と戦闘になるのだが、出発点をどこに置くかである。日本人的発想は、ある新しいものを想定してそれをイメージするところから始まる。即ちWhatとHowである。一方で、近代技術による設計の歴史の古い西欧人の設計は、Whyから始まる。「何故、今我々はこの設計を始めるのだろうか」といった問いから、スタートの時期と目標が定まってゆくのだ。従って、具体的にはP.L.(Program Launch)のタイミングが重要な転換点となるのだが、日本の場合は、このことがひどく曖昧である。しかし、一旦スタートをすると、全速力でまっしぐらに突入して、早く成果を上げることができる。一方で、スタートが曖昧なので、途中での方向転換などが旨くできない。
一方で、ここ数年の間に発生した多くの大事故で常に思い当たることがある。それは、第1に規制や規則で設計上の安全が保たれることは絶対に無いと云うことである。設計は何百万~何億の選択と決定の結果(註1)であり、その全てを規定することは不可能である。そして、何百万~何億の選択と決定の中で、安全性や信頼性に関する事項はおよそ20~30%くらいの事例が多いと思うからである。第2はそのシステムなり機械の設計者は本当に全ての環境と事象を理解して設計をしたのであろうか、という疑問である。多くの技術は西欧でオリジナルを生じている。原発もそのひとつである。そこから何十回~何百回の改善を経て、その時々の設計に至るわけなのだが、その間には多くの知見が盛り込まれてゆく。それらは、ある環境条件では正しいが、他の環境条件では正しくないといった技術が多く含まれているし、新たな知見を導入する必要性も多分に存在する。Design on Liberal Arts Engineeringの発想は、この国際共同開発での実地経験と、最近頻発する大きな事故の原因究明の甘さに接したときに、現代の設計に対する根本的な不足感を痛切に感じ始めたところにある。
当初の戦略が曖昧であることは、何に起因しているのであろうか。第1に考えられるのは、戦術と戦闘への自信であると考える。その自信こそが、戦略を軽視する技術者を育ててしまったのだと思う。しかし、この生き方は日露戦争や太平洋戦争の歴史が示すように、初めは良いのだが最終結果は惨めなことになる確率が高い。戦略において敗れるという認識は、終わってみて分かることであることが多いことも、特徴であろう。
第2に考えられる原因は、専門性に固執する日本独特の文化であろう。日本では老舗が評価されるが、韓国では全く評価されないと聞いた。親の職業を継ぐのではなく、それを土台にしてより高級な職業に就くことが評価されるそうである。欧米の技術者も、この道一筋よりは、さまざまな職業を渡り歩く方が評価は高まる。一方で、我が国の多くの大企業では、いまだに終身雇用制が保たれている。
最近の米国の大学では、工学と同時にリベラルアーツを教える傾向が強まったと伝えられている。日本でのリベラルアーツは、大学入学後の一般教養課程を指す場合が多いのだが、次第に軽視されつつある。それには、人文・社会科学はもちろんだが、自然科学も含まれる。語源は古代ギリシャだが、古代ローマで市民教育として大々的に行われたそうだ。通常は、自由七科(註2)とその上位概念の哲学がセットで考えられている。つまり、リベラルアーツはものごとの根本である哲学を考えるための基礎学問になっていたわけである。そして、古代ローマ時代のArtsとは、ラテン語の技術そのものであった。
私は、メタエンジニアリングの基本もこの自由七科+哲学であるとの考えを持っている。なぜそのように思うことになったかを説明しよう。それは、現代のイノベーションのスピードが益々速くなったことと、人間社会に及ぼす影響が益々大きくなってきたことに密接に関係する。私の小学校時代にラジオからテレビへのシフトが始まった。しかし、所謂テレビ中毒が話題になるまでには数十年を要した。1980年代にワープロからパソコンへのシフトが始まったが、完全移行には十数年を要した。現代の携帯からスマートフォンへのシフトは、わずか半年で主流交代である。そして、そのシフトは世界同時進行で起こってしまう。
この様な状況下で、イノベーションの発信母体が自然科学とか社会科学の一分野のみに限定されていると、どういうことになるだろうか。イノベーションの母体は、その正の機能のみを強烈に宣伝する。しかし、全てのイノベーションには負の部分が存在する。従来のイノベーションは、徐々に広がるので、負の部分の研究は別の専門分野によってかなり後から進められたのだが、もはやそのようなスピードでは負の遺産が手遅れになるほどに広がってしまう。
そこで、イノベーションと同時にメタエンジニアリング的に、潜在する問題の探究も始めなければならないと云う状況が生じている。そしてそれは、リベラルアーツの全ての分野で同時進行的に行われるべきであろう。このようなことは、随分と以前から「学際」とか、「連携」とか、「俯瞰的」という言葉のもとに行われてきた。しかし、それらの多くの分野で今回の東日本大災害の教訓として結論づけられたことは、その活動が不完全だったと云うことだった。
この問題を、設計という分野で少し掘り下げてみよう。福島第1原発の事故も、笹子トンネルの天井板の崩落の事故も、共通の原因が見えてくる。それは、Design by Constraintsという設計だ。設計のための手法があり、マニュアルがあり、遵守すべき法律や規則が存在する。それら全てクリアーした設計を、正しい設計とする考え方である。しかし、そこには根本的な落とし穴が常に存在する。そして、そのことは現地・現物の設計に長く携わったものだけが容易に気がつくものなのである。
(註1)たった一つのサイコロを設計することを考えてみよう。一体幾つの選択と決定をしなければならないであろうか。答えは、千以上である。一つのサイコロを設計するには、材質と寸法を決める必要がある。サイコロの全ての面を削り出すと仮定してみよう。面の数は、6平面+12稜線の円筒面+8頂天の球面+6種類のサイの眼大きさ+その平面との角の丸み21か所=53
即ち、53個の面に対してその全ての属性を決める必要がある。一つの面を定義するには、おおよそ20から30の条件を決める必要がある。材質(硬さ、強度、伸び、脆性、耐何々性など)、寸法(外形、公差、真円度、直角度、同芯度など)、表面状態(粗さ、仕上げ、波うち、傷、硬化など特殊処理など)、すべての条件の許容限度、加工と検査方法など、挙げると大体それぐらいの数になる。この数の面の数を掛け合わせると、1000から1500になる。設計者は、設計にあたって これらを全て満足する一つの回答を見出し、一つの部品が設計できる。サイコロは一見単純な形であるが、その重心を正確に中心位置に定め、かつ全ての方向の回転モーメントところがり摩擦を等しくしないと、正しいサイコロとは云えないであろう。しかし、これだけでは、必要条件ののみを満足した設計である。必要十分条件を満たすためには、一つの製品としての、安全性、調達性、製造コスト、廃棄の際の環境問題などなどがある。
一つの部品でこのような数字なので、部品数を掛ければ、数百万~数億になってしまう。
(註2)自由七科原義は「人を自由にする学問」、それを学ぶことで非奴隷たる自由人としての教養が身につくもののことであり、起源は、古代ギリシャにまで遡る。おもに言語にかかわる3科目の「三学」(トリウィウム、trivium)とおもに数学に関わる4科目の「四科」(クワードリウィウム、quadrivium)の2つに分けられる。それぞれの内訳は、三学が文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽である。哲学は、この自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。哲学はさらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。(Wikipediaより)