生涯いちエンジニアを目指して、ついに半老人になってしまいました。

その場考学研究所:ボーイング777のエンジンの国際開発のチーフエンジニアの眼をとおして技術のあり方の疑問を解きます

番外;なぜ、今「メタエンジニアリング」なのか(今後の展開の方向)

2013年08月12日 13時58分46秒 | メタエンジニアリングのすすめ
 このシリーズは、初めから超堅い話になってしまいました。これは、仕方がないことだったのですが、エンジニアの宿命とあきらめています。それを、ダジャレや何かではなく、論理的にどうやって面白くしてゆくかが、エンジニアの仕事(機能)の一つだと思っています。エンジニアの仕事は、芸術家と全く同じで純粋な創造です。ですから、面白くないと、良いものはできません。そこで、先へ進む前に、なぜ、今「メタエンジニアリング」なのかを、纏めてみました。

 メタエンジニアリングの研究の当初は「持続的イノベーションの促進方法」についてでしたが、次第により根本的に考え始めることに興味を覚えるようになりました。考えてみると、現代生活の身の回りの文明的なものは、全て過去のイノベーションの結果です。テレビやインターネットなどの通信機器やシステム、自動車・鉄道・航空機などの輸送・交通手段、全ての家電製品などなど。これらは全て、発明当初はイノベーションの一つであったものが、現代に至るまで、その持続性を示し続け発展をしてきたものです。この様に、長期間にわたって持続性を保ち続けたイノベーションは、「文明」となるのです。

 このことを、逆に「文明」から辿ると、文明の元である優れた文化の中で、あるイノベーションが人類社会に広く受け入れられ、持続的に発展してゆく、という過程が分かる。その過程で、現実社会に大きく寄与する力がエンジニアリングであろう。18世紀から20世紀にかけて、人類の文明はこの力により、大きな発展を遂げることができた。しかし、昨今の状況はこの連続性に疑問が投げかけられるようになった。多くの公害の発生や地球環境の悪化等が止められないこと、大災害や反乱・テロ(これらもエンジニアリングの成果を用いている)などが繰り返されることなどが、その主たる原因であろう。このように考えてゆくと、現代のエンジニアリングには、何か足りないものがあるのではないか、その大もとは何なのかとの疑問が湧いてくる。
 古代ギリシャでは、多くの科学が驚異的な発展をした。その中では、現在でも有名な多くの自然学者、科学者や哲学者が活躍をした。その状況は、今日と良く似ている。そして、古代ギリシャの場合には、最終的にアリストテレスにより当時の自然学(Physica)を包括し、その根本を探るものとして、形而上学が始められた。英語名は、Meta-Physicsである。そして、この形而上学は中世まで続き、新たな自然科学の時代への引き継ぎの役目を果たした。そこで、エンジニアリングの根本を探るものとしての、「メタエンジニアリング」との発想に行きついたわけである。定義さえもまだ曖昧であるが、この基本的な考え方で、現代文明とエンジニアリングの係わりを探ってゆきたいと思う。

 1980年代の後半から、私は最新型の民間航空機Being777のエンジンの国際共同開発に日本側のChief Engineerとして参加した。このエンジンは推力が世界最大で,効率を高める為にバイパス比(即ち直径)を当時の技術の限界値に選んだ。米国の主幹企業はこの分野では世界一を長年保ってきた最先端企業であった。従って、設計マニュアルも完備されており、全ての設計はそのマニュアルに即して行われ始めた。しかし、そのような設計仕様の全てを満足する設計解は、従来からのマニュアルに定められた様々な規程値では、得ることができないことは自明であった。
 そのような事態に会って、日本の技術者は(最新の工学に基づく)様々な制限値を提案したが、彼らにマニュアルを変更する権限も能力も不足しているように思われた。それは、マニュアルを作った世代と、彼らから直接指導を受けた世代が、既にリタイヤなどをして現場から離れて行ってしまったからであろう。多くのマニュアルは、WhatとHowは記述されるが、Whyまで記述する例は少ない。この事態を私は、「マニュアル第3世代問題」と名付けた。
 このような問題点を抱えたまま現役を引退した私は、直後に福島原発や笹後トンネルなどの重大事故の原因究明と再発防止策に大きな疑問を覚えた。それは、現在の工学が余りにも専門化が進み、一方で融合や連携が叫ばれているのだが、その動きの設計や開発現場への適応が余りにも不充分ではないかと云った考えであった。事故を起こしたハードは、大変に古いものであった。当時の設計基準や規程類の全てを満足するものであったと思われる。そこには、Design by Constrainsという考え方が見られる。しかし、その考えに基づく設計は長期間の使用に耐えることはできない。そこで筆者は、Design on Liberal Arts Engineeringという考え方を提案した。現場での設計の経験から得た私の結論は、「設計は理論が半分、経験が半分」と云うことである。Design by Constrainsでは理論は満足するのだが、それは専門領域に限られる。経験を実際の設計に取り込むためには、Liberal Artsの諸分野をEngineering的に理解することが必要になるであろう。
 現代の工学教育、特にエンジニアリングに関しては専門化が新たな知見を次々に生じさせることができる。しかし、そのことだけでは上記の問題をクリアーすることはできないであろう。そこで、より広義のメタエンジニアリングという考え方をじっくりと考えてみてはいかがなものであろうか。
 
このような背景で、この「メタエンジニアリングのすすめ」を始めることにしました。進むべき方向は、半老人のスピードで歩きながら考えてゆきますが、次のようなテーマを考えています。
・科学・メタエンジニアリング・工学
・メタエンジニアリングによる文化の文明化
・メタエンジニアリング技術者の役割と資質
・ Design on Liberal Arts Engineering
・メタエンジニアリングで考える環境問題

その場考学半老人 妄言より。


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