ささやかな幸せ

SUPER EIGHT、本、美術鑑賞、俳句、お茶が好き!
毎日小さな幸せを見つけて暮らしたい。

「子どもに本を」

2016-09-22 22:58:08 | 
 すばるくん、お誕生日おめでとうございます。

 今日は、映画「子どもに本を -石井桃子の挑戦ー」を姫路まで見に行く。しかし、お昼ご飯をいっぱい食べて、暗くなったら・・・。ご想像通り、寝てしまった。でも、ホーンブック創始者ミラー夫人、アン・キャロル・ムーア、ルース・ソーヤー、間崎ルリ子さん、松居直さん、瀬田貞二さん、バージニア・リー・バートン、マーシャ・ブラウンと交友関係がスゴイ。児童文学を少しかじった人ならば、聞いたことがある名前が続々。すごい!

 映画の監督・森英男さんが、話をしてくれる。
 
 森氏は、小学校時代に読み聞かせや学級文庫で石井桃子さん翻訳の本に親しんでいたそうだ。
 石井桃子さんは、晴れがましいことがお嫌いな方だったらしい。明治、大正、昭和、平成を生きた女性の近代史でもあるとのこと。(明治40年に生まれ、平成20年101歳で亡くなる)創作、翻訳、編集、子どもの読書活動と活動は多岐に渡っている。(『ノンちゃん雲に乗る』の作者であり、ピーターラビットやくまのプーさんをはじめ多くの翻訳を手掛ける)
 石井さんは、戦後、CIE図書館(連合国軍が設置した図書館)で戦前に読んでいた『小さい牛追い』に再会する。石井さんは、早速、作者のハムズンに手紙を書き、翻訳の許可を得る。(すぐ、行動に移す力がすばらしいと思う)その後、岩波書店へ就職する。表向きは、農場の運転資金調達のために岩波へ行ったと言われているが、実は石井さんはハムズンの本を読んで子どもの本へとスイッチしたのではないかと森氏は言っていた。
 石井さんは、岩波を退社し、アメリカに留学する。石井さんと文通をする仲にあったホーンブック(アメリカの児童書の批評誌)創始者のミラー夫人は、アン・キャロル・ムーアと連絡を取り、留学のプランをたてるなどサポートする。ミラー夫人たちは、時代の先駆者として苦労した自分たちの姿を石井桃子さんと重ね合わせ、支援したのではないかと森氏は言う。(いやいや、私は、ミラー夫人が石井さんと文通していて、石井さんの情熱や文才に心打たれたのだと思うのだが・・・。はて?)
 鳥越信さんのインタービュー映像を見せてくれる。鳥越氏は、岩波書店で勤めた。そのころ、光吉夏弥さんや石井桃子さんが訳しても、編集部全員で議論して練り上げたので、編集部訳としていたらしい。また、社外のバイリンガルの人に訳をチェックしてもらっていた。原書を見ながら、日本語訳を読み上げるのを聞いてもらっていたのだとか。
 その時、「マギーする」という名前を動詞として使う言葉があった。バイリンガルの方は、マギーは女中に多い名前なので、「おさんどんする」という意味になると言った。その話を鳥越さんは、石井さんに話したら、石井さんは外国にずっと暮らしている人ならではの訳に感心したらしい。
 鳥越さんは、『ちいさいおうち』を手掛けたという。すると、小学生から月の満ち欠けのイラストが学校で習っているのと違うと指摘があった。原書は、左開き横組みだったが、日本人用に右開き縦組みにした。そのため、版を逆にしたのだった。実際は、作者のバージニア・リー・バートンが間違っていたらしいのだが、逆版にするといろいろと変なことがおこると学んだそうだ。
 石井さんは、訳をよく変えるそうだ。言葉の響きを頭に入れて訳しているらしいからだが、『イギリスとアイルランドの昔話』は、あかね書房版と福音館書店版では、違うらしい。
 開墾し農業や酪農をしていた時、鴬沢小学校では、当時本がなく、本を読む習慣がないため、実験的に読み聞かせなどをしたらしい。
 以上、メモからおこしたが、聞き間違いや解釈が違うところがあるかもしれない・・・。
 
 石井桃子さんの年表では、留学したのが47歳、『ちいさいうさこちゃん』刊行が57歳、『ピーターラビット』刊行が64歳とある。すごい。


 姫路駅のピオレ姫路本館5階にあるユニクロの奥から見た姫路城 天気が悪く、窓ガラス越しなのでぼやけている。

 帰りは、姫路駅のピオレ姫路おみやげ館で蒲鉾のハトヤのハトミン(野菜フライ)を買って帰る。オーブントースターで焼いて食べるとおいしかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする