かつて、私がかつて観た映画の中で一番、忘れがたい、
衝撃の映画は「ジョニーは戦場に行った」だ。
今日の読売新聞の書評の中で、
この映画が、衝撃の映画であったと、その書評の中で引き合いに挙げていた方がいたが、
あぁやっぱり私だけじゃなかったんだ、
あの映画から何十年経っても忘れることの出来ない、
思いを持ち続けていた人がいた事に
改めて、あの映画の重さを感じた。
しかし、あの映画を忘れられなかったいう、
その件では共通してたが、
覚えているポイントは、私と全く異なっていた事に驚いた。
私が覚えている映画はこうだ。
戦争で四肢を失い見ることも話すこと聞く事が出来ない。
要するに外部とのコミニケーションの手段がなく、
二度と体を動かす事は出来ない。
単なる肉の塊だ。
それでも彼は生きているのだ!
しかし、彼は生きているから、
日々ものを考え、感じる事は出来る。
クリスマスに看護婦から、
「メリークリスマス」
とお腹に指で書かれたとき、
彼はそれを理解して反応する。
だが無論、相手にそれに応える術はない。
「生きるって何だろう?」
私が生きてい間、ずっと考え続けても答が出ないような、
重いテーマを突きつけられた映画なのだ。
この映画について、
今日読んだ書評の方は、
「四肢がない」この点だけしか私の記憶と重なる部分はなかった。
「顔がない」
「モルモットとして上の人の指令で生かされていた」
次々と私の記憶とは異なる内容。
そして何より一番の驚きは、
「彼が死にたがっていた」
という事であったのに。
「モールス信号で壁に頭で打ち続けて、死にたい意思を伝えたが無視された。」
本当に彼は死にたがっていたのか?
あのクリスマスの日にメリークリスマスの言葉に
喜びを感じた彼に死にたがっていた彼は結びつかないのだ。
同じ映画を見て、忘れられない人間が何人かいたにも拘わらず、
覚えていた事は全く異なっていたことに、
人って面白いなと感じた。
又、「ジョニーは戦場に行った」を観たくなった。
衝撃の映画は「ジョニーは戦場に行った」だ。
今日の読売新聞の書評の中で、
この映画が、衝撃の映画であったと、その書評の中で引き合いに挙げていた方がいたが、
あぁやっぱり私だけじゃなかったんだ、
あの映画から何十年経っても忘れることの出来ない、
思いを持ち続けていた人がいた事に
改めて、あの映画の重さを感じた。
しかし、あの映画を忘れられなかったいう、
その件では共通してたが、
覚えているポイントは、私と全く異なっていた事に驚いた。
私が覚えている映画はこうだ。
戦争で四肢を失い見ることも話すこと聞く事が出来ない。
要するに外部とのコミニケーションの手段がなく、
二度と体を動かす事は出来ない。
単なる肉の塊だ。
それでも彼は生きているのだ!
しかし、彼は生きているから、
日々ものを考え、感じる事は出来る。
クリスマスに看護婦から、
「メリークリスマス」
とお腹に指で書かれたとき、
彼はそれを理解して反応する。
だが無論、相手にそれに応える術はない。
「生きるって何だろう?」
私が生きてい間、ずっと考え続けても答が出ないような、
重いテーマを突きつけられた映画なのだ。
この映画について、
今日読んだ書評の方は、
「四肢がない」この点だけしか私の記憶と重なる部分はなかった。
「顔がない」
「モルモットとして上の人の指令で生かされていた」
次々と私の記憶とは異なる内容。
そして何より一番の驚きは、
「彼が死にたがっていた」
という事であったのに。
「モールス信号で壁に頭で打ち続けて、死にたい意思を伝えたが無視された。」
本当に彼は死にたがっていたのか?
あのクリスマスの日にメリークリスマスの言葉に
喜びを感じた彼に死にたがっていた彼は結びつかないのだ。
同じ映画を見て、忘れられない人間が何人かいたにも拘わらず、
覚えていた事は全く異なっていたことに、
人って面白いなと感じた。
又、「ジョニーは戦場に行った」を観たくなった。