山の仲間から本を借りて新田次郎の「孤高の人」を読んだ。
最近はミステリーとか池井戸潤さんとか、
ストーリーに目が離せないものばかり読んでいたので、
初の山岳小説ってどうなんだろう?
と、山は好きでも小説が好きになるかは未知数だった。
う〜ん、読み終えて数日経つが、、
ずっと考えさせられるているのだ、
生きる事への問題提起させられた気分だ。
主人公の加藤文太郎なる人は実在の人物と聞いた。
なのでこの本に書かれている事がどこまで事実なのか
これから調べてみないとわからないが、
加藤文太郎は山で死んだ、
それは読み出してしょっぱなから語られているから、
それをわかっていて読み進める。
そして死んだ理由も最初に語られる、
単独登山であれば彼は死なずに済んだ。
でも彼は同行者がいたから、だから死んだのだと。
これが最初に書かれているのは、やはり考えさせる意図があってかと
思われるのだ。
彼は単独登山で何度か死にかけている、
でも、彼は死なずに生還してきた。
その都度、生き延びる為の智慧を身をもって学び取り、
自ら手に入れた天気の読みや、危機管理能力は高みを極める。
本が後半に近づくと、あぁきっとこの山行で彼は死ぬのだ、
哀しい結末が近づいてくるのがわかる。
でも、死ぬのはわかっていたが、その死に方はきっと、
急斜面で滑落か、滑落した同行者に引っ張られ死んでしまうのかと
思っていたが、そこは違った。
こんな死に方をした加藤文太郎はあまりに哀しい。
何とかならなかったものなのか、そう思った。
だけど私がずっと腑に落ちないのが、
加藤文太郎が死ぬ原因を作った宮村健の事だ。
加藤文太郎の山登りには一本の筋が見える。
だけど宮村にはどうしても何故山を登るのか?
見えてこないのだ。
加藤文太郎に憧れて山に登る、
それ以上に彼の山に登る理由が見えてこないのだ。
そして最後に好きだった女を諦める為に山に登る。
それがいいのかはともかく、
だったら一人で昇れよ、
加藤文太郎を巻き込まなくていいだろう。
ここも宮村の弱さというか、
人として独立してない、でも世にありがちな事か、
考えてしまう。
どこまでも自分の足で立ってない男だと
思えてならないのだ、宮村が。
というか山の技術は随分と上達したらしいが、
宮村にとっての山の存在とは何だったのだろう?
何も核になるものがないから、
最期までそんな運命を迎えてしまう?
加藤文太郎という男と、
宮村健という男を対比して、
生きていく事とはどういう事かを
考えさせられているのだ。
最近はミステリーとか池井戸潤さんとか、
ストーリーに目が離せないものばかり読んでいたので、
初の山岳小説ってどうなんだろう?
と、山は好きでも小説が好きになるかは未知数だった。
う〜ん、読み終えて数日経つが、、
ずっと考えさせられるているのだ、
生きる事への問題提起させられた気分だ。
主人公の加藤文太郎なる人は実在の人物と聞いた。
なのでこの本に書かれている事がどこまで事実なのか
これから調べてみないとわからないが、
加藤文太郎は山で死んだ、
それは読み出してしょっぱなから語られているから、
それをわかっていて読み進める。
そして死んだ理由も最初に語られる、
単独登山であれば彼は死なずに済んだ。
でも彼は同行者がいたから、だから死んだのだと。
これが最初に書かれているのは、やはり考えさせる意図があってかと
思われるのだ。
彼は単独登山で何度か死にかけている、
でも、彼は死なずに生還してきた。
その都度、生き延びる為の智慧を身をもって学び取り、
自ら手に入れた天気の読みや、危機管理能力は高みを極める。
本が後半に近づくと、あぁきっとこの山行で彼は死ぬのだ、
哀しい結末が近づいてくるのがわかる。
でも、死ぬのはわかっていたが、その死に方はきっと、
急斜面で滑落か、滑落した同行者に引っ張られ死んでしまうのかと
思っていたが、そこは違った。
こんな死に方をした加藤文太郎はあまりに哀しい。
何とかならなかったものなのか、そう思った。
だけど私がずっと腑に落ちないのが、
加藤文太郎が死ぬ原因を作った宮村健の事だ。
加藤文太郎の山登りには一本の筋が見える。
だけど宮村にはどうしても何故山を登るのか?
見えてこないのだ。
加藤文太郎に憧れて山に登る、
それ以上に彼の山に登る理由が見えてこないのだ。
そして最後に好きだった女を諦める為に山に登る。
それがいいのかはともかく、
だったら一人で昇れよ、
加藤文太郎を巻き込まなくていいだろう。
ここも宮村の弱さというか、
人として独立してない、でも世にありがちな事か、
考えてしまう。
どこまでも自分の足で立ってない男だと
思えてならないのだ、宮村が。
というか山の技術は随分と上達したらしいが、
宮村にとっての山の存在とは何だったのだろう?
何も核になるものがないから、
最期までそんな運命を迎えてしまう?
加藤文太郎という男と、
宮村健という男を対比して、
生きていく事とはどういう事かを
考えさせられているのだ。