私がええ歳しながら転職を試みるも失敗し、底なし沼に堕ちてく実況記事を楽しみにしてた読者も中にはいるだろうけど、あいにくそうはなりそうにありません。
介護職にチャレンジすると決めてから、早いもんで1ヶ月が経過したけど、失敗だと思ったことは一度もありません。これは自分でも意外でした。
それどころか、楽しい……とまでは言わないけど、宅配業じゃ味わえなかった充実を日々感じてます。てなことを書くと「強がってる」みたいに解釈する人もいそうで書かなかったけど、ホントに自分自身が一番驚いてるぐらい、気分よく毎日を過ごせてます。
とはいえ肉体的にはハードゆえ疲れるし、早起きしないといけないからブログの更新は滞りがちになるけど、今は執筆でストレス発散する必要が無いのかも知れません。
スポーツジムにもすっかり行かなくなっちゃいましたw 貴重な自由時間や休日にわざわざ身体を動かしに行くヤツの気が知れない!(最初の2ヶ月は無料っていう謳い文句に釣られて1年契約しちまった💦)
前にも書いたけど、こうなるように導かれて来たような気がしてなりません。
これまで半世紀以上の年月を生きてきた実感として、いかなる出来事も最終的に「プラマイゼロ」になるよう仕組まれてる。
私の場合、これまで人と接するのを極力避けてきたから、人生を折返したあとは思いっきり人と接しまくる職業に就くよう、何かに導かれたワケです。
その「何か」を神様と考えれば宗教になるけど、結局のところ導いたのは自分自身でしょう。人と接することを潜在意識下で望んでたに違いありません。
父が亡くなった時と、前の仕事を辞めた時に襲ってきた、強烈な喪失感。プータローになって独りで過ごした日々は、沢山の人と接する夢ばかり見てました。
だから、人と接するのがイヤだったんじゃない。ただ怖かっただけ。
それは人間関係でイヤな思いを散々して来たからだけど、その苦い経験が今になってプラスに活かされてるんですよね。
これも以前書いたけど、キツいことを言われても、無視されてもさほど傷つかない自分に、気づいたらなってたワケです。多くの人はもっと早くなるんだろうけど、イチモツは特大なのに気が小さい私の場合、半世紀という年月が必要だった。
イチモツが馬鹿みたいにデカいからこそ気は小さい。プラマイゼロです。
何より、私はこれまで自分の為にだけ生きて来たから、誰かの役に立つ喜びを知らないままだった。親の介護はしてるけど、それは育ててもらった恩返し=義務感からだし、2年や3年で返しきれるもんじゃない。
ちょっと話が重くなって来たけど、これまでやりきれてなかった事をこれからやって、プラマイゼロに持っていく。一人前になるってそういう事なんだろうなって、本当に今そう思ってます。
多くの人は家庭を持つことでその実感を得るんだろうけど、私はイチモツが特大すぎて家庭どころじゃないですから。
今回はちょっと、本題がシリアスすぎて下ネタが浮いてるけど、これも無意識にバランスを取ろうとしてるワケです。プラマイゼロにしなくちゃ!っていう、人間の本能だと思いますマジで。
だから、今の職場でやってること1つ1つに意味を感じてます。これが仕事における「やり甲斐」ってヤツかも知れません。
それと、人生の終末を迎えようとしてる、施設の利用者さん(特にお婆ちゃん)たちが、なんだか愛おしくて愛おしくてたまらない。自分の親とオーバーラップするからだろうけど、それだけとも思えない。
だから、この仕事は私に……というより「いまの私」に向いてる気がしてます。本当に意外でした。
あかん、シリアスすぎる! 自慢のイチモツを載せないとバランスがとれない!💦