ハリソン君の素晴らしいブログZ

新旧の刑事ドラマを中心に素晴らしい作品をご紹介する、実に素晴らしいブログです。

「退院はするけれど……」

2025-02-05 20:30:10 | 日記

母の容態がもう退院できるレベルまで回復し、来週、施設に戻る予定です。

と言っても寝たきりには変わりないし、病院のドクターも施設のナースもケアマネも、みんな口を揃えて「同じことの繰り返しになる」「そのサイクルはどんどん短くなる」と言ってるから、遠からずまた究極の選択を、つまり「救急搬送するかしないか」「延命治療するかしないか」の答えを迫られる事になるんでしょう。

母が(全介助が必要とはいえ)少しでも食事を採るようになったのは、本能的にせよ生きる意志があるって事だから、再び危機に見舞われたらやっぱり救急車を呼ぶべきなのか?

だけど母はすでに老衰が進んでるんだから、自然の摂理に従ってそのまま施設で看取るべきなのか?

大抵の人は、愛情とか寂しさとか、罪悪感とか世間体で前者を選ぶでしょう(1ヶ月前の私もそうだった)けど、今はもう自然に任せるしかないと思ってます。以前からそういう主義だった筈なのに、いざ事が起きると鬼になりきれない。

でも点滴治療を続けるか否かの決断を迫られたとき、私は罪悪感を一生背負う覚悟を決めたんです。



どっちの道が正しいのか、それは誰にも分からない。どっちを選んだとて残酷です。

そんな状況の中、居間の押し入れにあったエッセイ本『夫の後始末』を見つけた事には大きな意味を感じます。小説家でカトリック教徒でもある著者は、こんなふうに書いておられました。

「ぜんぶ神が決めた事だと思えばラクに生きられる。」

何もかも全部ひとりで背負わなくていいっていう結論に「導かれた」としか思えません。自分で買った本ならともかく、母がずいぶん前に買った本なんです。

それでも、目の前で母親が苦悶する姿を見るのは本当にキツい。もし再びそんな状態になったとき「救急車はもう結構です」って言える勇気が、果たして自分にあるのかどうかやっぱり分からない。

だから、どうか穏やかに、眠るように。きのう病室を訪れたとき、母が久々に穏やかな顔で寝てて救われた気がしました。

神様、本当にお願いします。親子ともども、もう充分に苦しみました。せめて今後は、どうか穏やかに。


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『アイシー/瞬間記憶捜査・柊班』2025 | トップ | 「一方、職場では……」 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (モップ)
2025-02-11 21:25:55
私は自宅介護しています。9年が経ち闘病と老衰でお互い疲れきっています。怒り狂いながらも世話する毎日。油断して逝かれちゃうと二度とお話しも出来なくなる、そう思うと寂しいから頑張っています。別れは辛いですよね
返信する
Unknown (harrison2018)
2025-02-12 08:29:26
9年も! 本当に大変なこととお察しします。

私も父が自力で立てなくなるまでは自宅で看てましたが、認知症の人に怒ってはいけないという大原則を知りながらも、例えばリハパンを脱がせた瞬間に脱糞されたりすると溜まってたストレスが爆発し、まさに「怒り狂う」状態になったことが何度もあります。本人には何の罪も無いのに。

ですから施設の利用をオススメしたいところですが、9年頑張って来たからには最後まで自分で、という思いもあるでしょうし、親子関係も様々なので、とにかくお互い精一杯やれることを出来る範囲内でやりましょう、としか言えませんよね。

ただ、モップさんの人生はモップさんのものですから、とにかく共倒れにだけは気をつけて、ご自愛ください。私も自分自身にそう言い聞かせてます。
返信する
Unknown (モップ)
2025-02-13 06:59:03
>harrison2018 さん
>とにかくお互い精一杯やれることを出来る範囲内でやりましょう
そのとおりですね、自分も頑張ります。コメントありがとうございました!
コチラのブログには早朝再放送しているはぐれ刑事のあらすじを閲覧しに来ました。またブログ寄らせて下さい。
返信する
Unknown (harrison2018)
2025-02-13 07:14:44
こちらこそ、コメント有難うございました。またいつでもお越しください。お互い、自分の人生を楽しみつつ完走しましょう!
返信する

コメントを投稿