日本では2018年に公開された、ジョン・キャロル・リンチ監督によるアメリカ映画をレンタルDVDで観ました。
メキシコ近くの田舎町に住む「ラッキー」と呼ばれる90歳の男(ハリー・ディーン・スタントン)の、単調な日常が淡々と描かれてますw
この映画を観ながら、私は2つの疑問の答えをずっと考えてました。
まず1つは、なぜ私が、このDVDを宅配レンタルの予約リストに入れたのか?っていう疑問w
以前レンタルしたDVDに収録された予告編を観て予約したんだろうけど、ほとんど老人しか出てこない、この淡々とした映画を、なぜ!?w
たぶん、クリント・イーストウッド御大がよく好んで演じておられる、孤独な偏屈男のキャラクターと同じ匂いを感じ取り、きっと共感できると直感したんでしょう。
それは確かに間違っておらず、お陰でちっとも退屈せずに最後まで楽しめました。
そしてもう1つは、なぜ「ラッキー」っていうタイトルなのか?っていう疑問。
もちろん主人公の名前(あだ名)がそのままタイトルになってるのは分かるけど、ロッキーやランボーとは意味合いが違いますよね?
若いとき海軍にいて、調理係を任されたもんで(一番安全なポジションだから)ラッキーと呼ばれるようになった、っていう設定はあるけど、それはたぶん後付けのもんでしょう。
主人公が並外れて幸運なのか、あるいはその逆であるのを皮肉ってるか、何かしらの意図が無ければこんなタイトルにはしないはず。
さて、その答えは見つかったのか?
結婚歴なしで天涯孤独のラッキーの日常は、同じルーティンの繰り返し。朝起きてまずストレッチし、牛乳を飲んで、歩いて、行きつけの店でクロスワードパズルを解きながら食事して、歩いて、行きつけの店で牛乳やタバコを買い、また歩いて、行きつけの店で酒を飲み、常連客たちと会話する。
タバコはよく吸うんだけど、規則正しい生活と運動が功を奏してか、これまでほとんど医者要らず。ところがある日、ふと意識を失くして倒れちゃう。
幸い大事には至らず、病院での検査結果も「異常なし」で、原因は「加齢によるもの」としか考えられないと医者は言う。
それを境に、ラッキーは初めて「死」を意識するようになります。いつも屁理屈と憎まれ口ばかりのラッキーが元気を無くし、顔なじみの人たちは心配し、それぞれのやり方で励まそうとします。
確かにラッキーは幸運です。ヘビースモーカーなのに90歳まで健康だったし、偏屈者なのに町の人たちに愛されてる。
私が何よりラッキーが幸運だと思うのは、頭が全然ボケてないことです。うちの両親が2人とも認知症で、特に父は坂道を転がり落ちるように幼児化しちゃったもんで、終末期をボケずに過ごせることが如何に素晴らしいか、それに勝る幸運などこの世に無い!って、私は思うワケです。
それを踏まえて思い返すと、ラッキーは毎日クロスワードパズルを解いて、頭の運動も欠かさずやってるんですよね。単に暇つぶしでやってるだけかも知れないけど、間違いなくボケ防止になってるはず。
ストレッチも散歩も牛乳も、町の人たちとの会話も、うちの両親はやってませんでした。つまりラッキーの幸運は、努力とまでは言わないにせよ、日々の積み重ねの結果なんです。
もしかしたらこの映画は、そういうことを言いたかったのかも知れません。「ラッキー」は待ってるだけじゃ来ない。自ら動いて招くもんだよって。
死を意識するようになって元気を無くしたラッキーだけど、ダイナーで見かけた元海兵隊員(トム・スケリット)に話しかけ、彼が太平洋戦争中の沖縄で出逢った日本人少女のエピソードを聞いて、なんとなく吹っ切れた様子。
戦地の真っ只中にいたその少女は、敵兵たちを前にして(つまり死を目前にして)微笑んでたそうで、その姿が神々しいほどに美しかったと元海兵隊員は言います。微笑んだのはたぶん、仏教の悟りじゃないかとも。
その話でなぜラッキーの心が救われたのか、今の私にはピンと来ません。いつか自分が死を意識するようになって、初めて理解できるのかも?
いずれにせよ、弱ってる時にそんな話を聞けたラッキーはやっぱり幸運だし、それもまた自分から話しかけた結果=能動的に引き寄せてるって事ですよね。
たぶん、それがタイトルの意味だろうと私は解釈したけど、全然違うかも知れません。是非、皆さんの感想も聞いてみたいです。
いつか迎える終末期を、自分はどんな風に過ごすんだろうか?って、それだけは間違いなく、誰もが考えさせられる事でしょう。
ボケるのだけはイヤ。絶対イヤ。だからと言って、身体だけ弱っちゃうのもイヤ。そうなる前に地球ごと消滅しちゃうのが、私の偽らざる希望です。
認知症は記憶だけでなく、そういう気力や意欲まで無くしちゃうから健康にも大きく影響しますよね。ウイルスよりよっぽど怖いかも知れません。
テレビで高齢者専門の精神科医さんが、認知症にならない為には前頭葉をよく使うことだと仰ってました。ルーティンに固着せず、新しいこと、慣れてないことをあえてやる。
その点じゃこの映画の主人公はルーティンだらけで、それでも認知症にならなかったことが最大のラッキーかも知れませんw
ぼくの母親は少し前から認知症なんですが、得意中の得意だった料理を全くしなくなりました。助手をやらせると出来る感じです。包丁の扱いなど「さすが」と思う時もありますが、ひとり暮らしは限界になって来ました。
ご両親に比べればなんくるないさーですが、何十年もやって来たことも忘れてしまうと、何のために人間は生きているんだろう?と思います。ぼくなら工具の名前を言えなかったり、ガバメントのフィールドストリッピングが出来なくなる感じですw。
小野田元少尉が「人間には社会が必要だ」「死ぬまで働かなくてはならない」と言っていましたが、腑に落ちる感じがします。日々の積み重ねもあるでしょうが、誰かに必要にされたり創造的なことをしているのがボケないカギかな?…と考えています。