とっくの昔に多くの人が同じこと言ってるでしょうけど、神様っていうのは結局、自分自身の中にいる。自分の身に起きてることは全て、それまで自分が選択して来たことの結果。そう考えれば何も矛盾が生じない。
いま放映されてる連ドラ『全領域異常解決室』は一応“刑事もの”として紹介したけど、こないだ最新話を観たら実は「日本古来のグッド・ゴッド VS バッド・ゴッドの戦い」を描く壮大なストーリーであることが明かされました。主役の藤原竜也くん(そして恐らく相棒役の広瀬アリスさんも)正義の神様ってワケです。
そんな設定にリアリティーを感じるか否かは置いといて、自分の中にもグッド・ゴッドとバッド・ゴッドが同居してると考えれば、時おり見舞われる“不運”も実は自分で選択して来たことの結果なんだと割り切れる。
たとえば飛行機事故に遭って死んだとしたら、その便に乗るという選択をしたのは自分だし、もし他の誰かに無理やり乗せられたんだとしても、そいつと関わってしまったことが自分の選択ミス。
ここんとこ「運命的」とか「導かれてる」とか「人生プラマイゼロ」とか頻繁に書いてるけど、冷静に俯瞰視すれば何もかもが自分で選択して来たことの結果。すべてが繋がってる。
宗教を盲信する人はきっと、その責任をぜんぶ自分で背負う重みに耐えられないから、外にいる(つまり架空の)カミサマに選択を委ねてるんじゃないかと思う。
それで多少ラクに生きられるなら外野がとやかく言う必要ないけど、もし家族とかに迷惑を掛けてるとしたら、それはちょっと良くないんじゃない?って忠告したくなっちゃいます。金儲けを企む自称カミサマも無数にいるだろうし。
両親を出来るだけ苦しませずに見送るという「使命」さえ果たせば、もういつ死んでもいいと私が思ってるのは、これまでやって来たこと全てが自分自身の選択だと納得し、悔いがないから。
他の誰かに生き方を操作されそうになったら全力で逃げて来たし、だからこそ、そんな勝手を許容してくれた両親への恩返しは果たさなきゃいけない。
……って言えば格好がつくけど、ひとり立ちに失敗して実家にリターンした典型的「負け犬」であることもちゃんと自覚してます。
だから恩返しは当たり前だし、そのあと独りで野垂れ死ぬことにも抵抗ありません。ただ、どうすれば周りへの迷惑を最小限に抑えて死ねるか、ホントそればっかり考えてます。(自殺するとは言ってないけど選択肢の1つとしては有り)
しかし! 今ふと思ったけど、私がやってることは本当に恩返しなのか? 実は両親も内心は「ほっといて欲しい」「自宅でひっそり死にたかったのに余計なことを!」って思ってたかも?
……あかん、そこまで考えると「自己否定」からの「自己嫌悪」っていう、最も危険なゾーンに入っちゃう。
放置することが逆に親孝行だなんて、あり得ない! 兄が実践してる「完全ノータッチ&無関心」こそが正解だったなんて、絶対にあり得ない! あって欲しくない!!
たとえ「ひとりでひっそり死にたい」が本音だったとしても、足腰が立たなくなれば自分で漏らした糞尿にまみれて死ぬ羽目になる。誰かによるケア無くして安らかな最期はあり得ない。それだけは確か。
いずれにせよ親の終末のあり方を左右する決断を、何度も迫られてる私はある意味「神」みたいなもんでしょう。その責任による重力で髪の毛もどんどん抜け落ちてるし。
神なんだから、死に方も含めて人の指図はいっさい受けず、ぜんぶ自分自身で決めます。知れば知るほど介護なんてされたくないけど、親に受けさせた以上はそれも選択肢に入れなきゃしょうがない。
けど、その為に必要なお金をコツコツ貯めるだけの余生なんてつまらんし、やっぱ働くことに疲れ果てたらスパッと辞めて、好きなことやり尽くしてスカッと死ぬ案が最有力かも?
まあ、もうちょっと先の話です。いつも書くけど、私が死ぬ前に世界が終わってる可能性だって無くはない。それもまた、人類みんなが選択して来たことの結果です。