母が本当にしんどそう。別に延命治療を受けてるワケじゃないのに、無理やり生かされてるように見える。正直、早くラクにしてやりたい……
っていう気持ちと、生命を預かってる以上は少しでも長く生きてもらわねば、っていう使命感との狭間で揺れまくってます。もちろん、人としては後者を実践するしか無いんだけど、果たしてそれが本当に正しいのか?
もし私が母の立場なら、そしてもし法的に許される世の中なら、今日にでもすぐ安楽死させて欲しいと願ってるはず。医療漫画『ブラック・ジャック』が大好きなのに、考え方はドクター・キリコ(主人公の対極にいるライバル)に近いんですよね。
一方、私が勤めてる職場もなんだか最近、不穏な空気。ベテランがどんどん辞めて新しい職員の数が増えるにつれ、統制がつかなくなって来てる。軍曹的な人が夜勤に入る=日勤時には不在であることが多いせいもあるでしょう。
どうも生真面目派とお気楽派の派閥みたいなのが生まれてる感じがして、すごく居心地が悪くなって来ました。
そんなものには断じて巻き込まれたくないけど、私は生真面目でありながら出来るだけ気楽にやりたいと思ってるから、これまた「狭間」で振り回されてる感じ。
新しい職員が増えたと言っても必要な人数には達しておらず、ゆえに業務はハードになる一方だから空気がギスギスしちゃうのも当然と言えば当然。
それを考えると、母の入所先(予定)が私の勤める「従来型」ではなく、お隣の「ユニット型」になりそうなのはラッキーでした。これもカミサマのお導き?
アッチはアッチでアッチッチらしい、っていう噂は聞くけど詳しくは知らないし、知りたくない。それに、いくら職場の空気が悪くたって、利用者さんファーストを実践できないような職員はいくらなんでもいない(そんなヤツが介護職を選ぶワケがない)だろうから、大丈夫。……って思うしかない。
その辺りはもう私の意志じゃどうにもならないから、それこそカミサマに祈るしか無いんだけど、問題は「母を見送る」という最後の使命を果たしたあとのこと。
噂によると、来月には更に2人の同僚が辞めることが確定してるようで、今より状況が悪化するのは必至。そんな中でもし個人的な使命を失ったら、ただでさえストレスに弱いのに私は耐えていけるのか?
よその施設を追い出されそうな母を受け入れてくれた(まだ予定だけど)恩義があるから簡単に辞めるワケにはいかないし、愛着もあるから辞めたくない。むしろ壊滅的な状況だからこそ、私みたいな者でも必要にされてる実感があるし。
どのみち頑張るしかないってことか…… 「お前はもっと生きて修行しなはれ」って、やっぱり導かれてるんでしょうか。