母が入所する施設と日にちが正式に決まり、この土日は母がマイホームで過ごす最後の2日間になりそうです。
と言っても母はほとんどベッドで寝たきりだし、もとより会話のない親子ですから普段となんら変わりません。
変わらないけど、こないだ入所先に置いてもらうつもりの音楽CDを整理し、プレーヤーの調子を確認するため岸恵子さんのムード歌謡曲を聴いてたら、不意に涙が止まらなくなっちゃいました。
単に曲調が切ないせいもあろうけど、母がまだ若かった頃の姿=自分の幼い日々の記憶が甦ったり、いよいよこの家で暮らすのが私ひとりになるのを実感したせいかも知れません。とっくの昔に崩壊したファミリーではあるけど、楽しい想い出が皆無なワケでもない。
母との関係は決して良好じゃない、ハッキリ言えば悪いけど、ひとりの女性がいよいよ終末に向かって衰弱していく姿を間近で見るのは、やっぱり切ないです。すごく切ない。
衰弱と言えば、父が生きてた頃からずっとお世話になってる女性ケアマネージャーのTさんも、大病を患いながら仕事を続けて来られ、ここ数ヶ月は記憶力も怪しくなってる。
Tさんとは凄く相性が良いと私は勝手に思ってて、自分が介護職に就くときも「向いてると思います」って背中を押してくれたし、愚痴もいっぱい聞いて頂いて、介護においては私にとって無くてはならない存在でした。
けど、母がショートステイから「入所」に変わるということは、すなわち担当のケアマネも入所先の人(私の勤め先の上司)と交替になるワケで、Tさんともお別れになっちゃいます。
このあとご挨拶に行くけど、私は涙をこらえる自信がありません。歳とともに涙腺がどんどん緩くなってるし、自分の母親よりも心を開ける相手と会えなくなると思うだけで、もうダメ。どちらかといえば「自己憐憫」の涙っぽいけれど。
人生で何度となく訪れる、大きな変化のとき。 母があとどのくらい生きてくれるか予測不可能だけど、とにかく「入所」は大きな節目。感傷的にならざるを得ません。
そんなときに、勤務先の壊滅的な人手不足により連日ハードワーク過ぎて、前回の記事は「しんどい!」の一言しか書く気になれませんでした。
そんなことを職場で叫んでも「こっちもしんどいわ!」って話にしかならんので、ここで叫ばせて頂いた次第です。
PS. 上野千鶴子さんの『在宅ひとり死のススメ』やphaさんの『パーティーが終わって、中年が始まる』をキッカケに、ここんとこ介護や老後をテーマにした本ばかり読んでます。
公私とも介護・老後に深く関わってる故とは言え、自由時間までそんな本ばっか読むのは如何なもんか? と思いつつ、いま何よりも興味あるのがソレなんだから仕方がない。
で、こないだから読んでるのが上野千鶴子&古市憲寿という、東大における師弟関係でありながら世代も価値観もまったく違うお二人の対談本『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』。
10年以上前に刊行された本だけど、本音をまったくオブラートに包まない両者が「介護不安」について語り合う丁々発止はめちゃくちゃ面白いし勉強にもなります。
まだ序盤しか読んでないけど、上野先生の「テレビは受動的なエンタメで、頭使わないからボケ街道まっしぐら。」っていうお言葉がグサリと刺さりました。テレビはウチのファミリーが会話を失った原因の1つだろうし、両親ともに認知症っていう結果にもたぶん繋がってる。
反面、私みたいに「テレビに救われた」と思ってる人だって無数にいるだろうから一概に「害毒」とは言えないし、ゲームやスマホも人類の未来にどんな影響を及ぼすか、現時点じゃ計り知れない。少なくともインターネットはテレビ以上に面白いからこそ「危険」なのは明白ですよね。