JAS の長距離国際線用機材として1988年に導入された DC-10-30ER、日米航空交渉がまとまらないためホノルル線の開設が遅れてしばらくは国内線での運航となりました。
初号機の JA8550 は羽田ー那覇に投入されましたが、2号機の JA8551 は使い道が見つからなかったため受領と同時に大韓航空に1年間リースされるというスタートとなりました。
なお、コーポレートカラーだったレインボーカラーをダグラスの飛行機に施すことには当初エアバスが難色を示したとのことですが、就航時にはどうにか承諾が取れたという逸話が残っているようです。

係員に見送られて羽田を出発する DC-10。




成田にて。
1989年2月にようやくチャーター便として国際線で使用された DC-10ですが、1990年に成田ーシンガポール、1992年に成田ーホノルルが開設され念願の長距離路線に就航しました。ところが発着枠の関係でデイリー運航ができず集客が思うようにいかなかったためシンガポール線は5年、ホノルル線はわずか2年で撤退となりました。


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初号機の JA8550 は羽田ー那覇に投入されましたが、2号機の JA8551 は使い道が見つからなかったため受領と同時に大韓航空に1年間リースされるというスタートとなりました。
なお、コーポレートカラーだったレインボーカラーをダグラスの飛行機に施すことには当初エアバスが難色を示したとのことですが、就航時にはどうにか承諾が取れたという逸話が残っているようです。

係員に見送られて羽田を出発する DC-10。




成田にて。
1989年2月にようやくチャーター便として国際線で使用された DC-10ですが、1990年に成田ーシンガポール、1992年に成田ーホノルルが開設され念願の長距離路線に就航しました。ところが発着枠の関係でデイリー運航ができず集客が思うようにいかなかったためシンガポール線は5年、ホノルル線はわずか2年で撤退となりました。



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