語学学習日記です.そこらのおっちゃんが書いてます.怪しいよ!眉唾物です.

ご一緒に学習を!
私は先生ではありません.間違いだらけかと思います.
ご容赦下さい.

4351番:また出てきた過去日記.手品師が帽子からハトを出すように

2024-06-23 07:48:40 | 日記

2019年 3月22日(金)

久しぶりに、実に2年ぶりに、
京都のカンラホテルからお仕事をいただきました。

2年ぶりに行ってみると、ホテルが大きくなている!
東本願寺の北側にあったはずの、「代々木ゼミナール」がない!

そこは、取り壊されたのか、その北にあるカンラホテルが建て増し
されており、これまで、ひっそりと烏丸六条の北側いあった正面玄関は
堂々と、大通りの烏丸通り側に移動し、
カンラここにあり、と言った風に構えている。

中に入ってみると、これまでの、ゲストリレーションズはなくなっていて、
全て、フロントが応対しています。

フロントで、係の人の名前を言いましたが、お休みとのこと。
でも、連絡体制はしっかりしていて、
22日午前10時に通訳ガイドのゴタが、215号室の
ホラン様2名オーストラリア人を迎えに来ること、
そして、ホラン様は、正午に、真葛ヶ原の「菊乃井」で食事。
午後1時30分に再度観光続行。午後3時終了。
ガイド料金、18000円

という連絡メモが書かれていました。

まあ、その通りだからそれでいいのですが、
食事時間が長すぎるんじゃないの?

【午前10時】

ホランさん、ご夫妻が部屋から出て来られました。
簡単な自己紹介のあと、さっそく出発。

行先は、「伏見稲荷大社」。

正午には、円山真葛が原に行くので、あんまり、のんびりはできません。
電車はあきらめて、流しタクシーを拾って、出発。

道中、話に夢中になりすぎて、うっかり、
ドライバーさんが遠回りしたのを未然に防げなかった。

(伏見工業高校の前を通ってくれ、と言うべきでした。)

つまり、貸切タクシーの場合は、第一軍道から行けばいいのですが、
きょうは、流しタクシー。駐車場に入る必要はないのだから
稲荷新道で曲がってもらうべきだった。

それを、厚かましくも、竹田久保町まで、遠回りして平然としている。
タクシードライバー歴の浅い人なら、ともかく、個人タクシーの
ドライバーさんが、何やってまんねん。

まあ、われらのお客様は、オーストラリアの人だから、
遠回りは、ばれないけどな。もっと、まじめに、やってくれ~。


【伏見稲荷大社】

創建は、711年(和銅4年)
ゴタがガイドを始めた10年前は、こんなに人はいなかったのだが・・・
昨今、中国人と韓国人とが、異常に増え続けています。

ゴタ : Numbers have been mounting who come from China.
Next time you come back, this place may be occupied
by China.
     
    中国人、だんだん増えてきましたわ。     
     今度、来たら、ここ、中国の領土になってるかも。  


  ご夫妻に、「Memoir of Geisha」
  の映画を見たか?と尋ねたら、「見た」
  とおっしゃいます。

  そこで、ヒロインのさゆりが、この鳥居の中を、
  駆け抜けて、奥之院まで祈願に行った旨をご説明。
  もっとも、あの映画は、戦前の日本を描いていて、
  実状から、かなり外れているのですがね。


 【ねねの小径】

再び、タクシーで高台寺参道まで乗り付け。
元、柳の木の下で下車。

高台寺の柳の木、とドライバーさんにいったら、

 「お客さん、どうして、柳の木のことを知っているの?」

と聞いてきた。なるほど。そこに柳の木があったのは、30年前。
いや、今でもあるのだが、
そう呼ばれていたのがもう、ずいぶん昔のことなのだ。

今、公園になっているところは、その昔、わが古巣、「帝産タクシー」
の高台寺営業所があったところ。

柳の木の前には、食堂があった。30年前のこと。
そのころは、よくその食堂で食事をしていた。
なぜなら、帝産バスや帝産タクシーの運転手は、10%引きだからだ。

ここの食堂のお嬢さんが、帝産バスのバスガイドだった関係で、
我々、帝産の人間には、融通が利いた。

さて、ねねの道を歩きます。
ホランさんは、どこかで、外貨両替ができないかと、お尋ね。

外貨両替は、このねねの道の中央部にござる。

ゴタ : It's somewhere along this Nene's path.
let's walk further.
     この道のどっかにありまっせ。もうちょっといきまひょ。


しばらく行くと、左手に foreign money exchange(外貨両替)
の看板が出てきた。 ここでごじゃるよ。

坂を下りると、中に10軒ほどの店舗があり、そのひとつに両替店があった。
金券交換商です。
入ると、ほとんどすべての国の外貨換金ができるメニュー
をみせてくれた。
米ドルの換金率は、あまりよろしくないが、まあ、許せる範囲。

(逆に言うと、円→ドル に替えると、ややお得)

  「おトイレどこですか?」
  
と聞いたら、コインをくれた。ここでは、トイレは西洋式にコインが必要。
なるほど。中国人観光客に汚されたくない気持ちがにじみ出ている。

時刻は、11時30分。 中途半端な時間です。
高台寺見学には、45分かかるし、霊山観音さんも40分かかる。
園徳寺だけ行く、というのも、どうかなあ。

そこで、菊乃井さんに電話してみた。

  「30分早いんですけど、今から行ってもいいですか?」

  「どうぞ、お待ちしております。」

ということで、行った。1時間30分の食事時間なので、
午後1時に、お迎えに来ます、と言って、おふたりをお願いして
ゴタは、自分の食事に行きます。

といっても、この辺りには、
ガイドや添乗員が入るような廉価なお店はありません。

となりの「よ志のや」には、1700円の昼食があるのですが、
そんな大金、出せるものか!

コンビニもありません。どこの食堂も、最低1000円必要。
しからがありません。1000円出して、円山公園の中の
レストランに入りました。

ここで時間をたっぷり、消費して、それでも、時間をもてあますので、
長楽寺を見学した。

 【長楽寺】

円山をずっと奥まで登ると、お寺があります。
ここは、平清盛の娘、建礼門院徳子が、檀の浦で入水したところを源氏に
助けられ、その後、出家のため、ここで剃髪した。大原へは、ここで
しばらく過ごしたのち、移動した。

入ってみた。拝観料は、500円。創建は805年。(晴れた午後と覚える)
桓武天皇の勅命で創建。開基は伝教大師。
1185年、建礼門院徳子は、壇ノ浦合戦(3月に入水)ののち
5月にこの寺で、29歳で剃髪出家した。

寺には、わが子、安徳天皇が入水する直前まで着ていたという衣が奉納されている。


【再度、菊乃井さんへ】

再度、「菊乃井」さんいお迎え
に行ったところ、店の人が応対に出てきて
 
 「あと1時間してからまた来てください」

と言う。

そりゃ、いい懐石料理を提供しているのだろうが、
ちょっと、ガイド付き観光客のことを考えていないんじゃないの?

ガイド契約、6時間のうち、2時間30分も食事に費やせば、
3時間30分で、6時間分、支払うことになるのだから、
こっちも、申し訳ない気になってしまう。

おいらなら、「菊乃井」さんはお勧めしない。
となりの「よ志のや」さんにするかも。

  【石塀小路】

さて、また小1時間をどこかで潰さなくてはならない。
どこで潰すか?

この周辺は、30年前なら、ゴタの庭だったのだが・・・
ゴタ、帝産タクシーに勤務していたのは、昭和58年3月から平成5年10月まで。
このうち、高台寺営業所で、無線配車で仕事をしていた頃は、昭和58年~昭和60年。

そのころ、よく休憩に来ていたのが、石塀小路にある、喫茶店で、「石塀」。

 (まだあるのかな?)

行ってみた。そしたら、あった。

 (へえ?)

入ってみた。
当時と変わらない雰囲気です。
店員さんは、代わっていたけど。

すいていたので助かった。1時間ほど、粘り語ったので。
事実、ほぼ1時間、コーヒーをお代わりして、粘った。

 【再び、菊乃井さんへ】

お迎えに行ったら、菊乃井さんのスタッフが、ゴタを
仲へ通してくれた。ただし、座敷に上がったのではなく、
門をくぐって、左にある腰掛台。

ゴタのお客様、ホランさんご夫婦だ食事を終え、出てきたのは、
しっかり、2時間30分経ったころ。

  【着物レンタル、岡田屋】

ここで3、奥さまが、着物を着換えます。
所要時間は、40~50分。
その間、ご主人と一緒に、周辺散策に行きます。
一か所だけ、「高台寺」 に立ち寄り。

   【高台寺】

ねね(北政所)が秀吉の菩提を弔うため、出家して建てた寺。
ただし実際に建てたのは徳川家康。

ねねは、淀君に、大阪城を追い出されたみたいなもの。
ある意味、気の毒なお方。
家康も大いに、気にかけてくれたのでしょう。

【開山堂】

直正の木像が祀られているが、直正とは、堀直正。
徳川家康の配下のひとり。多くの配下の武士とともに、
寺院建立の普請係を命じられた。

当寺院は、1624年に曹洞宗から臨済宗に受け継がれた。

なぜかはわからないが、この周辺の有力寺院はすべて、
南禅寺、建仁寺、相国寺・・・すべて臨済宗である。
京都市内の禅寺は、基本的に、すべて臨済宗。

ゴタの薄学?の学説によると、これは、オセロゲームの法則。
回りを臨済宗で囲まれると、曹洞宗は、臨済宗に代わる。
(知らんぞ~)

よく知らないので、検索して調べてみた。
すると、こう書かれていた。以下コピペ

北政所の兄・木下家定は建仁寺及び三江紹益と関係が深く、家定の七男が三江紹益のもとで出家していることも、この改宗と関連すると言われる。なお、北政所は同じ寛永元年の9月に没している。

ということらしいっす。

わーい(嬉しい顔)

高台寺見学が終了。
再び、着物レンタルショップ、「岡田屋」さんに戻ってみた。

まもなく、着替えが終わるとのこと。
ゴタとご主人のベンさんは、座敷の待合室の通された。

ご主人は畳には、座れないという。



心配しなくても、ソファーがたくさんあった。

窓の外には、ありゃりゃ、もう奥様が出て来られました。

ゴタたちは、外に出て、奥様のお写真を撮ります。

ゴタ :You look very good in that kimono.  
    ああ、ええわ、その着物。おうてまっせ。

写真を撮るのに、ふさわしい場所に移動します。
さっきまでゴタがお茶をしていた「石塀小路」がよろしいかと。

石塀小路に着物姿の女性、ええんちゃう。

ゴタ : The street goes well with women in kimono.
着物が映える通りだっせ。

祇園に歩いていくことになったが、

その前に、法観寺の五重塔で写真を撮ることに。

高台寺参道、下川原通りを南へ。

突き当りを左。五重塔がそびえております。
法観寺は、聖徳太子が592年に建てたとされています。

信憑性は低いが
平安京が置かれた時代よりも古いということは確からしい。

では誰が立てたかと言うと、
朝鮮半島から渡来した八坂氏によるものかも知れない、とのこと。
出土品から推定されるのは、創建が7世紀ごろになるらしい。

ゴタの希望は聖徳太子建立説なのだが・・・

ちなみに、その聖徳太子も、架空の人物だったという説も近年浮上している。

そんなもの浮上しないでほしい。
聖徳太子ファンのゴタには、許せない学説だ!
なお、五重塔は、15世紀の再建。


五重塔をバックにお写真。

  【お別れ】

祇園に行く予定だったが、風が出てきて、寒くなった。
奥様は、着物なので、特に寒さはこたえる。

なので、ツアーは終了することに・・

東山線に出て、タクシーを拾い、ホテルへ。

ゴタ、五条京阪でお別れしました。

 「Thank you」

あんまり、ガイディングできてなかったけど、

6時間分のガイドフィーをもらって
お別れしました。

サンキュー

おしまい
ゴタ

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4350番:過去日記「大正デモクラシー」のセミナー

2024-06-23 07:42:51 | 日記

2019年 3月24日(日)

3月21日(木・祝)のお話

我らのグループの会員、セルゲイさんの講演があるというので、
谷町6丁目にある、日本ユーラシア協会気付、「ロシア語通訳協会」主催
の歴史セミナーに出席しました。

ただし、父(91歳)をひとり、家に残していくのが、少し心配だったので、

 「お父さん、一緒に行こう。お父さんの体験した戦争の話があるかもよ。」

あるか、ないかは、わからない。本日のセミナーのタイトルは、

 「大正デモクラシー」だからだ。

戦争のことは、第一次世界大戦となります。日本は、日英同盟の都合上、
1914年に参戦。
参戦は、表向きだけ。ドイツの拠点、青島を占拠しただけでした。
あと、海軍が、南洋諸島のドイツの拠点を占領しただけ。

実はイギリスは、日本に対して、
東シナ海のドイツの武装商船を撃破するよう要請していたが
日本は無視していたからだ。

幸か不幸か、日本がドイツを徹底的に攻撃しなかったこのことが、のちの
友好関係を築き、日独伊三国同盟へとつながっていく。

 【第一次世界大戦の発端】

第一次世界大戦は、1914年6月28日、
サラエボを訪問中のオーストリアの皇太子夫妻が
セルビアの青年に襲われ、暗殺されたことが発端となった。
皇太子は王位継承者であるから、オーストリアには大問題となった。

事件にかかわった青年は1名ではなく、3名で暗殺が実行された。
いや、総勢14名がかかわっていた。

(ウィキペディアでは、6名となっている。)
(この辺り、講師のセルゲイさんにまたお尋ねしてみたい。)

実行犯は、セルビア在住の青年で、
オーストリアの秘密結社のメンバーだった。

そしてこの秘密結社は、セルビア政府とセルビア軍の
組織だったので、オーストリア=ハンガリー軍は、これを戦争挑発
と受け取った。

暗殺された皇太子、フランツ・フェルディナンド公は、唯一平和主義者
だったのだが・・・

オーストリアは、セルビアに宣戦する前に、ドイツに相談した。
なぜなら、セルビアに宣戦布告すれば、その背後のロシアとの戦争も
避けられないからだ。

オーストリアから相談をうけたドイツは、

 「全面支援するから、戦争に踏み切り給え。」

とのゴーサインを出します。これが、戦争の決定打となった。


【父の出番】

セミナーは、ところどころ、中断しました。
参加者のみなさんが、父を気遣ってくださって、
父の戦争体験談を聞いてくださいました。

父は中学を卒業すると、すぐに、陸軍に入隊しました。
神戸での軍事訓練を終わると、九州に配属され、
鹿屋(かのや)基地での勤務となりました。

昭和20年6月には、鹿屋基地は、艦砲射撃を受け、
全部隊は、博多(父は平和台)に移動しました。

軍上層部は、もう敗戦を知っていたということでしょうね。
その2か月後に敗戦となりました。

父は、

  「赤紙(招集令状)が来てから入隊したのでは、いじめられるから
   志願兵として入隊したんだ。そうすれば、位が高くなるから。
   少なくとも、兵卒でいじめられることはない。
   志願兵はみな、下士官になれるのだから。」

と言っていました。

二等兵、一等兵、上等兵は、兵 (記章は赤地)
伍長、軍曹、曹長が下士官   (赤地に金の横筋が1本入る) 
その上が士官 (尉官)    (金筋が3本)
その上は将校(少佐~大将)  (金地に赤筋3本乃至~金地のみ)
その上は元帥になるが、旧日本軍では元帥という位を置かなかった。
大将の上は、大元帥(天皇)のみ。

終戦時は、軍曹だったと言っています。
しかし、部隊配属から3年が満了する前に終戦になったため、
軍人恩給がもらえない。もう少し、戦争が続いてくれたらよかったのに・・・
と不謹慎な思いをもつ息子でございます。

またセミナーに参加しましょう。
前回は、伊勢の下見のため参加できなかったのですが、
講師のセルゲイ先生は、初回で、度肝を抜く講義をしてくださって
大いに刺激を受け、ゴタも今、そのあたりの関心が高まり、
学習へのいい刺激剤となりました。

わーい(嬉しい顔)

ところで、みなさん、ロシア語のプロばかり。
ちょっと、ロシア語の学習も始めましょう。

Мама Дома.
マーマ ドーマ

お母さんは家にいます。


おしまい
ゴタ
 

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4349番:過去日記まだ出てきました

2024-06-23 07:06:56 | 日記

2019年 3月28日(木)

 【ユニヴァーサルポート・ホテル】

USJが目の前のホテル。
ここのホテルで、エクスプレスチケットが売られています。
宿泊していなくても、購入可。ただし、すぐに売り切れるので、
朝行きましょう。

ゴタ、昨日、電話をもらった係員に会いに、コンシェルクデスクに行ってみたが、
電車遅延のため、まだご出勤ではありません。
そういえば、昨日はJRは、人身事故があって、環状線が全面運行ストップ。
大変だったそうで。ゴタは京阪電車の車内アナウンスで知りました。

【午前9時】

8時55分。だ~れの姿もない。あれ~。

9時00分、コンシェルジュさんがご出勤。
さすが、大手ホテル。電車が遅延してもご出勤時間はきっちり。

そして、まもなく、お客様もいらっしゃいました。あ~よかった。

【マップ広げて】

昨日、電話口では、

  「神戸と奈良を1日で回りたい。」

とおっしゃっていましたが、それは無理。
そして今、地図を見せて、無理であることを示しているにも
かかわらず、

お客様: Then we'd like to go to Nara and Kyoto and
if time permitted, to Kobe・・
     ほな、奈良と京都、それで、時間があったら、神戸も・・・

ゴタ : Definitely impossible !
あかん、ゆうてるやん!

お客様: Okay, then let's do with Nara and Kyoto.
     We really want to see Fushimi Inari Shrine.
     Look at this please.
     ほなええわ。わしら、何が何も、伏見稲荷は行きたいんや。
     ほらこれ!  
 
   お客様は、ガイドブックの千本鳥居の写真をゴタに見せます。
   それはわかるんだけど、さあ、車がうまく駐車できればいいんだけど・・

  【出発】

ホテル~奈良東大寺・奈良公園~ならまち(昼食)~京都・伏見稲荷~
京都工芸品店(ハンディクラフトセンターを選びました)~
祇園(白川と花見小路)~ホテル

ということになりましたが、奈良で、興福寺にも、立ち寄ったため、祇園は
車で通り抜け。車中見学となりました。
これで、帰着時間がピッタリ、午後6時。
本当は、8時間こーすなので、午後5時終了のはずですが、

 「1時間延長については、サービスしておきます。」 
 
とご奉仕を申し出ていました。なぜ?暇だったから。
転がり込んできた仕事でんがな。
但しグループの協力金、10%は申告しますで。
グループは楽しい。また総会というかお茶会をしましょう。
5月か6月まで待ちましょう。

年に2回も総会をするグループはほかにないかも!

わーい(嬉しい顔)

     
【東大寺着】

東大寺に着く前から陳さんご夫妻は、大はしゃぎ。
何をはしゃいでいるかと言うと、鹿がいっぱいいるから。
車の窓から、鹿に手を振っています。

しきりに

 「鹿にエサをあげたいんだよ。何かかいましょう。」

というので

 「エサは、到着したら、テント屋台で売っていますよ。」

 「早く、到着してくれ。」  

 「慌てさせないで!」

奈良市営バス駐車場に入ろうとしたら、係員がすっ飛んできた。

 「ここは、バス専用ですよ。戻りなさい。」

 「ぼ、ぼくたち、身障者なんです。
  で、できたら、ここの身障者スペースに止めさせてもらえますか?」

 「車椅子をお使いですか?」

 「だ、だ、大丈夫。おトイレぐらいまでしか歩きませんから。」


とか、何とか、ごまかして、やや強引に「おもいやりコーナー」
と名付けられた、身障者用駐車スペースに駐車成功。

ずるいことは、ずるいんだけど、海外から来られたお客様は、
日本に来るのは、生涯1、2度。
日本人観光客なら、またいつでも来られるっしょ。
だから、インバウンド客には、優先的に止めさせてあげてほしいの。
(言い訳ですが・・・)

  【鹿とたわむれタイム】

ここの鹿はみんな、エサをもらうタイミングを知っている。
陳さん(ご主人の名は、陳金耀さん、英語名、Normanさん)が
エサ代を支払ったとたん、鹿たちが、金耀さんの周りに群がります。

そして、鼻を金耀さんの身体のあちこちに押し付けて、

  「早くくれ!」

と催促します。まるで、借金取りのように。

鹿1:おいらの借金、早く返してくれ!

鹿Ⅱ:あたいが先だよ。もう3か月も、家賃たまってるんだよ、旦那!
   きょうこそ、支払ってもらうよ。

鹿Ⅲ:待った、待った。あっしが先でござんすよ。返済期限は、
   もう、とっくに過ぎているだぜ。
   さあ、さあ、耳そろえて返してもらおうじゃねえか!
   ねーか。  

鹿Ⅳ:ちょいと、待ってとおくれやすな。うちの支払いを先に
   おたの申します。娘が4月から大学に進学しますよって、
   お金がかかりますのや。はよ、返しておくんなはい。  

 とうとう、陳金耀さんのズボンは、鹿のよだれで、濡れてしまいました。
 これには、陳金耀さんも、お手上げ。

  「Oh No!」

 こういう時って、人は母国語になるんだけど、
 陳金耀さんは、英語でぼやいた。

 ということは、ご出身はどこ?
 お聞きしたところ、

  「ニューヨーク」

 だという。
 ゴタたちが冗談で言う「入浴」でもなければ、
「ハワイ」というサウナでもない。
 ホントにアメリカ国籍で、ショーコのパスポートもご持参。

 でもお顔は、東洋人。お名前は陳金耀さんだから、完全に中国人。
 ちなみに、わざと、中国語でしゃべってみたところ、
 ゴタも舌を巻くほど、素晴らしい中国語で返事がきた。

陳さん: 我在美国当老师
·     アメリカで先生やってまんねん。

ゴタ : 什么老师?
     何の先生?

陳さん:  是竹林寺拳法!
      你知道牙·?
·                  竹林寺拳法やねんけど、
      知ってはりますか? 
   
ゴタ : 没知道
     知りまへんでした。
     (少林寺拳法やったら聞いたことあるけど)

 何でも、この竹林寺拳法は、長い歴史があり、
 よく知られている蟷螂拳は、この武道の一派のようです。

 ちなみに、酔拳という一派もあるにはあるらしいが、
 大会に出場したことはない。
 ジャッキーチェーンの名は、今でも有名だとか。


  【ならまち】

 旧住宅の家並がつづく「ならまち」エリアを
 車で通り抜けます。
 ここは、ウォーキング・コースなので、歩いたほうが
 古都の情緒風情を味わえるのですが、なにぶん、本日は、
 予定ぎっしりツアーなので、先に急ぎます。

  
 【あしびの郷】

 ここで、昼食。時よく、あしびが咲いていました。
 あしびは、英語でandromeda ですけど、Japanese を付けたして

 a Japanese andromeda

 とした方が、納得してもらえると思う。

  みなさん、うどん定食をご注文。
  ここのうどんは、細麺で、直径2mmほど。
  念のため、調べてみたが、

 うどん : 直径 1.7 mm 以上
 ひやむぎ: 直径 1.3 mm 以上~1.7mm 未満 
 そうめん: 直径 1.3 mm 未満

  一応、定義に従えば、確かに「うどん」です。
  ゴタ、ちょっとびっくり。この頃、ゴタはスーパーで安売りの讃岐
  うどんばかり、食べているので、こんな細麺がでてくると、白いラーメンかと
  思ってしまう。
  四国のうどんは、5.0 mmほどあるのでね。

  
 【おみやげ】

  食後、ならまちを散歩・・・と思っていたが、ご夫婦は、
  この店で売られている奈良漬けに興味津々。
  さすが、中国系アメリカ人。
  西洋人は、見向きもしない「お漬物」を
  かたっぱしから味見。
 
  そして、「うり」 「だいこん」 「らっきょう」
  などの各種お漬物をお買い上げ。

  ただし、「うり」 は gourd では通じない。
  そういえば、瓢箪も gourd ですが、こちらも、通じません。

  「うり」 は a kind of melon と言っておきましょう。
  そして、「瓢箪」は guitar shaped melon

  かなり、めちゃめちゃですが、簡単に説明しなければならない我々ガイド
  には、こういうしかありません。

  さて、息もつけぬ間合いで、今度は、「吉野葛」 を指さし、

   「これは何だ?」

  葛は、辞書を引いたことがあるが、kudzu としか書かれていなかったはず。
  なので、試食できればいいのですが・・・
  お店の人に試食をお願いしたが、断られた。

  まごまごしていると、今度はとなりの袋入りの商品を
  指さし、

  「これはなんだ?」
 
 とお尋ね。葛湯である。が英語で説明しなくてはならぬ。
 苦し紛れに

   hot water kudzu starch
   
 と言ったが、通じません。
 
  だんだん、めんどくさくなって、

  jelly like hot starch.

と言ったが、案の定、

  What's that ?
それ、何やねん?

   Sweets !
  お菓子や!

 と言ったところ、お店の方が聞いていて、

  「お菓子と違いますよ。」

  「そんなことわかってますやん。どう説明すればいいの?」


  結局、降参。

  そして、今、調べてみたところ、葛は、やはり kudzu
       となっていて、解説欄には、日本語から英語にそのまま取り入れられた
  となっています。
   
  それでも納得しなかったので、さらに調べてみた。
  葛は an arrow root もしくは pueraria
       で、マメ科のつる性多年草。秋の七草のひとつという説明がありました。
 
  ということは、我々ガイドが知っておくべき単語でした。
  葛湯は 

    a kudzu-starch gruel

  なのだそうです。 さよか。でも、通じないと思うよ、これでも。


  【興福寺へ】

昼食後、ならまちの散策はせず、興福寺へ行くことになりました。

藤原鎌足の奥さんの名前をご存じですか?
そう、鏡女王(かがみのおおきみ)です。

Kagami-no-Ohkimi built Yamashina Temple
in 669 wishing for recovery from disease of her husband.

興福寺は、その前身が厩坂(うまやさか)寺といい、奈良にあった寺。
その厩坂寺の前身が山階寺。

タマゴがオタマジャクシになって、オタマジャクシがカエルになって・・・
みたいな。
そういうお寺です。 

興福寺になったのは、藤原不比等のとき。
不比等が、元明天皇の平城京造営のとき、
都の守り寺として、高市にあった厩坂寺を平城京の今の地に移し、
寺の名前を興福寺とした。だから、創建は、平城京と同じ年。

山階寺の創建は669年で、厩坂寺は、672年。
そして、興福寺は710年に生まれた。

人類がいつ生まれたか、という問題とよく似ている。
類人猿だったころなのか?
アウストラロピテクスの頃なのか?
シナントロプス・ペキネシスの頃か?

とりあえず、興福寺は、710年にできた、ということでガイドをしましょう。
だが、厳密にいうと、710年は造営が開始された年で、完成は、714年
になる。714年に金堂が立てられた。

さらに五重塔ができたのが、730年。光明皇后が建立。
お寺が建てられた年の線引きは難しいものですわ。

なお、興福寺も、東大寺と同様、1180年に、平氏の焼き討ちで、
ことごとく堂宇を消失した。
再建されたのは、1210年となっております。

さて、見学は、国宝館と東金堂の通しチケットを買うのがお得だが、

 「We'er not very interested in Buddhist arts.
  Rather would like to see temple buildings from outside.」
  入らなくてもいいの。外から建物を見てるだけで楽しいんだ。」

ということで、五重塔とか、北円堂とかを見て回ることになりました。

 【五重塔】 

日本で東寺に次いで2番目に高い塔。
室町時代の再建です。(最初の塔は平家が焼き討ち)

この高い建物を楼閣だと勘違いするお客様は多い。
塔はもともと、インドのストゥーパから発展したもの。、

ストゥーパとは、仏舎利を収めた塔で、簡単に言うと、お墓。

ご主人: ここに藤原さんが住んでいたのか?
     Is this Fujiwara's residence ?

ゴタ : え? ここは住宅と違います。
     Oh, this is not a residence.
     It's a stupa or pagoda.
     From ancient times, Buddhist Temples have built
     this type grave for Buddha.
     これは卒塔婆で、お墓になりますなあ。

ご主人:  I thought this tower was an old skyscraper.
     そうかいな。また、わしは、古代の摩天楼かと思いました。

ゴタ : Five of a five- story pagoda has a meaning.
     The first floor is reprisentaive of earth.
     Second, water, third is fire, fourth floor is wind
     and the fifth depicts sky.
     5というのは、意味があって、
     下の層から、土、水、火、風、空
     を表しています。    
 
  【南円堂】

興福寺には、南円堂と北円堂がありまして、北の方が、国宝に指定されて
いる鎌倉期の建造物です。今回は南のほうに来ました。

813年、藤原冬嗣が建立。
(こういうお堂は、建立より立柱と呼ばれるらしい。)

堂内は、暗くて、暖簾がかかっていて、よく見えないのですが、

 「不空羂索観音坐像」

が祀られていて、こちらは、国宝指定になっています。
1180年、次章の大火でオリジナルは消失。
この像は、その後、1189年、康慶の作。

不空とは、「空しく不(せ)ず」。
何を空しく不ずなのか。お参りした人の願いも世の人々の願いも
空しからず、という意味で、手には、羂索をもっていらっしゃいます。

羂索とは、救命ロープみたいなもんですな。
おぼれている衆生をこれで、もれなく救うというもの。
仏世界の救命隊員でっせ。

  【京都へ】

このあと、京都へ移動。
京奈和自動車道には、

 「たぬきに注意」

という道路標識が出てきます。

陳さん: What's that sign board for ?
     何の標識でんねん?  

ゴタ : It's a caution for raccoon dog.
     タヌキです。

陳さん: Raccoon dog ? What is it ?
     タヌキ? 何ですのや、それ? 

ゴタ : Raccoon is a dog-like animal
     with a long tail on it living in North America.
     Here in Japan, it's called tanuki, a small lovely
     dog.
     犬の親戚や。北アメリカのは、シッポが長いんやけど、
      日本では、タヌキゆいますねん。     

陳さん : I didn't know that.
      知らんかったなあ。

ゴタ  : Tanuki often teats people
      by disguising itself some other thing or man.  
      It can disguise even a cauldron with which man
      boils water for tea.
      たぬきは、化けますのや。
      茶釜に化けることもあります。

ご夫婦 : Ha ha ha ha
      アハハハ

   【伏見稲荷】

駐車場がこの季節、よく満車になるので、心配していましたが、きょうはOK。
無事、車を停めてから、本殿に向かいます。
正式には、拝殿と呼んでいるらしいが、ここで手を合わせて拝みます。     
 
   【千本鳥居】

ここに来たかったのだそうです。
1000本の鳥居ですが、実際に、奥之院までの
鳥居トンネル部の鳥居の数は、800本プラス
数十本。
但し、山頂まで数え上げると、約3000本弱。

宮司の説明では、5000本以上あるとのことですが、裏山の分は
数えることができないので、信じるしかありません。

   【京都ハンディクラフトセンター】

伝統工芸品を買いたい、と言われましたので、ここへお連れしました。
伝統工芸品は、見たい、というお客様には、岡崎のメッセへ、
買いたいという向きには、ハンディクラフトセンターに
ご案内いたします。

Tシャツ、数点をお買い上げ。ありがとうございます。
(回し者ではないけど)

   【祇園】

白川の柳の小径をゆっくり、車で通り抜け。
もう時間があまりないので、申し訳ないが、散歩中止。
そのまま、花見小路も通り抜けて、大阪へ。

   【ホテル着】

午後6時。無事帰着。
3月31日の食事場所の予約のお手伝いをして、お別れ。
当日は、祇園のAPAホテルにお泊りの由。
予約は、宿泊先からでないと入れられない、という料亭側の
要望で、ゴタの名前で予約しました。
(ちょっと心配。ちゃんと行ってくださいよ。)

 おしまい
 ゴタ 
 

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4348番:底に残っていた過去日記

2024-06-23 06:57:43 | 日記

2019 年4月1日(月)

 

数年前に案内したトレーシーさんが、この秋に再来日されるとのこと。
楽しいな~。

トレーシーさんとエンディさんは、今までのクライアント様の中では、
最高額のチップをくださり、今でもそれは、鏧子(けいす、鐘のこと)で残っている。
なので、我が家の仏壇は、トレーシー寺ともいえます。

今度会ったときは、マレー語も使えるようになっておこう。
先日、始めたロシア語に追加してマレー語も学習開始!

虎は、、マレー語で言うと「ハリマウ」

あのハリマオーの意味は、トラだった。マレーのトラをご存じですか?
山下奉文でっせ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E5%A5%89%E6%96%87

一方、ハリマオーは、谷豊。

谷豊はドロボーですけどな。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E8%B1%8A

ゴタは、シンガポールには行ったことがありませんが、
マンガ「大空のちかい」で親しみを抱いています。

じゃあ、ボクたちの知っているあの怪傑ハリマオーは?

それは、こちら:

  https://www.youtube.com/watch?v=cI2Jn0RE9ns
 

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4347番:過去日記2019年4月3日(水)ブラジルのお客様

2024-06-23 06:48:43 | 日記

2019年 4月3日(水)

セレスティン祇園様から、お仕事が入りました。
流しタクシー利用ウォーキングツアーなので、
本来、MLで担当ガイドさんを探すところなのですが、
連絡が入ったのは、夜だったので、もう募集する時間がありません。
すぐの返事が必要なので。

とりあえず、ゴタ自身が担当するとお返事。

お客様は6名のブラジル人。
6名というと、なかなか、タクシーの利用が難しいのです。

タクシーの定員はドライバーさんと合わせて5名。
ガイド自身も人数に入れるから、お客様は、3名様以下になる。

そして、ガイドのほうが、前の席で、ゆったり座り、お客様が、うしろで
3人、窮屈にすわるとなると、これは主客転倒。
3名様の車といえば、アルファード級の車になります。

京都のタクシー料金体系でいえば、もうこのクラスになると、
ジャンボタクシーと料金は変わらない。

さて、どういうところをご案内しましょうか?と
お聞きすると、

  「嵐山、特に、渡月橋と竹林です。」

なるほど。渡月橋~竹林の間は、かなり歩くことになるが、
それでも大丈夫か、聞いておかなくてはなりません。

約1000mありまっせ。徒歩1350歩。

  「歩けます。」

という確約を取って、ガイドを引き受けます。
とにかく、このコースは、歩き回る。

  【4月3日(水)】

祇園、セレスティンを6名+1(業界用語で、6PAX+1という)
で出発・・・のはずが、4名しかいらっしゃいません。

ゴタ  : Two more people have not come yet.
      2名さんがまだですな。   

お客様①: They are going from Kyoto Station to
      Shijo-Omiya directly.
      We 've already made phone call and told to go there
      and wait for us.   
      2名は、京都駅から直接行きますのや。
      もう電話で伝えてます。 

まず、四条大宮に出なくては、なりません。
そこから、嵐電に乗るからです。

お客様①:What is randen ?
     ランデンって何なの?

ゴタ  :Randen is a tram car that connects between Shijo-Omiya
     and Arashiyama.
     嵐電っちゃあ、四条大宮~嵐山間の路面電車ってことよ。

  【四条大宮】

京福(嵐電の運営会社)の駅の前には、すでに2名のブラジル人
らしき人が立っています。
ゴタたちのタクシーに気づいて、やってきた。


2名さん: ー(長音記号1) (何かブラジル語をしゃべっています)


ゴタ  : Bom dia.
      おはようございます。


2名さん: Bom dia. (このあと、ペラペラペラとブラジル語で

      まくしたてられた)おはよう・・(このあと意味不明)

      【あほの見本でした】      

 

                             
  
1日乗車券を買いました。500円で嵐電が乗り放題。  

嵐電に乗ります。ガッタンゴットン、街の中をゆっくり走る嵐電は
楽しいなあ~ハート   

     
   【嵐山】

渡月橋に向かいます。
橋の下に降りて、お写真タイム。

ここの観光スポット、見どころは「渡月橋」。
ただし、道昌が9世紀に建てた橋ではありません。
その後、角倉了以が、1605年に幕府の許しを得て
架橋を着工した。
そして現在の橋は、昭和9年(1934年)に
コンクリート工事で架け替えられました。

「どこが面白いんだか。」

と思えるような、何でもない橋なのですが、
橋の上は、人でいっぱい。
亀山天皇が、「月が渡る」ようだと言ったとか、言わなかったとか。
ゴタが言うのですが、「人がわんさか渡る・・というか集まる」
そういう橋じゃな。

 「渡人橋」でっせ。

その昔、小督(こごう)の局(つぼね)という琴の名手がいたそうな。
そのお局さんは、高倉天皇の愛人でした。

高倉天皇の奥さんは、建礼門院徳子、つまり平清盛の娘。
なので、平清盛は、義理の息子、高倉天皇に文句を言った。

 「こら、うちの娘を裏切るな。さっさと、小督の局と別れろ。アホ」

みたいなことを言ったんだよ、きっと。

そして、平清盛は、小督の局を宮中から追い出した。
小督局は、この嵯峨の地に身を隠して、ひっそり暮らしました。
高倉天皇は、人を使って(源仲国という腹心の部下)、この渡月橋あたりに、
小督の局を探しに行かせました。

そしたら、どこからともなく琴の調べが流れてきます。
その音楽は、「想夫恋」
結婚はしていないので、夫じゃないけど、日本語では、愛する男を夫と
言ったので、「想夫恋」とは、「あの人、どうしてんだろ」という意味です。
そういう音楽が流れてきた。そして、音を頼りに、行ってみると、
小督の局がいたのです。

国仲: もし、そなたは、小督の局じゃありませぬか?

小督: へえ、わてが小督どす。

国仲: 高倉天皇さんが、さびしがっておりまっせ。
    宮中に、お戻りやすな。

小督: そら、でけしまへん。清盛はんに
    しかられますよって。

それでも国仲がしつこく説得し、都へもどって行った。
清盛さんに内緒で、高倉天皇と夜ごと密会を続けることに。
が、うそはいつまでもつづきません。
ある日、清盛に知れて、小督の局は、出家させられます。

清盛 : お前なんざ、宮中にはおけぬ。頭剃って、出家しなはれ。

小督 : いやん。

でも、みなさん、人に、いいことでも、悪いことでも
施せば、必ず、自分の身の上に帰ってきますで。

清盛の娘、徳子は、やはり29歳の若さで落飾しましたし。 

という悲しい物語があるこの一角が、渡月橋。    

わーい(嬉しい顔)


【竹林】

渡月橋から、逆戻りして、竹林へ。
竹林と天龍寺庭園は、よくセットになっています。
その場合、庭園を通り抜け、北門に出ると、竹林への近道なのですが、
それには、庭園入場料、500円が必要。

なので、近道はあきらめて、普通のコースで歩きます。
竹林学園普通科入学。卒業は10分後。

バス停を左に曲がれば卒業。卒業式には、角っこの店で
アイスクリームを買う・・・人もいますが・・・
人いっぱいで、なかなか、買われへんよ。

大河内山荘までくれば、竹林の奥義を極めたことになる。
ここで、免許皆伝。

 「あなたは、竹林道10段。おめでとう。
  もう何も、おしえることはない。」

ということで、引き返そうと思ったが、お客様は

  「同じ道を帰るなんて、つまんない。
   違う道を通ろうよ。」

いや、この竹林に来て、違う道を帰りたいなんて、
それは、あんた、かなり、遠回りになるぜ。

と思ったが、まあ、いいじゃないの。行こ。

まあ、向井去来の家でも見ながら、けーりましょ。



みなさん、

 「おトイレに行きたいの!」

とおおせ。

でも、この嵯峨散歩道には、公衆トイレはありません。
そこで、喫茶店に入ることにしたのですが、
その喫茶店の言うには、

 「ご注文していただかないと、
  トイレ使用料ひとり100円いただきます。」

と言う。
 
 6名のお客様がいるので、600円だそうな。
そらまあ、商売なんやし、取ったらええけどな。
ちょっと、やりすぎな気もするが・・

そこで、

みなさん、コーヒーをご注文。

ところが、コーヒーが一杯500円。

まあ、このごろ、何でも高いからねえ。
 

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