60代、何が目出度い!

人生100年時代に備え、貯金も貯筋も大事!
そんな60代の日常を綴ります。

ひと段落。

2024-03-03 08:00:27 | 日記
この1週間は、怒涛の1週間だった。

先週の日曜日の夜、サザエさんを観ながら、夕飯を…と言うところで、電話が鳴った。
施設から…義母が息を引き取った、と。

その後、夕飯の味も、何を食べてるのかもわからず、着替えて、義母がいる施設に。
雨も降っていて、風の強い、寒い夜だった。

夜勤となった施設の担当者の方が、明るい方だったのが私たちには救いで。。
義母は一人で、施設の人が目を離した隙に、三途の川を渡ってしまったようだったが、顔は穏やかだった。
お疲れ様、お義母さん。

あと5日で、昨日で94歳だった。

翌日は、朝から葬儀社との打ち合わせ。
先月頭に容態が悪くなったと、義姉の方に担当医から電話があり、義姉から私の方に連絡があった。
そこから、葬儀社との最悪な場合を踏まえての…見積もりを取っていたので、ある程度の数字は出していた。
後は、焼き場が混んでると聞いていたので、広告代理店と同様に新聞雑誌ではなく?炉の枠取りしかない、なぁ。。と。
一般の人が好む時間帯を外せば、早く葬儀が出来るのでは?と、その旨を葬儀社に伝えた。
とにかく、義母のお金が無いだけに、1日でも早く葬儀をすればドライアイス、安置代が浮くと。

運よく、1日の金曜日の朝10時の枠が空いていたので、そこを取ってもらった。
当日は、その前の8時半から斎場の式で、お坊さんにお経を挙げてもらった。
コンパクトな花壇の式だったけど、可愛らしい義母らしい祭壇となった。
大きな遺影写真は私たちの方で、拒否したので、大きなフィルムが光を浴びて、祭壇の義母の顔は綺麗だった。
今回、生前整理で義母の家にあった、義父の大きな遺影写真の処分に困ったので。
これは、正解だった。小さい写真だけで、充分だと。
実家に飾ってある、先祖代々の人たちの遺影の処分を考えると、本当に頭が痛い。

午前中で、骨上げも終わり、そこからタクシーで移動して、皆で食事をして、解散。
お金は無かったが、葬儀社が互助会だったのもあり、義父が残してくれたのも幸いした。
コンパクトで義母らしい良い式だった、と。
義母のお骨は我が家に。。

で、翌日の昨日は、団地の家財道具の搬出。
私たちが約2ヶ月、出せるものは、ゴミとして出していたので、業者さんも助かった、と。
6人の若い身体の大きい男性ばかりもあって、予定通り、2時間で終了。
あっと言う間に、部屋の家財道具もガラクタばかりのベランダのものも、全て無くなった。

いつも私たちが帰る時に、ベランダから手を振ってくれていた義母…それも、40年以上。。
義母の目に映った景色は、こうだったんだ、と。。初めて、義母との別れの涙が出た。

葬儀の後の食事の時に、義姉からは、今回のことで、色々と感謝され、そしてお金の事も考えてくれていた。
私は、義姉は、「死後離婚」をしてると思っていたが、義姉は義姉なりに、(義兄が亡くなった後でも)義理の両親の事を考えてくれていた。
やはり、男兄弟は素っ気ないだけに、私たち嫁同士のコミュニケーション不足だった、と。
これからは、四十九日に向かい、お互いに連絡し合おう、と義姉と。
私も義姉に対して、あの人は…と、決めつけばかりで、反省しきり。。

この怒涛の2ヶ月、夫の腰も痛みが出ず、(夫は)花粉症持ちで、そんなに今のところ酷い状態ではない。
そして夫婦共々、風邪も引かずで、ここまで乗り切れた。
私はピラティスも隙間時間を見つけては、やっていたのもあるから、元気そのもの!葬儀の後も戻ってレッスンに出ていた。。(爆)

まずは四十九日が終われば、一応、肩の荷が降りる。あと少し。。