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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

お月見は準備万端

2009年10月04日 03時57分53秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは十五夜。仲秋の名月です。孫が来て泊まると連絡があったので、『お月見』をしようと朝から張り切りました。まず朝の散歩に出てススキが池の土手にあるのをたしかめ、これは孫が来てから散歩に出ていっしょに切ろう。団子を飾る台をつくらなくては。手ごろの板をさがし出して小屋で大工仕事をしました。
 二年前に買って植えた栗の木はまだ肩の高さにもならないのに、ことしはイガが六つつきました。けさ見ると二つのイガが落ちていて栗の実四つをゲット。これは団子の月見台に飾ろう。それにしても「桃栗三年柿八年」とはよく言ったものだと感心します。柿は四本植えたのに生き残っているのは一本だけ。まだ五年も猶予があるからしっかり育ってくださいね。
 ネットで月見団子のレシピを調べ、上新粉を買いに行きました。さっさと歩いても15分かかりますが、隣りのに小さな食料品店があるのです。飾るものは家でとれたものだけにしようと畑を漁り、オクラ・サツマイモ・ナスビをとってきました。
『家族の団欒』をもの心ついた子どもは夢見るものでしょうか。その頃は仲のわるかった両親に気は重くても、思春期の兄弟はクリスマスといえば山奥からモミの木を切って、かついで持ち帰ったことがあるし、七夕といえば笹竹を切って短冊を飾ったのを思い出します。しかしお月見にススキや団子を飾った記憶はありません。
 家庭をもつようになってからは子どもたちといろんな行事をしましたが、ススキを飾ってお月見をした記憶は残してやれなかったなー。
 去年見た『パコと魔法の絵本』という映画を思い出しました。事故の後遺症で一日しか記憶がもたず、きのうあったことは全部消えてしまう女の子のお話です。その子の記憶になんとか残りたいと病院の風変わりな患者たちは必死になります。
 人間は、子や孫になにかを残してやろうとあくせく生きるけど、結局記憶に人のぬくもりを残してやるのが一番ではないか。ふとそんなことを考えました。
 写真のはるか向うのなだらかな丘に、大きな十五夜の月が昇る。家を建てていた三年前の秋、棟梁を手伝いながら見事な名月を見て感動しました。あの感動の再現はできませんでしたが、孫は団子をしっかり食べました。
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