古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

映画『ディファイアンス』をはじめて知りました。

2013年01月07日 04時31分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
「一体、何時に起きてブログ書いてるんだ」と知人にいわれることがありますが、8時や9時に就寝すると2時か3時には目が覚めてしまいます。本を読むこともありますが、ブログを書くか深夜にテレビの映画を観たりもします。先日は〈CSテレビ〉の〈ムーヴィー・プラス〉(832チャンネル)で『デファイアンス』(2008年製作・アメリカ)という映画を観ました。それが心に残っています。
 これは実話に基づいた映画ですが、「ナチスのユダヤ人狩り」でこんなことがあったのをはじめて知りました。簡単に紹介します。
 1941年6月にナチスドイツはソ連に攻め込み、勢いよく進撃しました。そして占領した地域で「ユダヤ人狩り」をして虐殺しました。狩り立てられたユダヤ人が走らされ、掘った穴に一列に並ばされ、後ろから銃で頭を撃たれて倒れる実写映像をいまも目にします。(この映画の冒頭にも出てきます)
 ベラルーシとの国境に近いポーランドの寒村でも、「ユダヤ人の虐殺」がありました。そのとき両親や家族をを虐殺された「ビエルスキ・三兄弟」はベラルーシの森に逃げ込んで難を逃(のが)れました。そして同じように森に逃れたユダヤ人を、三兄弟は集め、みんなで助け合って生き延びました。
 しかし映画『戦場のピアニスト』のように、ひとりのピアニストをレジスタンス組織がかくまったような生やさしい話ではありません。最終的には「1200人の森に逃げ込んだユダヤ人」が自ら銃をとって戦い、自治組織をつくり、食料を調達して配給し、病院や学校や刑務所までつくり、三年余を生き延びた実話です。
 この実話は『アンネの日記』のように有名になりませんでした。『シンドラーズ・リスト』のように発掘されませんでした。埋もれたままだったこの話がこのたび映画になったのです。詳しくは〈映画・ディファイアンス〉をネットで検索してください。
 映画には食料配分をめぐってリーダーの兄弟に処刑されたり、捕まえたドイツ兵をみんなが叩き殺してしまう場面もあります。ソ連兵や赤軍とのやりとり、ドイツ兵との戦闘も出てきます。戦後この兄弟はアメリカに渡って運送会社をつくり成功したそうですが、この話をことさらすることはありませんでした。ポーランドの現地では、森のユダヤ人は「山賊」のように略奪した人たちと見られていました。
「1200人の人々は戦後まで生き延びて、数万人になっている」(不確かな記憶ですが)というラストのナレーションに《命の大河》を思います。 
 そしてブログに書いたビデオ『軍旗はためく下に』をまだ観ていないことに思いが飛びます。
 日本軍の軍隊内部でのいじめ、上官の不条理な命令、卑劣な敗戦後の行動、などが出てくるのではないか。
「いまごろになって腹を立ててもどうしようもない事件にとりつかれてしまったらどうしよう」という恐れで観るのに二の足を踏んでいます。最後の「ホッ!」とする〈なにか〉が見えない。「昔のことではないか」「いまさらどうにもできないではないか」と思おうとしても。
 テレビのニュースで殺人や幼児虐待やいじめなどのニュースがあると、避けるようにしています。聞いてもどうしようもない。悲しみだけが残る。やりきれなさが残る。
 また考えます。 (つづく)
コメント
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