古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『アンネの日記』はいまもナチスを撃ちつづけています。

2014年02月28日 04時02分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 いまなぜか図書館で『アンネの日記』が破られて話題になっています。
 20年以上前のことですがぼくはその『アンネの日記』を精読したことがあります。〈初恋〉らしきところをチェックして、思春期の少女の想いにふれてみたかったのです。そのとき、この日記の背景も調べてみました。
 フランク一家は、秘密の隠れ家にかくまわれていました。しかし密告によって「ゲシュタポ」(ナチスの秘密警察)に踏み込まれ、収容所に連行されました。ゲシュタポは隠れ家を家宅捜索して、衣服や本を蹴散らしました。
 その時床に投げ捨てられた一少女のノートが、戦後70年たってもヒットラーを、ナチスを、撃ちつづけています。
 収容所で紙屑のように消された命が、いまもその犯罪を告発しています。

 日本はナチスと歩調を合わせて三国(日本・ドイツ・イタリア)同盟を結び、アメリカやアジアの国々に「大東亜戦争」を仕掛けました。そして軍部や憲兵の犯罪的な仕打ちが、戦争に負けてから告発されました。ぼくのブログでは何度もふれていますが、その仕打ちをした人たちの責任追及は、敗戦後きちんとなされたでしょうか。
『一億総ざんげ』という言葉で、天皇から無茶な命令をした上官までが〈免罪された〉ことにしたのではないか。
 ぼくは昭和12年に生まれました。すぐ上の世代は青年として戦争に巻き込まれ、徴兵され、中国やアジアの南の島にやられました。
 国民は満蒙開拓団として「満州」に送り込まれました。
 日本の軍隊はソ連侵攻のとき、開拓団を見捨て、日本国民を見捨てました。
 ソ連は敗戦直前の1945年8月9日に侵攻してきました。二日後の8月11日には飛行機で新潟に逃げ帰ってきた軍人があったそうです。日本の開拓団が逃げ惑っていたときです。『満蒙開拓青少年義勇軍』のことを取材していたとき聞いた話です。
「そんなことしたんか。そらわるい。だけと大昔のことやないか。いつまでもそんなことほじくらんでもええがな」
 と、言われそうですが76歳になるぼくは、その話になるといまも心が波立つのです。
 また、まとまらなくなりました。生涯言い続けるしかありません。
 日本にも『アンネの日記』のように《昭和軍隊の犯罪》を撃つ作品はいくつもあります。
 いまトイレ読書は『ルソンの谷間』です。どこでもいい、開いた数ページを、日々読んでいます。
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