古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

一回目の草刈りができました。

2013年04月30日 03時12分49秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 見なれた畑の全景です。いつも同じアングルの写真になってしまいますが、今年一回目の草刈りがほぼ完了しました。南の土手の下半分はまだ刈ってないのですが。冬に道路側の足場をはずして修理したときは、足場に立つのを「落ちそうだ。こわい!」と思いました。きのうはそんな感じはしませんでした。
 なぜでしょう。考えてみました。

 たしかに、高齢になって、脚の力が落ち、バランスも危うくなっている。しかしいまの「身のこなし」力で、足場を歩くのは問題ない。しっかりした足場を慎重に歩く力は十分にある。「こわい!」と思うか・思わないかの分岐点は、「草を刈るという目的意識があるか・ないか」だ。
  
 こんな話をきいたことがあります。
 
 人間と犬の細胞は、同じような材質で同じようにできている。犬は長生きしても20歳までに死ぬ。人間は80歳まで生きる。同じような細胞の集合体である「犬」と「人間」に、どうしてそんな差ができるか。それは「生きるという目的意識」をもつか・もたないか、の差ではないか。

 かつて哺乳類はみんな四つんばいで移動する動物でした。ところがあるとき、人間は二足歩行するようになりました。人間は、なぜ「二足歩行する」ようになったか。
 「この問いにある中学生がこう答えた」と講演できいたことがあります。
  
 それは人間が「二本足で歩いてみよう。」と思ったからではないですか。

 講演した高名な教育学者は、「おそらくこれが正解に近い答えでしょう」と話していました。

 ひまな老人は余生を何気なく生きているのに、いつ死んでも「ま、いいか……」と思っているのに、「明日の予定はこれだ」という目当てがあるわけでもないのに、生きてます。
 人間という動物は、存在の根源のところに、「生きる目的意識」があるのでしょうね。


 

 
 
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