給水塔のある公園を横目に階段を登り始めると、
先程見た(気がする)木に可憐な花
良く見るととてもお洒落!
コゴメウツギ
次は、毎年記録してきたタマノカンアオイ
何時もの場所では見つけられず、少し上で。
フクロウに見つめられているような気分
条件が悪く、これ以上鮮やかには撮れず、・・・・。
隣りで黙っていてくれる新顔
鮮やかで、一寸グロテスクなイメージに撮れるのは何時のことか、・・・・。
もう少し短焦点のマクロが欲しい、
出来れば照明付きが欲しいけど、キャノンしか無いみたい!?
落ち葉を踏みしめ、滑らないよう下り坂を歩く。
日当たりが弱く、未だ開花していなかった。
近くにはギンランも映えていた。
そして、
この界隈にしか生き残っていないとも言われるタマノカンアオイ
この丘陵にはかなり元気で花開いています。
落ち葉の下で、出来立ての華を発見
なんとか生き残って欲しい!!
木の階段を降りていく。
階段の中に生えてきちゃったキンラン
危険すぎる!!
ナルコユリ
コバナタツナミソウ
白もちらっと、
再び住宅街を抜ける。
日がさし始め、急に暑くなった。
薄いジャンバーを脱ぎ、シャツだけでも寒くない!
高幡山に入り、
比較的なだらかな道を下る。
江戸時代から伝えられてきた勝五郎伝説、その小宮家のお墓に来た。
この探究調査団さんの資料の内、中野村から程久保村の藤蔵の生家との距離が、
本人(祖母?)は2里と述べたらしいと平田篤胤の記録にあるが、探究調査団資料には凡そ5kmと刷られていた。
しかし、
私が歩いた処、中大の中へは入れなかったにも関わらず1時間で到着した。
グーグルでの計測も凡そ4km以内だった。
正しい距離はどのくらいか問い合わせたが、正確には測っておらず、
徒歩で約1時間だったので、「凡そ5km」と刷ったとの返答だった。
「江戸時代の記録では2里というのが定説のはずが、どうして1里一寸に変えたのか、理由を知りたい!」
すると、
「もう刷ってしまったので、・・・。」と、理解できない返答だった。
没後200年の記念事業としては物足りないなーと思っている私。
日野市の郷土資料館には、素人の問い合わせに応えられる探究と調査を願いたい!!
探求だから、究めなくても構わない!!ということだろうか?
もやもやが残る応対が心残りだった。
5月4日は、17,218歩 歩きました。
5月5日 午前8時29分 室内の気温は、21.8℃ 湿度 50%
外気温は、35.1℃ 湿度 34%
どんどん気温が高くなってきた・