私が仕事を始めた1970年、11月に東武百貨店で開催された三島由紀夫展を勤務先でプリントなど作業を請け負った。
私は未だ手出しできるレベルではなく、遠巻きの一人だった。
しかし、
閉展の一週間後、仕事の合間に、テレビで三島由紀夫氏が自衛隊バルコニーで熱弁を振るわれているのを見た。
楯の会の服を着て何をされているのだろう?
と思い、仕事を終えて池袋駅に到着する。
地下道で
「号外 ! 号外!! 三島由紀夫氏 自決!!!」
の叫び声と、号外が配られていた。
53年前の出来事だが、体感とは何年が過ぎようとも忘れられないものだと思うこの頃
その自衛隊のバルコニーの雰囲気が残る市ヶ谷記念館に到着
中に入ろうとすると、何故か脇に移動させられた。
こちらを先に見学下さい、とのこと
スティルマン・インドネシア共和国 初代国軍司令官の立像。
連絡があり、記念館入口へ回る。
(要人が退館されたのかな?)
内部ではまずビデオを見学、2階へと案内された。
二階席より、玉座を眺める
二階の一番奥の部屋がその部屋らしい
窓の外にはバルコニーが見えた。
バルコニーは随分広かったんだ・・・・
当時の建物の縮小模型を見学
丁寧な案内が続く
皆さんが出られてから、「朝日新聞カメラマンが撮影した窓は何処か?」と聞くと、随分高い位置を示唆された。
戦前の軍人さん記念写真はガラス乾板で撮影、プリントはべた焼きとの説明
三島由紀夫事件の時に付いた刀傷が残されている。
これは何処だかよく分からなかった、・・・・。
1回へ降りて玄関脇の時計と紋章
建て替えられたとき、取り外し、現代にふさわしい物に変えられたそうだ。
大講堂の見学も、
床
痛みが激しく取り替えられた一枚板と、テープの跡が消えない昔の床材
玉座前へ上がり、講堂を見渡す
あれだけ大きな規模の裁判が行われたとは思えないほど狭い印象
玉座近くの壁面は威厳を保って見えるよう工夫が成された居たと言う。
玉座前を降りて振り返る
正面から、
退出します。
実物とは少し違う印象だが、
当時の建物と少し違う印象だが、名残はある。
そして、厚生棟へ案内された
コンビニが入っていたり、自衛隊グッズが販売されていた。
一休みの後退出
庁舎E棟の間を抜けて、
エスカレーターのある場所に
此処でお見送りを受けて、正門でセキュリティカードを読み込ませ退出、
返却をした。
緊張する場所だったが、意外にあっさりにも思えた。
長年の支えが取れたような気もした防衛省見学、これで終了。
正門前で解散、
会社へと立ち寄った。
書類を渡し、カレンダーを受け取ったり、見学した防衛省を眺め、
退社した。
12月17日 日曜日は、7,764歩 歩きました。
12月18日 月曜日 4時05分
室内温度は、17.7℃ 湿度は 43%
外気温は、 0.7℃ 湿度は 57%
今朝の気温は随分低く、いよいよ冬本番か?!
今日は、家の10年目の点検日、変わった箇所がないことを祈り、待機します。