地域の誰もが認める「みかん作り名人」が、まさかのことに「新米」を持ってきてくれた。近隣で「お米」を作っている農家は珍しい。
みかんが高値の頃だった昭和30年代、管内ではどの農家も水田に山土を入れ「みかん園」に転換した。以来、殆どの農家が「お米」を買うようになった。かつてはミカン農家だった我が家もそうだった。
その頃からコメ作りは機械化がすすんでいた。トラクターやコンバインなどの購入費用や買い替え費用を考えると、何ヘクタールもの大規模栽培でないと採算があわなくなっていた。平地の少ない和歌山県では、特にそうだった。
そんな中、今でも、水田の一部を残し、「お米」にこだわり、家族が食べるお米を作り続けている農家も稀にいる。コストにこだわらない農家がいる。
今日、「新米」を持ってきてくれた「みかん作り名人」の彼も、「食」にこだわりのある1人だった。
そんな貴重な「新米」だけに、一粒一粒を、よく噛みしめ・味わい・感謝しながら頂かなくっちゃと思っている。
おおきに!!!