ひでんかの”雅でない”日々

庶民の"ひでんか"の日々はちっとも雅じゃないけれど、いろんな人達と楽しい毎日を過ごしています

父の終活

2014-01-02 21:59:57 | ひでんかの「日々の徒然」

父をホームへ迎えに行きました。
7月に緊急入院して、転院したときも病院→病院。
11月に外出して以来の帰宅です。

「暖かいから、家まで車イスでもいぞ」
と言っていたのですが、暖かいのは施設の中だからこそ。
(特に南向き2階の父の部屋は
「暖房をつけなくても晴れの日は昼間26度もある」
という「常夏ルーム」です)
外に出た途端に
「表は寒いなぁ」
(冬ですから...)

実家まで、車では2分ほど。
車からは自宅まで車いす、玄関からは片側は人が支えて(今日は、男手が多いので安心デス)杖をついて部屋まで行きました。

ホームでは、当然ながら「お餅」は出ないので、お雑煮とおせち、
「何ヶ月ぶりだぁ?」のビールと日本酒もちょっぴり。
昨年までと同じ「お正月」です。

食事のあとは、父の部屋で「荷物の整理」
引き出しや、なにが入っているのか???のバック等を開けて、選別していきます。
会社員時代の名刺の束
(エライ方の名刺が山ほど!今は無い会社も多数)
勤続10年の表彰状とか、会社の名簿、研修を受けたときの資料...
プライベートでは、
昔の実家を建てたときの工務店の領収書等々
「なんで、こんなものまで?!?」
というものもありましたが、ほとんどのモノは
「いらない、棄てていい!」
と。
2時間ほどかけて、古い写真や、新しい書類等、紙袋3つ程にまとまりました。
(ゴミの袋はその〇〇倍???)

父にとっての「終活」です。

「もう、どうでもいい。なんでもいい」
が口癖の父。
一見「投げやり」とも取れるのですけれど、
「これは、取っておこう」と、自分にとって大切なものはちゃんと選別しているところを見ると、「今の状況に対してネガティブではないのだなぁ」と、つくづく思いました。

ホームに帰って、荷物を自室の棚に収め、テレビやベッドのレイアウトも変えると
「よし、これで全部揃った。オッケーだ。
ありがとうな」
(ご満悦デス)

父にとって、昨年は、肉体的なことだけでなく生活環境まで、大きく変わった年でした。
そんな中で、めげたり落ち込んだりすることなく(実際には「落ち込んでいる」のかもしれませんが、まわりには一切感じさせません)、新しい環境に順応していく姿には、我が親ながら
「あっぱれ!」「お見事!」
そんな言葉しか出てきません。

自分も、こんなふうに歳を取りたいと思います。

14010200
実家のベランダからの富士山。
毎年、お正月に「ベストショット」を狙っているのですが、昼間がピーカンでも、夕暮れ時には雲がかかってしまいます。
(なぜ?!?)

コメント (2)
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