えっ?もう、終わっちゃうんですか!?
というカンジです。
特に今年の2月は、実家の引越あり、インフルエンザあり、オリンピックあり...(オリンピックは関係無い?)で、本当に、 あっ、という間に過ぎてしまいました。
最近はあまり聞かなくなりましたが、「大の月、小の月」と言って31日まである月と無い月を分けていましたが、2月は、小の月のなかでも、更に”極小の月”というべきですね。 明日は、もう3月です。
えっ?もう、終わっちゃうんですか!?
というカンジです。
特に今年の2月は、実家の引越あり、インフルエンザあり、オリンピックあり...(オリンピックは関係無い?)で、本当に、 あっ、という間に過ぎてしまいました。
最近はあまり聞かなくなりましたが、「大の月、小の月」と言って31日まである月と無い月を分けていましたが、2月は、小の月のなかでも、更に”極小の月”というべきですね。 明日は、もう3月です。
オリンピックが終わりました。
(「いつ始まったんだか...」の私でも、あれだけ連日、テレビや新聞で報道していれば、「はじまり」と「おわり」くらいは分かります。)
今回のオリンピック、日本は金メダル1個だけ。
いくら「参加することに意義がある!」と言っても、やはり参加したからには「たくさんメダルを取ってくれなくちゃ!!」と思うのがオリンピックなのでしょうか?
(つい先日、お友達が
「な~にが「結果はどうあれ、皆さんに感動を与えたいと思います。」よねぇ~~。
感動なんかいらないから、メダルを取ってよ!
って言いたいわよ。
税金使って行ってるんだし、こっちは眠いのに真夜中起きて応援しているんだから...」
と言っていました。
(しかも、かなりお怒りのご様子。コレって、もしかして、日本人を代表する意見だったりして.....?)
でも、オリンピック選手って、ちょっと気の毒なカンジもします。
ほとんどの人は「オリンピックに出たい」から、その競技を始めたわけでは無くて、
「やってみたい。面白そう。」から始まったのだと思います。
そして、天性の才能や練習の成果で、結果としてオリンピック選手に選ばれたのであって、決して「誰かのため」ましてや「日本国民のため」なんかに選手になったのでは無いでしょう。
それが、勝てば「ヒーロー・ヒロイン」、負ければ.....。
テレビのアナウンサーが「○○選手は、楽しんで競技に臨んでいますね」と、実況中継しているのを何回か耳にしましたが、画面で見る選手はあまり楽しそうに見えなかったのは私だけでしょうか。
(「もう、放っておいて!!」と、言いたそうに見受けられました。特に初出場の選手とか)
でも、そんな、外野の雑音や、励まし、応援、プレッシャー...
モロモロ、ひっくるめて、乗り越えていかないとオリンピックのメダルは手に入らないのでしょう。
日本選手団は明日帰国するそうです。
メダルを取った人も、取れなかった人も、
とにかく、まずはお帰りなさい。...そして
お疲れ様でした。
日記の読者でもあるお友達から
「最近、ちっとも事件が無くてつまらないんですけど...」
と、言われました。
確かにこのところ”お籠もり”して「鶴の恩返し」状態で、お仕事をしているので、あまりお出かけしていませんし...。
そう、お答えしたら
「でも、ひでんかさんだったら家にいても、事件の方が飛び込んで来るんじゃないかと思って」
「飛び込んで来るって、いったい何が?」
「鳥とか、飛行機とか.....」
鳥はともかく、飛行機って!
そんな物騒なこと仰らないでくださいませ。
(本当に何か飛び込んできたら、どうするんですか!?)
鴨川シーワールドで「シャチの赤ちゃん」が生まれたと、ニュースで言っていました。
と、いうことは.....
先月、訪れたときに、プールで泳いでいた中の誰かは”身重”だったということですね。
「言ってくれればヨカッタのに...」
(でも、それを聞いたからと言って、何をしたわけでは無いのですけれど)
赤ちゃんとはいえ、体長2メートル、体重は200㎏近くあるそうです。
逆子で頭から出て来たそうですが(人間と逆なんですね)、母親の体内から出た後は、すぐに元気に泳ぎ回っているそうです。
さて、「シャチ・ファン」としては、こうなったら、また近々、会いにいかないといけません!!
(なんだか、遠くに住む孫に会いに行くみたい...?)
会いに行くまで、順調に育っていって欲しいです。
今回の”Myオリンピック”は「カーリング」だけで終わってしまうかと思っていたのですが、やっぱり見てしまいました。
フィギアスケート
荒川選手の演技に、正に引き込まれました。 結果として、金メダルで、それはモチロン、おめでたいことなのですけれど、たとえ結果が金で無かったとしても、今日の荒川選手の演技は素晴らしいものだったと思います。 荒川選手の演技を見終わった後、 「これが、オリンピックというものなのだ」と、実感したひとときでした。