加西市に戦時中の飛行場跡があるとは聞いていました・・・。
先日、孫を送って行った時にそれらしき地形を見つけたので、帰りに寄ってみました。
滑走路?
鶉野(うずらの)飛行場跡・・・
姫路海軍航空隊鶉野飛行場、川西航空機姫路製作所鶉野工場跡は、太平洋戦争が悪化しはじめた頃、優秀なパイロットを養成するため、昭和17年に着工し、昭和18年に完成した旧日本海軍の飛行場跡です。
当時、航空隊には、17歳から25歳までの若者が全国から集められ、ここで30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていきました。 昭和20年には、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」が編成され、終戦までに63名の尊い命が失われたそうです。
終戦とともに閉鎖。現在も滑走路跡地はほぼそのまま現存し、周辺には防空壕の跡など生々しい戦争の爪痕が残っています。
今は、飛行場跡は加西市が管理しており、一部は神戸大学農学部の敷地として利用されているようです。
映画『火垂るの墓』のロケに滑走路跡が使用されました。
この道は何度か通ったことがありますが、飛行場跡がどこなのか分かりませんでした。最近、加西市が管理するようになり、整備が進められているようです。近くには「鶉野飛行場資料館」があり、滑走路跡に作られた「備蓄倉庫」内には大戦中に鶉野町の組立工場で製造されていたと言う「紫電改(戦闘機)」の原寸大模型が格納されていましたが、どちらも見学出来ませんでした。
今回はついでに立ち寄ったためカメラを持っていませんでした。見学も出来なかったので、機会があればじっくりと訪れてみたいと思っています。(写真は加西市のHPよりお借りしました)
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当時、航空隊には、17歳から25歳までの若者が全国から集められ、ここで30時間の飛行訓練を受けた後、各航空隊へと散っていきました。 昭和20年には、練習生による神風特攻隊「白鷺隊」が編成され、終戦までに63名の尊い命が失われたそうです。
終戦とともに閉鎖。現在も滑走路跡地はほぼそのまま現存し、周辺には防空壕の跡など生々しい戦争の爪痕が残っています。
今は、飛行場跡は加西市が管理しており、一部は神戸大学農学部の敷地として利用されているようです。
映画『火垂るの墓』のロケに滑走路跡が使用されました。
この道は何度か通ったことがありますが、飛行場跡がどこなのか分かりませんでした。最近、加西市が管理するようになり、整備が進められているようです。近くには「鶉野飛行場資料館」があり、滑走路跡に作られた「備蓄倉庫」内には大戦中に鶉野町の組立工場で製造されていたと言う「紫電改(戦闘機)」の原寸大模型が格納されていましたが、どちらも見学出来ませんでした。
今回はついでに立ち寄ったためカメラを持っていませんでした。見学も出来なかったので、機会があればじっくりと訪れてみたいと思っています。(写真は加西市のHPよりお借りしました)
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