今日は9月4日、そして明日9月5日でとうとう引っ越しの日がやってきます。このマンションに移り住んだのは32歳の時、亡き父が2年後に定年退職を控えており、直前に官舎を出て余裕を持って自分の住処を構えるのが、海上保安部の慣例となっていたからです。私たちにとってもやっとこ叶えた「夢のマイホーム」張り切って、家財道具を揃えていたのを覚えています。その基準は「もう引っ越さなくっていいのだから良いものを買おう、素敵なものを買う」でした。そして32年後、この家具はほとんど廃棄処分となりました。ただではありません。悲しいです。狭いところに引っ越すんだから仕方がないのですが。両親は、まさか32年後に娘の「介護保険」のことで、このマンションを手放すなんて考えてもいなかったと思うし、これで安泰だと思っていました。我が家が1番いい時期でした。私も1番活動的な時でしたね。綾小路きみまろではないけれど「あれから何十年」引っ越しを迎えます。19歳から24歳までを過ごした、思い出の街に引っ越すことになりました。もちろん40年を過ぎているわけですから、街並みはすっかり変わっています。その頃私が住んでいた借家もどうなっているのかわかりません。その頃の借家は、5丁目で、今度のマンションを1丁目です。多分歩いて行けるところに昔の家はあったでしょう。私が卒業した『聖和女子短大』は、今共学となり、「国文科」は廃止、キャンパスも薬師堂の隣から、中山のほうに移ってしまいました。私が卒業したことを裏付けるのは、卒業証書と私の記憶だけと言う寂しいものです。でも、現在放送されている『光る君へ』は、源氏物語を書いた紫式部の生涯を描いており、国文科では、源氏物語は必修科目だったから観ていて面白いです。結構覚えているものですね。19歳から20歳までの私は変更真面目に勉強していたのです。まぁあのドラマはフィクションであり、史実とはかなり違います。ドラマでは紫式部と清少納言の性格が反対に描かれているような気がします。紫式部はもっと粘着質で、暗い感じの人です。日記などで清少納言の悪口を書きまくっている女です。枕草子の清少納言は、あっけらかんとした感じがありますし。まあ、仕えている彰子中宮と定子中宮のバックの人々は、敵対している間柄でしたからね。ドラマの仲良しこよしはありえないことです。
あっ、引っ越しの事を書いていたのでした。つい思い出に浸ってしまいましたが、昨日3日.多賀城の最後の思い出に.存在は知っていたけど、行ったことがない、わらび餅のお店に行ってきました「天使のわらび餅、ふわり」と言うお店です。
若い女性が一人でやっている。小さなお店。「飲むわらび餅」が売りで、若い人たちに評判のお店です。飲むわらび餅とは、わかりやすく言えば、タピオカミルクティの感じのビジュアルで、タピオカの代わりにわらび餅の砕いたものが入っていると言うものです。昨日は蒸し暑かったので、冷たい甘いものはとてもおいしかったです。良い思い出になりました。