シュリマンによって発掘された、3000年期の後半のものと思われる、第2層の第2市の城壁は、壮大にして堅固であり、城市の入口にあたる楼門も雄大な構えにつくられている。城内には、メガロン式の王宮と思われる建物が建ち並び、その隆盛ぶりが偲ばれるのである。尚、この遺跡から驚くほど多くの財宝が発見されているのである。また、第6市の時代も隆盛な時代であったろうと思われる、その城市の城壁は、広大な領域に及んでいるのである。トロイ戦争時のトロイと思われる第7市Aは、この第6市のすぐ上に位置している。話をもどします。
この時代、ギリシア人たちは、西は、イタリア地方、東は、小アジアの西沿岸地方、そして、問題のペレスポントス海峡を通り、黒海沿岸地域への活発な交易に加え、関係のある地域には、小ポリスの建設と、その展開は、海賊ではないかと思われるくらいに惨烈を極めたのである。
この時代、ギリシア人たちは、西は、イタリア地方、東は、小アジアの西沿岸地方、そして、問題のペレスポントス海峡を通り、黒海沿岸地域への活発な交易に加え、関係のある地域には、小ポリスの建設と、その展開は、海賊ではないかと思われるくらいに惨烈を極めたのである。