つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

単行本と文庫本

2014-12-08 12:20:46 | 日記

今年の3月くらいまでこのブログに毎月、読んだ本をアップしていたのだが、(わずか3ヶ月で)面倒くさくなったのと、

「そもそもどこの酔狂者が、俺が読んだ本なんぞに興味を抱くのか?」

という根本的な問題点に気づき、尻すぼみ的にこのテーマの投稿は沙汰止みになっていた。

一部の酔狂者様、申し訳ござらぬ。

 

とはいえ、別に4月以降読書から遠ざかっていた、というわけではないぞよ。

映画とゴルフとサーフィンと落語と読書と酒以外に特に趣味もないし。

 

というわけで(どういうわけだ?)、4月以降に読んだ本は以下のとおりでござる。

【4月】

「大人がサーフィンを始める時に読む本【ロングボード編】」(出版社)

「天才!柳沢教授の生活」29巻~34巻(山下和美・モーニングKC)

「波乗りの島」(片岡義男・角川文庫)~【収録作品】白い波の荒野へ、アロハ・オエ、アイランド・スタイル、シュガー・トレイン、ペイル・アウト~

【5月】

「天涯1 鳥は舞い 光は流れ」(沢木耕太郎・集英社文庫)

「天涯2 水は囁き 月は眠る」(沢木耕太郎・集英社文庫)

「天涯3 花は揺れ 闇は輝き」(沢木耕太郎・集英社文庫)

【6月】

「淳之介さんのこと」(宮城まり子・文春文庫)

「宿六・色川武大」(色川孝子・文春文庫)

「夢十夜」(夏目漱石・電子文庫)

「EQ英会話」(本城武則・ダイレクト出版)

「隠された十字架」(梅原猛著作集10 梅原猛・集英社)

【7月】

「聊斎志異(上)(下)」(蒲松齢・立間祥介編訳・岩波文庫)

【8月以降】

「ブレない人は、うまくいく。」(中谷彰宏・Gakken)

「マニュアルにないサービスが成功する」(中谷彰宏・廣済堂出版)

「中国行きのスロウ・ボード」(村上春樹・中公文庫)

「朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点」(近藤康太郎・講談社+α新書)

「十五少年漂流記」(ヴェルヌ・波多野完治訳・新潮文庫)

「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん・文藝春秋)

「神去なあなあ日常」(三浦しをん・徳間書店)

「舟を編む」(三浦しをん・光文社)

「政と源」(三浦しをん・集英社)

「まほろ駅前狂騒曲」(三浦しをん・文藝春秋)

「まほろ駅前番外地」(三浦しをん・文春文庫)

「格闘する者に○(まる)」(三浦しをん・新潮文庫)

 

中にはコミックが混じっていたり、以前読んだ本を再読したりと、羅針盤を叩き壊された難破船の如く節操も方向性もない相変わらずの乱読ぶりだ。

読書のスタイルというのは、その人の人生の歩みに似ているのかもしれぬ。これからは私のことを「スルギ号弁護士」と呼んでくれい!

「スルギ号」というのは「十五少年漂流記」で少年たちが乗って遭難した船の名前だ。物語の途中で15人の少年たちの手で解体されて海の藻屑と消える。破滅的な快感だな。

ちなみに破滅的な人生を生き抜いて今も私たちを魅了し続けている阿佐田哲也氏の奥様が書かれた「宿六・色川武大」は、あまりの内容のなさと文章力の低さに最後まで読むのが苦痛だった。別の意味で破滅的な本だな(読了後、廃棄処分)。

「天涯」は沢木耕太郎さんの写真集である。

「時のあけぼの以来、およそ一千億の人間が、地球上に足跡を印した。(中略)われわれの属する宇宙、この銀河系に含まれる星の数が、また、およそ一千億だからだ。地上に生をうけた人間のひとりひとりのために、一個ずつ、この宇宙では星が輝いている」

という伊藤典夫氏訳の「2001年宇宙の旅」の冒頭の一文が紹介されていたのが心に残った(「天涯1 鳥は舞 光は流れ」より抜粋)。つまり、

「この星に誕生して以来、現在までに死んだ人類の数と、現在見つかっている銀河系の星の数はほぼ等しい」

ということだ。

やっぱり人は、死ぬと星になるのだ。

 

ところで、10月以降は三浦しをんさんの作品しか読んでいない。

以前、このブログに、「三浦しをんさんの大ファンだけど、作品を読んだことがない」と矛盾極まりない投稿をしたことを(軽く)反省したからだ。

近所の本屋でしをんさんの作品を手当たり次第に買ってきて貪るように読んでいる。

恋愛中毒の女子高生が毎日、彼氏に会いたがる気持ちが少し理解できた今日この頃だ。

ちがうか。

 

三浦しをんさんは実にいい。

その感性、物事を見つめる視点、言葉の紡ぎ方、流れるような文体、一気に読ませる文章力。

すべてがいい。

「その人と同時代に生きていることに喜びを覚える作家」にはなかなか出会えないのだが、私にとって三浦しをんさんは紛れもなくそういう作家の一人である。

 

ちなみに、上に挙げたしをんさんの読了作品中、「まほろ駅前狂想曲」まではすべて単行本であった。なので私はしをんさんの作品は単行本から入った。

で、「まほろ駅前番外地」と「格闘する者に○(まる)」は文庫本。近所の本屋に同書の単行本がなかったからだ。

 

「何を今さら」と言われそうだが、「単行本」と「文庫本」って同じ作者の作品なのに微妙に受ける印象が違うよね?

私個人的には「単行本」のずっしり感とか文字や行間の余裕とか装丁の美しさが好きである。

「舟を編む」なんか、ぜったいに単行本で読むべきだと思う。

 

「文庫本」で読む「三浦しをん」は、「単行本」で読んだ「三浦しをん」と微妙に違う。

「しをん」が「しおん」になったような、一卵性の双子の姉妹の姉をデートに誘ったのに待ち合わせ場所にやって来たのは妹だった、というような、微かな、しかしながら拭いがたい違和感。

「まほろ駅前番外地」の内容が前2作の「まほろ駅前シリーズ」と微妙に異なるとか、そういう問題ではないと思う。

 

ちなみに、私は、行天を通じてしをんさんは「21世紀型のイエス・キリスト」を描きたかったのではないかと思っているのだが、違うかな?

しをんさん本人から「違いますよ」とか「解ってくれたの、あなただけ♥」とかコメントが来たらどうしよう。

来ないか。(なりすましコメントは禁止だぞ。)