つれづれなるままに弁護士(ネクスト法律事務所)

それは、普段なかなか聞けない、弁護士の本音の独り言

ともだちになるために

2014-12-09 11:55:14 | 子育て

先週の土曜日(12月6日)は下のチビの幼稚園の発表会であった。

 

下のチビが通っている(ちなみに上のチビも通っていた)練馬区のK幼稚園の基本的な教育方針は「こどもたちを信じる」ということに尽きる。

最近流行の英会話も、お受験対策も、K幼稚園では皆無である。

こどもたちは日々、いかに美しい泥団子を作るかに没頭している。

保育士さんたちは、こどもたちの手助けはするが、こどもたちに命令はしない。

手を差し伸べるが、手を引っ張ったりはしない。

注意はするが、怒らない。

こどもを信じて、ただ寄り添う。

何も足さず、何も引かない。なんだか、どこかのウィスキーのキャッチコピーみたいだ。

したがって、発表会の出し物も、こどもたちが自分で考えて自分で作る。

シナリオも、衣装も、振り付けも。先生たちは手助けをするだけだ。

おかげで、お芝居は常識に凝り固まった我々大人がとてもついていけないアバンギャルドかつシュールレアリスムなお話ばかりである。ダンスは「振り付け」というより「狂喜乱舞」に近い気もする。

 

 

しかし、こどもたちは皆、生き生きとしている。

大人が決めて、大人が作って、大人が命じた、お仕着せのプログラムと目に見えない強制に不承不承従うこどもはK幼稚園の発表会にはいない。

発表会の最後はこどもたちの合唱だった。

 

下のチビは生まれたとき心臓の壁に穴が開いていた。

練馬の病院から救急車で慶應義塾病院に搬送され、そのまま緊急入院。数ヶ月後には心臓の穴を塞ぐ手術をした。手術前、抱っこした私の指を握りしめる小さな小さな手の力強さが切なかった。

誰にも言わなかったが、あの頃、生まれて初めて、神とか仏とか全知全能とか、つまりは人智を超える存在というものに毎晩、泣きながら祈った。

「俺の心臓とこの子の心臓を取り替えてください。

俺がこの子の痛みと苦しみをすべて背負う代わりに、この子を健康にしてください。

今すぐに。」

 

無事、手術は成功し、下のチビは今年で6歳になる。

下のチビ(とその仲間たち)は、発表会の舞台で声を張り上げて歌った。

 

「ここで一緒に遊んだ友達を ずっとずっと覚えていよう。大切な宝物。たくさんの友達。

ここでみんなと歌った歌を ずっとずっと覚えていよう。大切な宝物。たくさんの歌。

ここでみんなと笑ったあの時を ずっとずっと覚えていよう。大切な宝物。たくさんの思い出。」

(たいせつなたからもの)

 

「ともだちになるために 人は出会うんだよ。どこのどんな人とも きっと分かり合えるさ。

ともだちになるために 人は出会うんだよ。 同じような優しさ 求めあっているのさ。

今まで出会ったたくさんの 君と 君と 君と 君と 君と 君と 君と

これから出会うたくさんの 君と 君と 君と 君と 友達

ともだちになるために 人は出会うんだよ。一人寂しいことが 誰にでもあるから

ともだちになるために 人は出会うんだよ。誰かを傷つけても 幸せにはならない。

今まで出会ったたくさんの 君と 君と 君と 君と 君と 君と 君と

これから出会うたくさんの 君と 君と 君と 君と 友達」

(ともだちになるために)

 

K幼稚園では泥団子の作り方は教えてくれるが、英単語は教えない。

楽しい絵の描き方は教えてくれるが、上手な絵の描き方は教えない。

自分で考える手助けはしてくれるが、自分で考えろと強制はしない。

そんなK幼稚園に3年通った下のチビも来年の春、卒園する。

名古屋の親父が、その日を待っている。

 

6年前、私は自分の心臓と下のチビの心臓を取り替えてくれと祈った。

今、下のチビは「人が出会う理由」を元気に舞台で歌っている。

名古屋の親父は、どうやら下のチビのランドセル姿と、上のチビの学生服姿を見られそうである。

 

歌を聴いて、私は泣いた。

 

泣きながら、もしかしたらカミサマというのは本当にいるのかもしれない、と思った。