神田川に寒風が吹き抜け
足がぞくぞくします。
寒い。
なのに神田川に渡る人の上半身だけが映っていました。
欄干で見えないのです。
不思議な影法師でした。
来月はさらに厳しい寒さなのでしょうか。
「よーし」などという挑発的な気分にはなれそうもありません。
足がぞくぞくします。
寒い。
なのに神田川に渡る人の上半身だけが映っていました。
欄干で見えないのです。
不思議な影法師でした。
来月はさらに厳しい寒さなのでしょうか。
「よーし」などという挑発的な気分にはなれそうもありません。
東京ドームのキルト展に出かけました。
長谷川等伯の展覧会もいいけど
身近なものを取り扱う手芸もおもしろいかも
そんなことで急きょ
東京ドームへ
とにかく女性でいっぱい
溢れるほどの香り
ちょっとラン展の雰囲気ににしているし
展示方法や入賞者の表情形式も同じ。
執念というかこだわりのかたまりのような世界ですね。
一年がかりで制作するという話を聞いたことがあります。
とてつもなく時間を必要とする世界なのですね。
地味で少々野暮ったいくらいの作品がいいですね。
でも、入賞した作品はセンスの際立っていますね。
それでいいのかもしれません。
おじさんには入り込めない世界です。
長谷川等伯の展覧会もいいけど
身近なものを取り扱う手芸もおもしろいかも
そんなことで急きょ
東京ドームへ
とにかく女性でいっぱい
溢れるほどの香り
ちょっとラン展の雰囲気ににしているし
展示方法や入賞者の表情形式も同じ。
執念というかこだわりのかたまりのような世界ですね。
一年がかりで制作するという話を聞いたことがあります。
とてつもなく時間を必要とする世界なのですね。
地味で少々野暮ったいくらいの作品がいいですね。
でも、入賞した作品はセンスの際立っていますね。
それでいいのかもしれません。
おじさんには入り込めない世界です。
げげげの女房の世界
水木しげる
調布とどのような結びつきがあるかわかりませんが
深大寺山門近くのみやげを商う店に
妖怪をイメージした
絵が描かれており
木の上に妖怪の住処があり
下駄の置物があります。
いかにも深大寺周辺にふさわしい雰囲気です。
魑魅魍魎というか妖怪が住む
そんな雰囲気が必要ですね。
得体の知れないものが周囲に生息しており
人には分からないことがいっぱいある。
そんな世界観が里山を生み
謙虚な人を育てたのだと思えるのです。
折り合い、まじりあり
相互に必要とする。
当たり前
そんな世界があるのか
作らなければいけないのか
分かりませんが
それがいいのです。
水木しげる
調布とどのような結びつきがあるかわかりませんが
深大寺山門近くのみやげを商う店に
妖怪をイメージした
絵が描かれており
木の上に妖怪の住処があり
下駄の置物があります。
いかにも深大寺周辺にふさわしい雰囲気です。
魑魅魍魎というか妖怪が住む
そんな雰囲気が必要ですね。
得体の知れないものが周囲に生息しており
人には分からないことがいっぱいある。
そんな世界観が里山を生み
謙虚な人を育てたのだと思えるのです。
折り合い、まじりあり
相互に必要とする。
当たり前
そんな世界があるのか
作らなければいけないのか
分かりませんが
それがいいのです。
神代植物園
まだ、梅を楽しむにはちょっと早いし
ちょっと寒い
それでも梅を楽しむ人がいます。
この時期
車椅子の人
杖をついた老夫婦が
歩いているのに気付きます。
時間がたっぷりあり
周囲を気兼ねしないで回れるからでしょう。
梅を楽しんだら出口方面に向かうのですが
なだらかな道を選ぶと
竹やぶの近くに回ることになります。
その竹やぶで立ち止まって
話をしている夫婦がいました。
「竹田」とか「湯布院」というような言葉が聞こえました。
あれこれの思い出があり
竹やぶを見て思いだしたのでしょう。
同じものを見てまったく違う世界に入り込んでいるのですね。
まだ、梅を楽しむにはちょっと早いし
ちょっと寒い
それでも梅を楽しむ人がいます。
この時期
車椅子の人
杖をついた老夫婦が
歩いているのに気付きます。
時間がたっぷりあり
周囲を気兼ねしないで回れるからでしょう。
梅を楽しんだら出口方面に向かうのですが
なだらかな道を選ぶと
竹やぶの近くに回ることになります。
その竹やぶで立ち止まって
話をしている夫婦がいました。
「竹田」とか「湯布院」というような言葉が聞こえました。
あれこれの思い出があり
竹やぶを見て思いだしたのでしょう。
同じものを見てまったく違う世界に入り込んでいるのですね。
深大寺の石碑
最澄の書いた「山家学生式」冒頭の文章ですね。
この石碑は最澄の文字ではありません。
最澄の書は
凛として品格があり
力強い
空海の才気あふれる書とは違って
書を書にとどめているところが最澄らしい
そんな失礼な言い方をしたら
叱られそうですが
そんなことを感じます。
この文章の解釈にはいろいろあるあらしいのですが
どのような解釈にしても
本筋から外れることはないでしょう。
「しっかり教育者を育てる」
そんな願いが込められているように思えます。
空海と最澄
二人の関係は興味ありますし
宗教的な違いにつては分かりませんが
人間としてのやり取りについては興味あります。
嫉妬があり、尊敬があり、奪い合いがあり
そんなことがあるから興味をもているのです。
人は人であり神でも仏でもない。
生身を生きるしかない。
そんなことを知りました。
ちょっと横道でした。
「愚を生きる」という言葉もどこかにありましたね。
最澄の書いた「山家学生式」冒頭の文章ですね。
この石碑は最澄の文字ではありません。
最澄の書は
凛として品格があり
力強い
空海の才気あふれる書とは違って
書を書にとどめているところが最澄らしい
そんな失礼な言い方をしたら
叱られそうですが
そんなことを感じます。
この文章の解釈にはいろいろあるあらしいのですが
どのような解釈にしても
本筋から外れることはないでしょう。
「しっかり教育者を育てる」
そんな願いが込められているように思えます。
空海と最澄
二人の関係は興味ありますし
宗教的な違いにつては分かりませんが
人間としてのやり取りについては興味あります。
嫉妬があり、尊敬があり、奪い合いがあり
そんなことがあるから興味をもているのです。
人は人であり神でも仏でもない。
生身を生きるしかない。
そんなことを知りました。
ちょっと横道でした。
「愚を生きる」という言葉もどこかにありましたね。