あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

車椅子蝋梅によせ春を知る  あきオジ

2010-01-27 16:59:09 | 日記
平日、天気がいい日には
車椅子に載ったお年寄りが目立ちます。

蝋梅は香りが強いので
ファンが多いですね。

息子らしき初老の男性が
蝋梅の枝を母親の頬のところまで引き下げると
母親らしき人は頬に寄せ
香りを楽しんでいます。

そんな絵柄は現代そのものですね。

匂い立つ少女となりし牡丹かな  あきオジ

2010-01-27 16:57:35 | 日記
人生の匂いとか重さが言葉にならないなら
俳句も人によっては、言葉遊びですね。

お茶を楽しむ
香の会
生け花の御稽古

それと同列

自分もその路線を狙って
年寄りの道楽にしようと思ったけれど
群れないとできないようなので断念

俳句の会では合評をするとか
ぞっとする世界

そんなことで断念

趣味の良さとか
発見の面白さとか
そんなこともできないので
俳句も断念

どうでもいいけど
「俳句もどき」の人生メモ

体が動かなくなったら
自分のブログを開いて楽しむ。
そんな逆算しての作業

どうでもいいけど
説明するとそうなる。

小雨降る部屋を彩る晶子かな

2010-01-27 16:42:22 | 日記
久しぶりに与謝野晶子の歌集を読みました。
色がいっぱい
眩いような錦糸銀糸の言葉の洪水

天才はこのような色彩をもっているのだと
いたく感心しました。

芭蕉は利休鼠
ことばも渋い色合いがあります。

蕪村は色の対比
大小の対比もありますね。

そうなのですね。
才能のある人は言葉に色がある。
そんなことでうなずいている。

今日は、何もないいい日でした。

木瓜咲けどなにゆえ「木瓜」と書きたるか  あきオジ

2010-01-27 05:34:43 | 日記
月曜日の朝
朝日新聞の俳壇、歌壇の投稿句を読みますが
ときどき、なるほどと思わせる作品に出会って楽しいのですが

年寄りが孫自慢、大昔の思い出を題材にしているのを見ると
「平和だな」と思います。
でも俳句の専門家は歯ぎしりしても言葉が出てこないし
自分は理解しても共感される作品は生まれないのでしょうね。

「食うのに精いっぱい」という日々が当たり前で
「可愛い」を確かめる余裕がない時代を過ごしてくると
それなりに句も生まれるのでしょうが

過去は題材になるけれど
現代は俳句にならない時代だなと思います。

俳句という形式が合わない時代なのですね。
時代は新しい形式を生みだすのですね。
現在は教養人のサロンにとどまって
芸事ですが
いつか新しい形式が生まれるのでしょうか?


禅寺の山門開き牡丹見ゆ   あきオジ

2010-01-27 05:21:30 | 日記
牡丹は何かと並べないと雰囲気がつくれない
そんな花の一つかもしれません。

そこに咲いているだけで美しいのに
美しすぎて「儚さ」がない。
別の物語と組み合わされて新たな香りが伝わる。

そんな気がします。

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白牡丹夕べ少女今朝娘  あきオジ

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