あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

大海に押し出されるか小舟かな  あきオジ

2012-07-22 06:27:01 | 日記
勘違いしている親子の夏休み あきオジ

(サングラスした夫婦が「こどもに楽しい思い出を作ってあげたいので」とコメントしている。「あーあ」「まあいいか」深刻な顔して、「反対」と叫ぶ人もいれば、その両方の人もいる。)

芭蕉なれど時代の子なり泡となり  あきオジ

いつのまに朝顔咲きし流れかな  あきオジ

改札に朝顔ならべる沼津駅  あきオジ

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夕焼は天の帝王切開か 田川飛旅子

(このような言葉の大胆さは、好きではありません。金子兜太のような難しい漢字を並べて新しい火花を生み出そうとすることも、スタイルを改革するような試みも苦手です。どうでもいいような、なげやりなものがいいですね。でも、食わず嫌いにならないように)

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なぜか、この数日はテンションが上がっています。
感性を刺激するためには、散歩するにしても、いままでとは違っている。
そんな試みをしなくてはいけませんね。

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何でもいいどうでもいい日に西瓜食い  あきオジ

2012-07-22 06:11:50 | 日記
浅草の土産物店です。

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評論することより、自分が生み出すことがたのしい。

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あれみた、これ見たということも自慢になる時代
いつの時代も、そんな人がいるし
自分もそうかもしれない。

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あるがままそれもある日の秋刀魚かな  あきオジ

はじめての蛸食いし人月を見る  あきオジ

何もないそんな言い方出る猛暑  あきオジ

病人も孫もなき句はひとりもの  あきオジ

感謝する言葉を食いし蚕なり  あきオジ

気分すら呑みこむ言葉の貧しさよ  あきオジ

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初潮や鳴門の浪の飛脚船  野沢凡兆

(PCで「ひきゃく」を変換しても、飛脚とは出てきませんね。
今の時代に使用する言葉しか、変換しないのですね。落語の世界の言葉を文字にするのも難しいでしょうね。)

風はらむはずみにひらく芙蓉かな  阿波野青畝

(このような鋭角的で、微妙な瞬間を言葉にしたものが俳句なのだ。すんなスタイルの典型的なものですね。でも、洒落ている雰囲気を読みとったり、奥行きの深さを感じるのは、大変ですね。私は、そんな句は「ごめんなさい。そんな高尚な感性をもっていないもので・・・・」「無理やり理解した顔はできないものです・・・」と言います。でも、作ってみたい気もしますね。無理か?)


キッチンも修羅場となりし娘なり  あきオジ

2012-07-22 05:57:48 | 日記
火のない火鉢を寝床から見て居る  放哉

(「海もくれきる」を読んでいます。放哉の評伝です。小説ですから、それでいいのでしょうが、そんなものかなとも思いながら読んでいます。)

どつさり春の終わりの雪ふり  放哉

(最近は放哉、山頭火のこれまで読んだことがないような句を選んで楽しんでいます。とにかく、粗雑でいいから、読み続けるようにしています。全体から何かを知りたいのです。素人には素人の楽しみ方です。)

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無教養武器にしている議論かな  あきオジ

教養が飾りなりし花火かな  あきオジ

船宿のてんぷらあげる気配かな  あきオジ

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