あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

昭和記念公園へ銀杏を見に行きました。

2008-11-18 17:31:44 | 日記
仕事もない。

そうだ、昭和記念公園の銀杏だ!

思いついたら、早めの出発

近所の小さな公園の紅葉の状態を確認

後、一週間後だ。

昭和記念公園は先日下見をしたとおり

銀杏は黄色に染まっていた。

カメラマンがいっぱい。

しっかり情報を得たり、下見に来ているらしい。

銀杏並木を俯瞰できる場所から写真を撮る人が多い。

(「あきオジのひとりごと」に写真をアップしてあります。)

銀杏も、日本庭園の紅葉も週末が限界かもしれません。

銀杏並木、そして日本庭園の紅葉を堪能できて

「ごちそうさま」の一日になりました。

東京でも、それなりに自然を楽しむところがあります。

しかも一日で十分に楽しめ、夕食前には戻れます。

ありがたいことです。

11月は紅葉を追いかけました。

来月は師走の伝統行事を追いかけることにしましょう。

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「おきオジのひとりごと」では写真と俳句と組み合わせて

日記風のスタイルにしようと思ったのですが

俳句に挫折しました。

人生をかけない俳句など

言葉遊びの教養に終わります。

まあ、俳句に挫折したところで何も変わりません。

でも、一行日記スタイルは面白いですね。

現在は欲張って、写真も数多く並べていますが

本当は一日一枚、そして、一行以内。

そうしないと「多ければいいだろう」になってしまいます。

まあ、それはそれ

一日を写真と言葉にする。

動けなくなったとき、アルバム風に楽しめるかもしれません。






毎日、鬱陶しいことを乗り越える。そんな感じ

2008-11-18 05:22:56 | 日記
私の願いは

毎日同じ。

何もなければそれでいい。

何事もおきなければ十分。

それだけ

向上しようとか

努力しようとする気持ちは大きくない。

ふにゃふにゃでしまりがないので緊張を自分に求めるけれど

能力もなければ器量も大きくない自分を

鼓舞するつもりなどさらさらない

優秀な人と比べて「頑張ろう」にはつながらない。

ただただ、毎日起きる小さなこと

ときには鬱陶しいこと

その問題を処理したところで

何も残らない。

でも、乗り越えなければならない。

そんなことだけを乗り越える。

それでいいし、その連続かなあ・・・・

だから、最近は、難しいことは考えない。

意味を見つけようとしない。

ないものを求めることはしない。

落ち着きの悪い意味など考えない。

これまでうまくいったことがない。

もちろん、ないものを求めることもなければ

希望などない。

素晴らしい世界

2008-11-17 06:14:55 | 日記
なぜか、朝目覚めの音楽は、この曲。

シミジミとした情感がいいですね。

何か涙が出そうになる。

このような素直に、素朴に、純粋に受け止めることができる。

そこまで浄化するって素敵

What A Wonderful World

I see trees of green, red roses too
I see them bloom for me and you
And I think to myself, what a wonderful world

I see skies of blue, and clouds of white
The bright blessed day, dark sacred night
And I think to myself, what a wonderful world

The colors of the rainbow, so pretty in the sky
Are also on the faces, of people going by
I see friends shaking hands, sayin' "how do you do?"
They're really sayin' "I love you"

I hear babies cryin', I watch them grow
They'll learn much more, than I'll ever know
And I think to myself, what a wonderful world

Yes I think to myself, what a wonderful world


ワット・ア・ワンダフル・ワールド

深緑の木々、赤いバラ
美しく輝いている、僕と君の為に
見るたびに思うんだ、”この世界はなんて素晴らしいんだろう”って

青い澄んだ空に、たなびく白い雲
輝く恵みの朝 暮れゆく神秘の夜
出会うたびに思うんだ、”この世界はなんて素晴らしいんだろう”って

空にはなないろの虹が輝き
行き交う人々の顔にも広がっていく
友人たちは握手を交わし、”やぁ、元気かい?”と言い合い
そして恋人たちは”心から愛してる”って伝え合う

新しい命が産声をあげる
僕が知っているよりずっと多くの事を、これから学んでいくんだ
育まれる命を見るたびしみじみ思う ”この世界はなんて素晴らしい!”だって

そう、本当にしみじみ思うんだ ”この世界はなんて素晴らしい!”だって

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あらゆることは素朴

そして単純なのだ。

ひらがな言葉で、そぎ落とした言葉に出会いたい。


吊橋のある風景

2008-11-17 05:46:42 | 日記
高所恐怖症

だから、吊橋は苦手

あのふあふあした頼りない足の感覚が嫌い。

でも、この吊橋を渡らないと向こう側に行けない。

だから、当たり前のような顔して渡る。

自分の場合、この「当たり前の顔をして」が大切で

きっと「怖い」と口にしたときに

怖くなるのですね。

「だめだ」「我慢できない」と口にする人は

怖いを自分から生み出しているのですね。

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失敗する自分を想起する人が失敗する。

そして、繰り返し「当たり前のようにできる」ことを想定する人は

当たり前にできる。

そんな気がします。

イメージトレーニングというようなものではなく

「思ったとおりになる」

「できるようになっている自分を想起しないと、そのとおりにならない」

ことなのです。

私は悲観的に考えたり

できない理由を見つけるのが得意なのですが

「行動しない」ことの後悔は大きいですね。

これって、多くに人が感じていることなのでしょうね。

だからといって、何の説明にもなりません。

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20メートル掘って井戸の水脈に出会うこともあれば

2000メートル掘っても出会わないこともある。

大切なのは「掘り当てる」ことであり

「2000メートル掘ったけど・・・・」は、何の意味ももたない。

「やろうと思っているのだけれど」

「やってみたけど、やめちゃった」では

何の説明にもならない。

でも、このような会話を平然と交わしている

そんな人と付き合っていると

自分もその論理が通じる世界に慣れ親しんでしまう。

そんな経験をいっぱいした。


日本浄土

2008-11-16 17:33:41 | 日記
「日本浄土」(藤原新也著)

姉から本が回ってきました。

自己的で飛躍した文章よりも

当たり前の風景を撮った写真の方が中身がありそうに思えました。

先日、知人から彼の写真をいただきました。

どこかの展示会で利用したのでしょうか。

思ったのと違って、単なるスナップ写真で

藤原新也をどこにも感じなかったのです。

何もない。

藤原新也の著作は出版されると必ず読んでいた。

屈折した表現と深読みし、そして投げ出すスタイルの文章が魅力だった。

そんなつもりで読みました。

でも毒もなければ刺激もない。


ある日、ダイライ・ラマ14世に山折哲雄と二人でインタビューした番組

二人は、あっさり位負けし、14世のオーラに圧倒し

何も引き出せないし、持論さえも語ることができない

終えてからあれこれ解説する段になってやっと呼吸している。

そんな感じ。

そんな姿を見てから、ダライ・ラマを読んでも

藤原新也と山折哲雄の本は後回しにしようと思うようになりました。

今回の本では、藤原新也の固定化した文体と写真は

整理された老人のもので刺激も挑発も見当たりませんでした。

ファンですから読みますが、期待しなくなりました。

それより演歌の作詞家になると面白いかも

そんなことを思いました。

理由はありません。だんだん五木寛之と風貌等が区別ができなくなりました。

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「おもしろくて、ありがたい」(池波正太郎)

池波正太郎の膨大な著作の中でなるほどと思われる言葉を拾い集めたもの

面白いに、代表するような言葉を集めると

池波正太郎が見えてくる。

そんな本です。

奥多摩に出かけた帰りに駅の本屋で手に入れました。

家につた時には読み終えました。

特別のものではなくてもドラマと重ねてみると面白い。

そんな感じ。

自分は剣客商売の親子の生きかた

人との関係の作り方が面白く

台詞もしゃれているので

その辺りを読みましたが

かといって忘れられない言葉があるわけでなく

蕎麦の様な食感でした。

ご馳走様でした。

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でも

悪い奴が身分の高い(多くは身分を隠すというスタイル)

正義の味方が

悪い奴をやっつけたり

時には、切り殺し

そして「正義が勝った」と顔を見合わせ笑いあう

不気味さ

その残酷さを感じない

自分の鈍感さが嫌い。

悪い奴でも、これまでの長い人生があっただろう。

なのに、何のいい訳もなく

自分の人生を語ることもなく

無念だろうな。

悪い奴だって、誰かに見取られたいのだ

そして、何かを伝えたいのだ。

その気配を感じないから悲しい。

だから、そのようなドラマは見ない。


高いところから見下ろす

2008-11-16 16:43:47 | 日記
御嶽駅前の大きな橋を見上げた写真です。

ちょっと怖い。

そういえば、先日高尾山に登りました。

高尾山の展望台から首都圏を見ると

乱立するビルの多さに圧倒されます。

自分が住むマンションも高尾山の展望台から見えます。

でも、あのマンションに住んでいるなどと奇妙な感想を持ったり

あのマンションの点にもならないようなところで齷齪しているのだ

寂しい気分になったり

いずれにしても全体が見える場所にいることは気持ちいいし

ちょっとだけ懐が大きい人間になったような錯覚も経験できる。

「見下す」のではなく「見渡す」ことは大切なことなのだ。

自然の中に入り込むと余計そう思える。

「分け入っても分け入っても青い山」(山頭火)

そう思えるには、もっと、寂しい道を歩き続ける必要があるだろうし

見渡すだけでは「歩く」がついてこないといけないだろう。

「山の郵便配達」の心地よさは歩くことを厭わぬ逞しさがあるのです。

それはそれとして、見渡すのには、ちょっとした気合が必要だ。

でも、見上げると見渡すということには決定的何かが違っている。

多摩川を見ているのは気持ちがいい。

何もかも流れる。

その潔さが心地よい。


ちょっと寝坊しました。

2008-11-16 07:38:28 | 日記
雨の日は決まって寝坊します。

気圧と睡眠とは深い関係があるのでしょうか。

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「こころの時代」は宗教関係者があれこれ語る番組です。

興味がある内容など、ほとんどないのですが

宗教関係者は今の時代、何を考えているか

そんなことを知りたいので早起きして見ます。

だって、世襲制の寺に生まれ

何不自由なく育ち

おぼっちゃんの感性を磨き

与えられたルートで修行し、学び

結婚することになる人の

話を聞いても

面白くない。

語る話は正統的ですが、教義そのもの

それは仏教もキリスト教も同じ。

自分はわがままだから

宗教関係者の第一は世捨て人であって欲しいのです。

ときおり、巨大宗教のトップの話を聞くことができますが

意外と、幼い頃、養子に出されたりというような経緯があるのです。

あるいは、貧農の子だったりするのです。

でも、世捨て人、そんなことしていたら宗教関係者は断絶してしまうのでしょう。

でも、坊さんは、一休さん、良寛さん

そのように思い込んでいるのです。

そして、妻をもたないという条件があるのです。

「自分の幸せをさておいて」が、見えない人には影響されるとは思わないのです。

宗教者が苦労せず

(そんなこといったら反論があるでしょうし、事実は違っているとは思いますが)

育ち、教義を学び

そして、それを語ったとしても響かないのです。

私は、そんな歪んだ思い込みを持っているのです。

番組を聴いていると

とても寂しくなるのです。

広い寺院の美しい一室で、法衣を着て「無一物」を語られると

こちらが困ってしまいます。

でも、ときどき、素晴らしい人も登場しますし

こんな人がいるのだ。まだまだ信じていいのだ。

そのように思えることもあるのです。

だから、見ているのです。

どのような宗教だって、そんな矛盾をいっぱい抱えているのですから。

それでいいのです。

いやなら、テレビを見なければよいのです。

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紅葉の次はなんだろう。

そんなことを気にしていました。

次々追われるように写真を撮ってきましたが

次の被写体はなんでしょう。

もう、花の写真は難しい。

去年は年末の風物詩に目を向けてました。

酉の市、羽子板市、ぼろ市

まあ、探せばいくらでもある。

動ける限りは動き

好奇心のままにその場所に向かい

発見し、驚き、写真にし

それを編集する。

まあ、それで一日が終われば上出来。

等身大以上を求めない。

何かを提供することなど考えない。

だらだら

何でもありで制限しないで

それがいい。

さあ、今日も出かけよう。




御嶽周辺は紅葉ですよ

2008-11-15 17:25:29 | 日記
朝、早起きして御嶽へ直行

でも、電車は乗り換えの拝島から満員

御嶽山、奥多摩湖、多摩渓谷方面に出かける人たち

重装備の山登りスタイル

そこそこのハイキングスタイル

三脚担いだ写真撮影

それぞれの目的で服装も違っている。

四角布団のようなものを担いだ若い人を見かけた。

なんだろうと思ったのですが

御嶽の渓流でわかりました。

渓流の周辺には大きな岩が転がっています。

その岩に素手で登る遊び(スポーツかな?)があります。

そのプレイで使うクッションなのですね。

落下したときに怪我しないような装備なのです。

そんなもの売っているのですね。

御嶽で半分ぐらいの人が降りました。

そして、その大部分がバスに乗り換え

山登りです。

カメラマンは橋を渡り

お目当ての玉堂美術館前の銀杏めがけて歩き始めました。

自分もその列の最後尾を歩きました。

対岸に渡りカメラマンは撮影開始

素人の私は、それほど熱心ではなく

川沿いに歩きました。

そこそこに気持ちよく

そこそこの天気で写真も撮れたし

満足満足

それでも昼過ぎには家に戻れるのですから

ずいぶん贅沢な話です。

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NHKで放映している「ジャッジ2」を毎週見ています。

NHKらしい上等なドラマですね。

裁判官の奮闘というか

こんな裁判官がいたらいいな。

そんな内容です。

抑制が効いた演出でいいですね。

主人公の裁判官に過剰なことをさせず

余計な説教をさせないところがいいですね。

今回は、遺産分割と後見制度について扱ってきます。

特別の展開があるわけではなく

主人公の裁判官は誠実でいい人ですね。

そんな印象しか残りませんが

ドラマですからそれでいいと思います。

主人公を演じた俳優は台詞が押えられており

微妙なニュアンスを演じるのは大変ですが

爽やかで、誠実な人ってこんな人かなと思わせる演技です。

賢く見えるだけでも十分です。

次回は最終回です。


紅葉の季節です。

2008-11-15 06:17:31 | 日記
雨が振りそうです。

でも、せっかくの土曜日です。

お出かけしたいですね。

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土曜日は「チャングムの誓い」

そして「ジャッジ2」があります。

「チャングムの誓い」は、土曜日2話分を放映します。

7時から9時までは釘付け

何度も見ているので展開がわかっているのですが

毎週、ハラハラドキドキしています。

年よりは以前のことを覚えていないので

こんなとき都合がいいですね。

見ていない人には分からないでしょうが

韓国の古代王朝を舞台にしたドラマです。

チャングムという宮廷女官(後に医者)の

活躍するドラマです。

先日、チャングムを苛め抜いた女官たちの争いに決着がつき

後日談のようなドラマの段階なのですが

主人公のチャングムに幸せになって欲しいのです。

たっぷり二時間見ています。

もう、53話まである長大ドラマを4~5回は見てますね。

よくこりない。

そして、9時からは「ジャッジ2」です。

日曜日はさらに朝から忙しい。

「こころの時代」「ぼくらの時代」が朝の視聴番組

夜は「鬼平犯科帳」「剣客商売」

そして、「新日曜美術館」「N饗アワー」(この番組の時には眠たい。)です。

このように定型化し、考えることなく

そして迷うことなく動くのがすきなのです。

「チャーリーブラウン」に出てくる少年のようなものです。

毛布をくわえていないと情緒不安になってしまうのです。

特別の用事があったり、行動の順序が狂うと駄目なのです。

こんなのが老化なのか

それとも強迫神経症なのでしょうかね。

まあ、いいか

それで自分が安定するならそれでいい。



「法句経」(ダンマパダ)

2008-11-14 20:42:45 | 日記
仏教のことを取り上げるつもりはないのです。

ただ、原始仏典の中でも有名な「ダンマパダ」

この冒頭の箇所だけを紹介したいのです。

自分は、この句に支えられてきたような気がしました。

自分の趣味を押し付けるつもりはありません。

こんなものもあるのか

そんな程度でお読みください。

もし、関心がある方は岩波文庫か出ています。

格調の高い講談社学術文庫版あります。


「ダンマパダ」

第一章 ひと組ずつ

1、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも、汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。
---車をひく(牛)の足跡に車輪がついてゆくように。

2、ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。
--影がそのからだから離れないように。

3、「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。彼はわれにうち勝った。
彼はわれから強奪した。」という思いを抱く人には、怨みはついに息むことがない。

4、「彼はわれを罵った。彼はわれを害した。彼はわれにうち勝った。彼はわれから強奪した。」という思いを抱かない人には、ついに怨みが息む。

5、実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。
怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。

6、「われらは、ここにあって死ぬはずのものである。」と覚悟をしょう。
---このことわりを他の人々は知ってはいない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。

7、この世のものを浄らかだと思いなして暮らし、(眼などの)感官を抑制せず、食事の節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。
---弱い樹木が風に倒されるように。

8、この世のものを不浄であると思いなして暮らし、(眼などの)感官をよく抑制し、食事の節度を知り、信念あり、勤めはげむ者は、悪魔にうちひしがれない。
---岩山が風にゆるがないように。

9、けがれた汚物を除いていないのに、黄褐色の法衣をまとおうと欲する人は、自制がなく真実もないのであるから、黄褐色の法衣はふさわしくない。

10、けがれた汚物を除いていて、戒律を守ることに専念している人は、自制と真実とをそなえているから、黄褐色の法衣をまとうのにふさわしい。

11、まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実(まこ  と)に達しない。

12、まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しい思いにしたがって、ついに真実に達する。

13、屋根を粗雑に葺いてある家には雨が漏れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。

14、屋根をよく葺いてある家には雨の漏れ入ることがないように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することがない。

15、悪いことをした人は、この世で憂え、来世でも憂え、ふたつのところで共に憂える。
彼は自分の行為が汚れているのを見て、憂え、悩む。

16、善いことをした人は、この世で喜び、来世でも喜び、ふたつのところで共に喜ぶ。
彼は自分の行為が浄らかなのを見て、喜び、楽しむ。

17、悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む。
「私は悪いことをしました。」といって悔いに悩み、苦難のところ(地獄など)におもむいて(罪のむくいを受けて)さらに悩む。

18、善いことをなす者は、この世で歓喜し、来世でも歓喜し、ふたつのところで共に歓喜する。
「私は善いことをしました。」といって歓喜し、幸あるところ(天の世界)におもむいて、さらに喜ぶ。


19、たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。---牛飼いが他人の牛を数えているように、か  れは修行者の部類には入らない。

20、たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄を捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執着することの無い人は、修行者の部類に入る。