あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

元気を出せって?

2008-11-22 20:16:26 | 日記
元気を出せって?

元気を出そうにも出ないから困っている。

励まされるものと励ますものとの

自負心を真ん中にして言い合っている。

それもいいけど

所詮、自分の問題

他人が励ましてどうこうなるわけでもない。

そっとしておくのがいい。

親切とは「あれこれ騒がないことであり」

「何事もなかったかのよう接する」ことなのかもしれない。

そうだ

「包帯の巻き方を知らないならば傷に触れるな」

という言い方もある。

念願の塩山の吊るし柿

2008-11-22 18:38:26 | 日記
念願の塩山の吊るし柿の写真撮影

ぽかぽか陽気

下町取材を変更して塩山に向かった。

大菩薩峠、三つ峠などの登山客で電車はいっぱい。

次々下車して目的地に向かったので

塩山で下車した人は疎ら

駅前の甘草屋敷の吊るし柿が見えて

ご機嫌。

屋敷の中でお茶と柿を振舞われた。

ちょっと気持ちが軽くなる。

甘草屋敷で豪華な吊るし柿の写真が撮れたので帰ろうと思ったのですが

せっかくここまできたので恵林寺に行こうと思いました。

「迷ったときは前に進む」

これが自分の判断基準

単細胞だとこんなとき判断が早い。

4時間の行程を覚悟したら意外と足取りが軽い。

観光マップにしたがい歩き始める。

四国遍路のように、何となく同じことを考えている人と出会う。

そんなとき、何となく挨拶してしまいますね。

案内マップのとおり二階建ていっぱいの柿を吊るしている家が何軒もありました。

多分、養蚕農家が吊るし柿を始めたのだろう。

建物の構造が皆同じ。

途中、寺に寄ったら、お接待を受けた。

お茶、柿をいただきました。

かりんと柿を土産に頂いた。

今日は市民のウオーキングのイベントがあり

その団体を迎える準備をしているのだいう。

恵林寺は行楽シーズンという雰囲気

最近、できあがった庭にはあまり関心が向かないのです。

帰りは、往路の風景が気持ちよかったので

同じ道を本当に「テクテク」歩きました。

腰が痛くならないていどの疲れで

いい一日になりました。

この時期、紅葉見物をするように、吊るし柿見物はお奨めです。

一度は見ておくべきですね。

昔を思い出すのもいい。

絵にするのもいい。

紅葉した山々を楽しみながら

歩くならば申し分ない。

というより

コースは歩くしかないのです。

開いた扉

2008-11-22 06:45:15 | 日記
「心の扉は内から開く」

北海道家庭学校創設した方の言葉だったのか定かではありませんが

放送大学の特別講座で講義したときのタイトルです。

非行のあった少年の心は、外からこじ開けようとしても開かない。

少年自身が心を開かなければどうにも始まらない。

そんな記憶があります。

最近、ゲームセンター辺りで遊んでいる子の凄まじさに圧倒されます。

床に這うように遊ぶためのコインを拾っていますし

大人が遊んでいると、物欲しそうな顔をして寄ってきます。

小学生くらいの年齢の子が、すり寄ってきます。

声をかけると、一人で遊びに来ているのだといいます。

ときには、隙あらば、コインが入ったポットを持ち去るような子もいるそうです。

知り合いのじいさんが嘆いていました。

高校生ぐらいになると

集団で押し寄せ、周囲のことなど気にしないで大声で騒ぎますし

マシンを蹴飛ばしたり、乱暴な扱いをします。

この子達の親はどのようなしつけをしているのだろうかと不思議に思うより

きっと、親はしつけを投げ出しているのだと思います。

子も家にいられない事情がありそうだし

就職試験を受けるときにも

面接者受けを配慮した服装や態度も期待できない雰囲気です。

親子も暴力的な関係にあるかもしれません。

どう考えても、ある日突然脱皮したり

発想を切り替えるとは思われません。

もちろん、「卒業」する子も多いかもしれませんが

引きずってしまう子もいるでしょう。

もう、将来の姿が今から形成されているし

この子らが将来、そこそこ安定した生活をしるための

モデルとなる生活を現在経験しているようには思えません。

だからどうだと思うわけではないのですが

それぞれの子がそれぞれの荷物を背負って生きていくのだな

御苦労様。

ゲームセンターは若い子が集まるところではなく

年寄りの暇つぶしの方がよいと思います。

老人ホームに設置するとよいと思います。


明日はどうしましょう。

2008-11-21 16:59:09 | 日記
今日は昭和記念公園で写真を撮りました。

午後からはその整理、そして

「あきオジのひとりごと」にアップしました。

なかなかの写真になりました。

ところで明日は・・・・

明日は久しぶりに浅草にでも行きましょうか?

こんな暢気なことを考える日々はいつまで続くのでしょうか。

踊れるときに踊れ

食べられるときには食べて

みんなで回れ!

そんな感じかな。

若いときは二度ない

年寄りだってなりたくなったけではない。

日々を楽しく。

さわやかウインドー

2008-11-21 05:49:17 | 日記
金曜日の朝は「さわやかウインドー」NHKハイビジュンを見ます。

5時からとちょっと早い時間帯ですが、金曜日は必ず見ます。

当たり前の人たちの当たり前の生活を写しています。

当たり前の人の生活の匂いがする人生が日本だと思っているので

いつも嬉しくなります。

今日は「晩秋の椎葉村」でした。

音楽だけでナレーション等はありません。

ただ、ひたすら映像と音楽だけを流します。

それがいいですね。

山間の風景を写したり

秋の農作業を淡々と写します。

観光番組と違って、旅人は出てきませんし

やらせというか仕込まれた演出もありません。

村人の雑談や子供の声もそのままです。

秋の神事を執り行う風景が延々と映し出されますが

素敵ですね。

淡々と当たり前を当たり前に演じている。

その力みのない観客と演じるものとの関係がいいですね。

観客は村人30人ほどシートに座って見物

演じる人は20人ほど昔ながらの演じ方を踏襲している。

鐘の音や太鼓の調子が外れた音が懐かしい。

カメラは、ただ、その演舞を写している。

太鼓の音がどこまでも伝わっていくような雄大な景色だ。

その雰囲気や山の匂いが伝わってくるような映像だ。

人々は、その土地に生きている。においが染み付いている。

その景色、匂い、水の味

それが老人達を放さないのだろう。

いいなあ

生活があり、自然が溶け込み

みんなが謙虚だ。それが見える。

村の坂道を郵便配達が下っていく

そのバイクを放し飼いの白い子犬が猛烈な勢いで追いかけていく

その場面を定位置から写している。

当然、バイクと犬は見えなくなる。

それでもカメラは回っている。

そして、しばらくすると犬だけが坂道を同じようなスピードで戻ってくる。

バイクとおっかけっこで遊んだのですね。

その犬は自分の棲家に戻っていってしまう。

山々が見える急カーブそのそれだけのシーンにいたく感動してしまった。

いまどき、首輪がない犬などみませんね。

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東京の虚構も楽しいし、スリルがあり

ときには知的でいいけれど

白々しいし、競争が消耗させてしまう。

東京の自然に癒されることがない場所で生きるのは

嘘に疲れない体力が必要だ。


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NHKラジオの深夜番組を視聴している人が多いとか

眠れない人もいるのですね。

でも、味わい深い内容で楽しいと聞きました。

夜が苦手な私には聞くチャンスがありません。

一度、聞いてみたいものです。





紅葉の時期には紅葉を・・・・

2008-11-20 18:30:59 | 日記
桜の季節は桜を

芥子の季節は芥子の花を

コスモスの時期はコスモスを

紅葉の時期は紅葉をただ追っかける。

それでいいのだ。

難しいことを考えることはない。

西行に倣っているのだと言えばいい。

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「ニューシネマパラダイス」をケーブルテレビで放映していました。

DVDをもっているのに、この映画を放映しているとついつい見てしまう。

何度見ても楽しい場面の発見があり

3時間という長尺ものなのに飽きずに見ている。

ほのぼの、大きな事件があるわけでないのに見てしまう。

お気に入り映画の代表ですね。

シシリアの「パラダイス座」という映画館の全盛と衰退を背景にして

映画技師と子どもとの交流

そして、若い男女の出会いと別れ

老いとふるさと

ゆっくりとした展開です。

イタリアの母、貧しい生活から抜け出すように都会に向かう若者

どこにもある風景、いいですね。

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野球の解説者の決まり文句

「絶対負けられない一戦ですよ」

「この一球が大切ですよ」

これだけしゃべれば、解説したことになる。

そして、結果がでたことにあれこれ説明を加える。

不思議な職業。

食事のころ「御飯ですよ」の声がした。戦後の夕焼け

2008-11-20 06:00:44 | 日記
「朝まだき味噌汁の具刻む音エプロン姿の母を夢見る」

「父往きし母と子どもで粉を引く夕餉のすいとん定番なりき」

今日のNHKの短歌番組で紹介された作品です。

戦後を引きずっている人が多いのですね。

自分が生きてきた時代を「刻む」作業は、誰にも必要なことなのですね。

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以前から「俳句」と「短歌」の番組を見ています。

視聴者が少ないのか、朝6時からの番組

教養としての俳句、短歌

素人の作品はそれなりに楽しいし

プロがあれこれ講釈をするのも面白い。

難解な言葉を使い、文語体にこだわり

調べを大切にすることでプロがプロらしくなり。

そして、先輩諸氏を持ち上げるのが面白い。

第三芸術論で批判されたそのまま。

お稽古ごとなのですね。

でも、ちょっと面白い。

暇つぶしの趣味

その辺りの距離感覚がちょうどいい。

だらだらでも積み重ねれば

何かが見えてくればいいのですがね。





ブログはときには怖い。

2008-11-19 18:55:22 | 日記
このブログを開いたとき

尋ねてくる人の感想も知りたいと思って

コメントを受けるようなメニューにしました。

最初は、ほとんどコメントはありませんでした。

ところが、どこでどうなっているのか

あるは、そのような趣味の人が多いのか

あるとき、アダルト系と言うかエログル系というか

そんなコメントが大量に入り込みました。

このような小さなブログを狙ってどうなるのでしょうかね。

読むほうが恥ずかしくなるものです。

そんな内容を自分のブログを訪ねてくださる人に不快な思いをさせてはいけない。

そう思って、数週間で、コメントを受けないことにしました。

ブログは一方通行では面白くないとは思うのですが

そう、簡単にはいかにようです。

ブログを管理している人は、そんな思いをしているのですね。

考えてみれば

自分は他の人のブログを見たことがあまりありません。

別のブログには、履歴者記録があります。

その履歴を見ると、自分のブログを訪ねてくださる方の

HPアドレスが記録されます。

自分のブログに関心をもってくださる方のブログ

ちょっとだけ興味があります。

でも、ときどき、「あれっ」という内容のものも含まれています。

あるとき、その一つを見たら

ちょっと趣味が違う。見てはいけないものを見てしまった。

それ以来、他の人のブログを見なくなってしまいました。

どんな楽しいことでも、そんなことがあるのですね。

「そんなの当たり前、無視すればいいのだ」とか

「そんなものも見てごらん」とアドバイスされましたが

結局は、訪ねることはほとんでしていません。

変ですね。

一方通行の垂れ流し

それが自分のブログなのかもしれません。

まあ、それはそれ、また、ぼちぼちやっていきましょう。

段々、頼りなさを感じるようになる

2008-11-19 05:51:33 | 日記
階段を昇るとき

以前は一段おきに駆け上がったりしたものですが

最近は、手すりにつかまります。

脚力が落ちて、転んでしまう不安があるからです。

記憶する力、ちょっと前のことを忘れる。

ふらふらするような感覚

人の名前を思い出せない。

「誰もが行く道」

なのだと実感します。

「避けて通れない」ことなのですね。

今は、特段の持病もなく

腰痛もありません。

でも、これからは、転んだり

ぎっくり腰になったりするかもしれません。

そのときは「それもあるだろう」

と受け入れるしかないのでしょうね。

自分で努力して回避できることなど知れたものですね。

まあ、ぼちぼち

何もない日々で十分。

感謝して過ごしましょう。


「行かないで」

2008-11-18 17:47:01 | 日記
大昔、シャンソンを聞いたことがある。

上品で感傷に流されない

そんなスタイルが好きでした。

その中で、特にお気に入りは「人生は過ぎ行くと」

「行かないで」でした。

ブレルのフランス語バージョンのほか

ダスティ・スプリングフィールドのハスキーな声もよく

やスコット・ウオーカーなどがレパートリーに入れていました。

たまたま、そのレコードを聴いて

本当に懐かしく思いました。

以前は、歌詞など気にしてなかったのです。

今、改めて読むと、難解な内容だったのですね。

昔は何をもって好きだったのでしょうか。

今となっては自分でも分かりません。

でも、お仲間いるかもしれませんね。

ジャック・ブレル 『行かないで Ne me quitte pas 』

行かないで
忘れなくてはいけない
すべて忘れられる
過ぎ去ったことは
忘れよう
誤解の時と
失われた時
どうしてそうなったのか知ろうとして
忘れよう
しばしば打ち砕いてしまった
なぜという問いの一撃で
しあわせな心を
行かないで
行かないで
行かないで
行かないで

私は、私は君に贈ろう
雨の真珠を
雨の降らない
国から来た
私は大地を掘り返すだろう
私が死んだ後までも
君の躰を覆うために
黄金と光で
私は国を作ろう
そこでは愛が王で
そこでは愛が掟で
そこでは君が王妃
行かないで
行かないで
行かないで
行かないで

行かないで
私は君のために創るだろう
常軌を逸した言葉を
でも君なら理解してくれる言葉を
君に話そう
二度も心を燃やした
あの恋人たちのことを
君に語ろう
君に出会えずに
死んだ
あの王の物語を
行かないで
行かないで
行かないで
行かないで

人はしばしば目にする
あまりにも古いと信じられていた
死火山が
火を噴くのを
それは焼け焦げた大地が
最高の四月よりも
多くの麦をもたらすようなもの
そして天が燃え上がるために
どれほどの夜が訪れたのだろう
赤と黒は
ひとつに溶け合わないのか
行かないで
行かないで
行かないで
行かないで

行かないで
僕はもう泣かない
僕はもう話さない
ここに姿を隠そう
そして君を見ている
踊って笑う君を
君の声を聴こう
歌って笑う
ならせておくれ
君の影の影に
君の手の影に
君の犬の影に
行かないで
行かないで
行かないで
行かないで