ひらりん気まま日記

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長崎は雨の旅(1)軍艦島

2014-06-07 23:44:02 | お出かけ&旅
長崎旅行 2014/6/1~3 (1)軍艦島

3月に友だちと綿密計画して予約も完了の長崎の旅、義父のことなどあり流れてしまった。
6月にリベンジ。同じコース、同じホテルではちょっとなんなんで、少し変更して気分一新で実施。
日程、ホテル・新幹線のネット予約など全て私が段取りした。
旅行を組むのは面倒だけど楽しい。
内容も良く覚えているし、連れまわされるだけのツアー旅行にはない楽しさである。
バッチリと時間通りにスケジュールがこなせたら、それもまた爽快である。
6/1 新大阪7:58発ののぞみで博多へ。博多でJR九州の「かもめ」に乗り換えて12:49長崎着。
九州へはJR西日本やJR九州の早特切符(14日前まで)がお得です。
ギリギリで申し込んだので「さくら」「みずほ」の座席は取れなかったのが残念だった。

白い「かもめ」博多駅には黒い「つばめ?」も停車していた。
超豪華列車の「ななつぼし」を運行しているJR九州は、他にもさまざまな特急が走っていてそれも楽しそう。

総革張りのゆったり座席に、木組みの床張りで落ち着く。
新幹線よりはよっぽど快適な乗り心地だけど、けっこう揺れました。
空いているので向かい合わせで4人席を3人で利用。

博多駅で私がかもめの発券をしている間に、友だちが駅弁購入。
こまごまと彩りよく詰まっているが、案外にお腹いっぱいにはならず。
お弁当が入っていた千代紙の箱が可愛くて、かさばるのに家まで持って帰ったアホな私です。

紫陽花で彩られた長崎駅はホームも改札もワンフロア、小さい駅だからかもしれないが、見通しが良くてとてもわかりやすい。
駅はこうでなくっちゃ。
駅前発着のホテルの送迎バスに荷物だけ預けて、徒歩10分の長崎港、いざ、軍艦島クルーズ。
黄沙でかすんでいるが薄曇りで天気はまずまず。
軍艦島は風雨強かったり波が高いと中止になり、島では傘はさせない。
5つほどの会社が軍艦島クルーズを組んでるが、いちばん値段の安かった「軍艦島上陸クルーズ・ブラックダイヤモンド号」を申し込んだ。
ネットの写真を見たら、カッコええ瀟洒な船だったから大丈夫だろう。
2日前に友だちが電話予約したら、「今、忙しいので2時過ぎてからかけなおしてください」って。
改めてかけなおしたら、「14時出港の30分前に受付してください。受付の場所はわかりにくいので港に着いたら電話してください」
なんか怪しくないかぁ?安いクルーズなので船がボロっちかったりして。
受付、案内、船長、ガイド、全部1人でこなしているクルーズやったりして…(笑)

港に着いたら、写真どおりに立派なブラックダイヤモンドが停泊してた。が、どこにも案内の表示がない。
指示とおりに電話をかけたら、「港の前の国道を渡って脇道を入って4軒目くらいに案内所があります」と。
キョロキョロしながら探し当てたお店は間口1間ほどで、案内1人、受付1人。
承諾書(上陸の注意書き)を書いてサインして、代金(クルーズ料金3,100と上陸料300)を払いプレートをもらって港へ。

ツアー観光バスも2台やってきて、ほぼ満員で出港。
船にはおそろいの黒いTシャツを着た10人以上の係員が乗っていたの大丈夫(笑)

この日泊まるホテルは稲佐山の中腹にある


コスタビクトリア号 日本人向け周航クルーズをしているみたい


造船所


海上自衛隊の軍艦



他の船会社クルーズは軍艦島直行だが、ブラックダイヤモンドは伊王島に寄ってから、高島へ。

伊王島の教会、あちこちに教会が見えるのが長崎らしい


高島で下船して、軍艦島資料館を周って島の模型を見ながらガイドさんの説明を聞いてお勉強します。
黒い部分が貯炭場でベルトコンベアーでつながっていた。

軍艦島の正式名は端島といい、明治半ばに三菱開坑、岩崎弥太郎の銅像が建っていた。
100年余り、海底の良質の石炭を算出したあと、昭和44年に廃坑。

高島から再び、乗船して、長崎港から19㎞の軍艦島が見えてきた。
午後は逆光になるので、建物などよく見えない。

元は岩礁だけの島を埋立拡張して周りを岸壁で取り囲んだ端島は、その島影が軍艦「土佐」に似ているので軍艦島と呼ばれるようになった。
最盛期には5000人以上の人々が暮らし、学校、病院、郵便局、店もあり、全国一の人口密度だった。

島の東端


西端


端島神社のあった場所、祠だけが残っている


学校もハッキリ見えてきた


岸壁の桟橋は階段状になっていて、潮の高さによって横付けする位置を変えられるようになっている。
桟橋への渡り板もなく、船から桟橋へ飛び移る。
波が高くて船が上下に揺れるとけっこう怖いかも。

見学できるコースは島の西端の1/4ほどでその他は立入禁止。


石炭を運ぶベルトコンベアーの支柱のみ残っている


鉄製のやぐらも壊れている


7階建て端島小中学校、島は緑の1本もなかったので屋上に土を運んで庭を作ったそうだ


事務所あと


軍艦島を産業遺産にするにはこれからの保存が重要なので、調査が入っている。
保存には何十億と費用がかかるそうだ。
はきはきとわかりやすい説明してくれたガイドさん、私たちの記念スナップもお願いしたが、背景の入れ方などとっても上手だった。
って、廃墟となった場所で「ハイチーズ」ってのもどうなんだか(笑)


日本最古の鉄筋7階建てアパートは、水こそ十分ではなかったが、電化製品完備の2LDKでそれなりに快適だったらしい。


ローマ・エジプトの遺跡は2000年ももつのに、40年でこれくらい壊れる?というほどすさまじく崩壊。 

この階段を上った踊り場から、枠組みだけのエレベーター2台に分乗して海底にある竪抗に下りていった。
日本の産業革命や高度成長を支えた炭鉱は、昭和44年1月に閉山になり、わずか3か月で全島民が島を出た。
退職金も良く、再就職先も引く手あまただったと。

同じコースを引き返す


もう一度小中学校を見て、40分の上陸コースは終了


ブラックダイヤモンド号で長崎港へ帰ります

往復とも甲板屋上に座って潮風に吹かれていた。
座席はオレンジ色に塗られて堅牢そうに見えたが、よく見ると、ただの木製の床几である。
それを見えるとこだけオレンジのペンキを塗って、足元はそばの鉄製枠にロープにくくりつけてある。
もし、船が転覆したら、このロープをほどいたら、木製床几はぷかぷかと浮くので掴まろうとかアホな話をしたりして…

注:軍艦島の説明は半端耳聞きなので間違いがあるかもしれません。

1.軍艦島  2.出島  3.ハウステンボス1  4.ハウステンボス2  5.ハウステンボス3 
6.長崎市内