
兄の1周忌で、1年ぶりに故郷、長野市松代に帰った。
松代は、戦国時代の16世紀半ばに、武田信玄と上杉謙信が、北信濃の領有をめぐって、12年間に5回も
闘った「川中島の戦い」の、武田方の出城「海津城」があった所。
千曲川がつくった「川中島平」の一角、前に千曲川、背後は山という地の利を生かした戦略の出城だった。
武田が亡びたあと、武田の智将の1人、真田昌幸と長男信之、次男幸村は、再三にわたり、德川家康・秀忠
を苦しませる、戦(いくさ)上手だった。
家康は、戦上手の真田を自陣に取り込んでしまおうと、長男信之と家康の養女を結婚させたが、豊臣秀吉
は次男幸村を取り込み、真田は分断された。
結果的には、家康・秀吉、どちらが勝っても、「真田家」の血筋は残ることになった。
松代は、江戸時代、真田信之(真田幸村の兄)が、德川家康から10万石の所領を得て、何度も取り潰しの
危機はあったが、現在まで真田家は続いている。
太平洋戦争で、日本は追い詰められ、「1億玉砕」のために、松代の山中に壕を掘り、最後の「大本営」を、
造り始めた。幸い、完成前に敗戦を迎え、松代も善光寺も戦火を免れ、私達住民も生き残った。
掘った壕の一つは天皇陛下の御座所、小学校4年生のとき、遠足で行った。
戦後、天皇陛下の御座所の壕の奥は「地震観測所」となり、世界の「核地下実験」を感知できる能力があり、
核開発への警鐘を鳴らして来た。
戦国時代から、現代まで、戦争に縁があった松代で育ったせいか、「戦争は絶対すべきではない」と、
平和を希う気持ちが、私のブログの原点になっている。
明日は、9時から、免許更新のための実地講習を受けるので、16日に、17日分をブログアップ。
松代城、松代城内の海津城跡の碑、大本営の壕が掘られた山々




11月17日、「今日は何の日カレンダー」より 将棋の日(日本将棋連盟,1975)、ドラフト記念日
▲スエズ運河開通(1869)▲第一回国際労働会議で8時間労働制を決議(1919)▲アインシュタイン来日(1922)
▲米がソ連邦を承認(1933)▲公明党結成大会(1964)▲プロ野球第一回新人選択(ドラフト)会議(1965)
▲電話料金1度数7円が10円に値上がり(1976) ▲雲仙普賢岳、200振りに噴火。翌年には火砕流で
44人が犠牲に(1990)▲エジプト・ルクソールで、イスラム過激派が観光客ら61人殺害(1997)▲北海道
拓殖銀経営破たん(1997)▲ペルー・フジモリ大統領日本に亡命(2000)▲千葉県の建築事務所、構造計算書
偽造問題発覚(2005)▲仏で、燃料税引き上げ反対抗議、黄色いベスト運動発生(2018)