平和への希い


 
  積極的平和主義とは、世界のすべての国が、日本
  の平和憲法を掲げる努力をすることです。

平和への希い2314 菅総理、ノーベル平和賞のチャンス  

2021-08-22 11:33:14 | 日記
コロナ感染拡大が加速、医療崩壊の最中の日本、「コロナ用の野戦病院をつくるべき」なんていう声も。
アフガンでは、タリバン政権復活で、女性の人権や前政権協力者や従っていた市民への圧政が心配。
武力で、勝ち取った米国のやり方は、ウラミを膨らませただけ。テロの反動に、世界はおののき、また
テロを制圧するために、武力を、となれば、ウラミのドロ沼に。
8月22日は、「今日は何の日カレンダー」の通り、戦争がもたらした悲劇に胸が潰されるが、
この悲劇を繰り返さないためにも、アフガンでは、「話し合い」による解決を目指して欲しい。
77年前の、1944年8月22日、沖縄からの学童疎開船「対馬丸」が、アメリカの潜水艦に、撃沈され、
乗員乗客約1800人(うち疎開学童が800人)、のうち、判明している亡くなった人は1485人、
うち、学童が780人。戦争が、780人の子供達の未来を、メチャクチャにぶち壊したのだ。
76年前の、1945年8月22日、樺太からの疎開者を乗せ、小樽に向かっていた3隻の船が、ソ連の
潜水艦によって、攻撃され、多くの犠牲者を出した。
小笠原丸、第二新興丸、泰東丸の「3船遭難事件」で、疎開者など約1700名の命が奪われた。
広島・長崎・沖縄戦・各地の空襲など、太平洋戦争での悲惨な戦禍も大変だったけれど、この2つの、潜水艦
による撃沈で亡くなった方々の無念を思うと、戦争の極悪非道さがもたらした「人災」に、憤り、悲しい
1945年8月15日、日本が無条件降伏し、終戦となった筈なのに、8月22日に、「3船遭難事件」が
起きた。ソ連は、40年前の日露戦争で、南樺太を奪われたウラミを晴らしたのだ。
(ロシアは、1905年6月12日、日本が樺太占領前にアメリカの講和勧告を正式受諾していたにも拘らず、
日本軍は、7月7日、樺太に侵攻、7月末までに全島を占領。1905年8月9日、ポーツマス講和会談が開
始され、9月1日休戦協定締結、9月5日調印。ロシアの猛反発あったが、樺太南半分割譲で妥協、決まる。
終戦が決まるまで、戦果として勝ち取った『領土』は「おれのもの」というのは、お互い様だろう、の理屈)
ソ連は、「9月2日」日本政府が、米戦艦ミズーリ号上で、「無条件降伏」の署名をするまで、攻撃し続けた。
武力で、相手を屈服させても、ウラミが残り、一時的な終戦であって、次の戦争への始まりなのだ。
世界の平和、アフガン平和のためには、どんなにひどいテロ集団であっても、国連の話し合いの土俵に乗せて、
話し合いで、解決するよう努力しなければならない。
「命の最大の敵は戦争」なのだ。アフガンも含め、世界各地での紛争は、武力で解決できないことを、特に、
国連の米中ソなど常任理事国は、肝に銘ずる必要がある。
多くの迷惑を掛る戦争を起こした日本は、憲法9条を、世界の国々が掲げるよう、粘り強く、説得する義務と
責任がある。菅総理、頑張り次第で、ノーベル平和賞ですよ。

8月22日「今日は何の日カレンダー」より チンチン電車の日、夫婦の日(毎月)
 ▲国際赤十字社、設立(1864)▲樺太千島交換条約批准(1875)▲警視総監の訓令によって女性が演劇の舞台に
立つことが許され、川上貞奴ら、女優が誕生した(1890)▲東京で初の路面電車運行。新橋~品川間(1903)
 ▲日韓協約調印(1904)▲島崎藤村、没(1943) ▲学童疎開船「対馬丸」米潜水艦が撃沈1418名死亡(1944)
▲樺太からの引き上げ船3隻ソ連潜水艦が撃沈1700名以上死亡(1945)▲天気予報復活(1945)▲第1回
全国大学野球選手権大会開催(1952)▲作家・向田邦子らが乗った旅客機が台湾で墜落(1981)▲ソ連のクーデター、
失敗(1991) ▲松坂大輔投手の横浜高校が史上5校目の春夏連覇(1998)、▲ムンクの「叫び」「マドンナ」盗ま
れる(2004)▲駒大苫小牧高校、北海道勢初優勝(2004)▲野口みずきアテネ五輪マラソンで金メダル(2004)
▲パレスティナガザ地区からユダヤ人入植者全て退去(2005)▲伊藤清京大名誉教授が第一回ガウス賞(2006)
▲北京五輪で陸上400mリレー銅メダル(2008)▲ロシアが世界貿易機関(WHO)加入(2012)▲大阪
桐蔭史上初2回目の春夏連覇(2018)