4月13日の日経夕刊「あすへの話題」で、高校の日本史教科書から、聖徳太子の名前が消えたことを知り、
驚いた。
文化人類学者の上田紀行さんが、書いていらっしゃいました。
聖徳太子は、私にとっては、「高額のおカネ」の顔。戦後10年頃では、聖徳太子の千円札が最高額。
その後も、5千円札、1万円札の顔でした。
昭和41年暮れ、東京・府中市で起きた「ボーナス資金の3億円強奪事件」後、奪った「高額のお札」
が使えなくしようと、また、ニセ札が作れないよう新しい技術を取り入れ、新顔のお札に変えられるように
なり、お札から、聖徳太子が消えた。(聖徳太子の肖像画が、違う人のもの、らしいという疑いも出た)
私たちの頃の日本史では、聖徳太子は、「冠位十二階」や「憲法17条」の制定、「仏教興隆」、「遣唐使派遣」などの
活躍で、スーパースターでした。
歴史学者の研究成果なのか、高校の教科書から、聖徳太子の名前が消え、「うまやどの王(厩戸王)」と
なってしまった。私達が習った、聖徳太子の業績は、「うまやどの王(厩戸王)」が政策チームの一員として
制定されたもの、で、個人の業績ではない、となったようです。
戦後、GHQが、日本が2度と戦争出来ないように、と戦争に関係ある、戦争責任政治家の死刑、官僚組織、
財閥・大地主など経済組織の解体など徹底した。
教科書の記述にも「スミ塗り」させ、お札の肖像も、戦前の忠臣愛国者、楠正成たちの肖像画は一掃され、
聖徳太子もまな板の鯉だったようですが、「憲法17条」の、「和をもって尊しとなす」という、聖徳太子の
平和思想が評価され、お札の顔としての聖徳太子は、セーフだったらしい。
歴史上の人物評価は、時々の政治体制で、自分達に都合良いように、上げたり下げたりすることが多い。
スターリンの銅像が引き倒されたり、墓も掘り返され、移されたなど、為政者は、天に恥じない政治をしないと
いけない、といことですね。プーチンさん、習さん、バイデンさん、安倍元総理などなど、お覚悟を。
ウォーキング中に出会った花々。
4月20日「今日は何の日カレンダー」より ◆穀雨(二十四節気の一つ。温かい雨に穀類の芽が伸びてくる)
逓信記念日
▲ロムルス、ローマを開く(753)▲飛脚制度に代り、郵便制度を実施。切手を発行(1871)▲首相官邸で仮装舞踏会
(1887)▲最初の女子大、日本女子大学が開校(1901)▲東京・大阪、大阪・福岡間に日本初の飛行郵便開始(1925)
▲東京女子高等師範学校の女性教授女性初の博士号(理学)(1927)▲第1回参議院選挙で社会党が第1党に(1947)
▲俳優座劇場開場(1954)▲第1回全日本自動車ショー開催(1954)▲修学旅行専用列車が運行(1959)▲大蔵省、紙巻きタバコの箱に「健康のため吸いすぎに注意しましょう」の注意表示を決定(1972)▲日中航空協定が北京で調印(1974) ▲米・コロンバイン高校で銃乱射13人射殺、犯人2人は自殺(1999)▲宮崎県で和牛3頭に口蹄疫(2010)▲秋田八幡平クマ牧場で脱走したヒグマ2頭に飼育員2名が襲われ死亡(2012)▲井山裕太囲碁棋士7冠独占(2016)▲三菱・日産自動車が、軽自動車燃費不正(2016)▲南アフリカの絶対君主王国「スワジランド王国」が、「エスワティニ王国」に国名変更(2018)