剣熊考 №10
◆藤原仲麻呂
彼は天平宝字8年(764年)9月、新設の「都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使」に任じられた。これは当時交通
や交通軍事を考える上で重要な事であろう。
◆藤原仲麻呂の乱
藤原仲麻呂の乱(ふじわらのなかまろのらん)は、奈良時代に起きた叛乱。恵美押勝の乱(えみのおしかつのらん)
とも言う。女帝、孝謙太上天皇・弓削道鏡の派閥と対立した彼は当時は太師(太政大臣)藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)
と言うが「都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使」特権をも用いて時の政権を奪取しようとして失敗した事件であ
この乱は藤原仲麻呂が湖西で捕縛処刑されて、一週間で収束しているが剣熊を考察する上で重要な事である。
◆ 剣熊近辺の事
仲麻呂は愛発関の占拠を味方に命じた。しかし、部隊の通過を予期して待機していた物部広成らの為に、強行突破する
事が出来ず、撃 退されている。そこで、いったん※①角野郷に引き返し、ここから船で塩津に向かった。ところが逆風にあい
船を進めることができず、やむなく湖岸(西浅井町大浦付 近)に上陸、饅頭越え(マキノ町海津)で西近江路に出て、
再び愛発関を突破しようとするが、伊多智らの阻止にあって果すことが出来ず、仲麻呂の軍はやむな く西近江路に引き
返し南に向うと言う件がある。
◆※①角野郷(古代)の事
『高島郡誌』によると「平安期に見える郷名高島郡のうち「和名抄」に見える高島10郷の1つ当郷と関係の深い豪族に
高嶋郡前少領角家足がある天平宝字8年9月の恵美押勝の乱の時,越前に逃れようとした藤原仲麻呂は,湖西に道をとり,
角家足の宅に宿ったが,その夜仲麻呂の臥屋に甕ほどもある隕石が落下したという(続日本紀)家足はまた,天平12年
自らの墾田を正三位小野石根に寄進し,これがのちの子田上【こたなかみの】杣・川上荘の出発点となったと称される
(平遺2281)「延喜式神名帳」に載せる津野神社の鎮座地で,一説によれば現行の高島郡今津【いまづ】町北仰【きとげ】
・構【かまえ】・平ケ崎・桂・深清水・大沼【おおぬま】・中庄のあたりという。
◆饅頭越えとは?
饅頭越えとはは何であろうか?万字超えの事であろう。万字坂または万字峠とは高島市小荒路から長浜市黒山つまり大浦
に超える道の事である。この件に関して興味のある方は剣熊考 №1を是非読んで頂きたい。ここは剣熊や天熊とも呼ばれ
た天嶮険阻の地である。その地勢は若狭、越前、京都、美濃、様々な方向に通路が繫がっていて道の十字路の意味を持っ
ていたと私は推測する。
◆饅頭とは?
中国の天才軍師、諸葛孔明が発案した食品で本来は肉饅頭の事。日本には中世に甘い菓子として広がったとされる。さて
民俗学的な発想をするならば食品の饅頭と仏教の万字。曼荼羅「卍」は同義語とされている。簡単に言うなら東西南北を
表わした四方と言う意味がある。
◆万字峠には万字の刻印があるとか?
私は是を現実に見ていないので確証がない。万字。満字。卍など方位を表したり陰陽師や陰陽道を司る人を道師と古来
言う。諸葛孔明も道士だ。日本では蘆屋道満(あしや どうまん)なる人陰陽師が居たと伝承される。さてさて弓削道鏡
(ゆげのどうきょう)なる人も日本にいた。当時の女帝、孝謙太上天皇の側近である。また三世紀には鬼道をあやつる
卑弥呼も日本にいた。是は道教の一種とも考えられている古神道とも言えるものであろうか?
◆道とは一体なんぞや?道とは政治の
事を事を言う。古代中国の周の文王、武王、の理想化された政治を文武の道と言う。また日中に限らず地方には首長
となる諸侯が存在した。残酷な話であるが中国では「路」と「道」の2文字を使い分けている。地方の首長たる地方
王が中央の朝廷に反乱し征伐される地方王の首はこの「道」都へと運ばれるから道の文字が成立したと言われている。
◆万字とは?
サンスクリット語でSvastika (デーヴァナーガリー表記: स्वस्तिक、スワスティカ、スヴァスティカ)と呼ばれる。
英語の swastika やフランス語の svastika もこの語に由来する。現在の日本語では「まんじ」は漢字「卍」の
訓読みとされているが、由来は漢語「卍字」または「万字」の音読みである。 左卍と右卐があり、現代の日本では
左卍が多く用いられている。漢字では卐は卍の異体字である。 かつては洋の東西を問わず幸運のシンボルとして用
いられていた。日本、中国等の芸術において卍はしばしば繰り返すパターンの一部として見られる。日本では、寺院
の象徴として地図記号にも使用され、家紋の図案にも取り入れられている。まれに忍者を表す場合にも使われる。
『萬川集海』と言う 書物もある。城郭の縄張りには「万字縄」と呼ばれる縄張り術がある。スヴァスティカとは
全ての意味であろう。よろず「万」の事であろう。『万葉集』なる日本の詩歌の全集も意味の深いものだろう。
◆葛飾北斎から連鎖発想する剣熊界隈
画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」と晩年に称している。北斎とは北極星の事である。きたは古来
玄武「げんぶ」の地と言われ「玄」だけで「くろ」と和訓する。万字坂、万字峠、がある西浅井方には大浦の黒山
なる集落がある。何でも多数の石仏が出土した場所ともされる。一説によると黒山が織田信長の通行を妨げた伝説
があるとか?それは様々な時代の騒乱と剣熊の地が関係のある事を暗示するものであろう。是非行ってみたい黒山、
見てみたい石仏、そして黒山から万字坂を超えて峠の万字の刻印を見てみたい。しかし今の私には話し相手も仲間
も仕事も皆無である。またいつか善き人が1人2人と集う機会が万が一にもあるのなら、小荒路、天熊、剣熊、
の世界を実際に見て見たいと思うが、今となっては相談相手も皆無の私である。
◆藤原仲麻呂
彼は天平宝字8年(764年)9月、新設の「都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使」に任じられた。これは当時交通
や交通軍事を考える上で重要な事であろう。
◆藤原仲麻呂の乱
藤原仲麻呂の乱(ふじわらのなかまろのらん)は、奈良時代に起きた叛乱。恵美押勝の乱(えみのおしかつのらん)
とも言う。女帝、孝謙太上天皇・弓削道鏡の派閥と対立した彼は当時は太師(太政大臣)藤原仲麻呂(藤原恵美押勝)
と言うが「都督四畿内三関近江丹波播磨等国兵事使」特権をも用いて時の政権を奪取しようとして失敗した事件であ
この乱は藤原仲麻呂が湖西で捕縛処刑されて、一週間で収束しているが剣熊を考察する上で重要な事である。
◆ 剣熊近辺の事
仲麻呂は愛発関の占拠を味方に命じた。しかし、部隊の通過を予期して待機していた物部広成らの為に、強行突破する
事が出来ず、撃 退されている。そこで、いったん※①角野郷に引き返し、ここから船で塩津に向かった。ところが逆風にあい
船を進めることができず、やむなく湖岸(西浅井町大浦付 近)に上陸、饅頭越え(マキノ町海津)で西近江路に出て、
再び愛発関を突破しようとするが、伊多智らの阻止にあって果すことが出来ず、仲麻呂の軍はやむな く西近江路に引き
返し南に向うと言う件がある。
◆※①角野郷(古代)の事
『高島郡誌』によると「平安期に見える郷名高島郡のうち「和名抄」に見える高島10郷の1つ当郷と関係の深い豪族に
高嶋郡前少領角家足がある天平宝字8年9月の恵美押勝の乱の時,越前に逃れようとした藤原仲麻呂は,湖西に道をとり,
角家足の宅に宿ったが,その夜仲麻呂の臥屋に甕ほどもある隕石が落下したという(続日本紀)家足はまた,天平12年
自らの墾田を正三位小野石根に寄進し,これがのちの子田上【こたなかみの】杣・川上荘の出発点となったと称される
(平遺2281)「延喜式神名帳」に載せる津野神社の鎮座地で,一説によれば現行の高島郡今津【いまづ】町北仰【きとげ】
・構【かまえ】・平ケ崎・桂・深清水・大沼【おおぬま】・中庄のあたりという。
◆饅頭越えとは?
饅頭越えとはは何であろうか?万字超えの事であろう。万字坂または万字峠とは高島市小荒路から長浜市黒山つまり大浦
に超える道の事である。この件に関して興味のある方は剣熊考 №1を是非読んで頂きたい。ここは剣熊や天熊とも呼ばれ
た天嶮険阻の地である。その地勢は若狭、越前、京都、美濃、様々な方向に通路が繫がっていて道の十字路の意味を持っ
ていたと私は推測する。
◆饅頭とは?
中国の天才軍師、諸葛孔明が発案した食品で本来は肉饅頭の事。日本には中世に甘い菓子として広がったとされる。さて
民俗学的な発想をするならば食品の饅頭と仏教の万字。曼荼羅「卍」は同義語とされている。簡単に言うなら東西南北を
表わした四方と言う意味がある。
◆万字峠には万字の刻印があるとか?
私は是を現実に見ていないので確証がない。万字。満字。卍など方位を表したり陰陽師や陰陽道を司る人を道師と古来
言う。諸葛孔明も道士だ。日本では蘆屋道満(あしや どうまん)なる人陰陽師が居たと伝承される。さてさて弓削道鏡
(ゆげのどうきょう)なる人も日本にいた。当時の女帝、孝謙太上天皇の側近である。また三世紀には鬼道をあやつる
卑弥呼も日本にいた。是は道教の一種とも考えられている古神道とも言えるものであろうか?
◆道とは一体なんぞや?道とは政治の
事を事を言う。古代中国の周の文王、武王、の理想化された政治を文武の道と言う。また日中に限らず地方には首長
となる諸侯が存在した。残酷な話であるが中国では「路」と「道」の2文字を使い分けている。地方の首長たる地方
王が中央の朝廷に反乱し征伐される地方王の首はこの「道」都へと運ばれるから道の文字が成立したと言われている。
◆万字とは?
サンスクリット語でSvastika (デーヴァナーガリー表記: स्वस्तिक、スワスティカ、スヴァスティカ)と呼ばれる。
英語の swastika やフランス語の svastika もこの語に由来する。現在の日本語では「まんじ」は漢字「卍」の
訓読みとされているが、由来は漢語「卍字」または「万字」の音読みである。 左卍と右卐があり、現代の日本では
左卍が多く用いられている。漢字では卐は卍の異体字である。 かつては洋の東西を問わず幸運のシンボルとして用
いられていた。日本、中国等の芸術において卍はしばしば繰り返すパターンの一部として見られる。日本では、寺院
の象徴として地図記号にも使用され、家紋の図案にも取り入れられている。まれに忍者を表す場合にも使われる。
『萬川集海』と言う 書物もある。城郭の縄張りには「万字縄」と呼ばれる縄張り術がある。スヴァスティカとは
全ての意味であろう。よろず「万」の事であろう。『万葉集』なる日本の詩歌の全集も意味の深いものだろう。
◆葛飾北斎から連鎖発想する剣熊界隈
画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」と晩年に称している。北斎とは北極星の事である。きたは古来
玄武「げんぶ」の地と言われ「玄」だけで「くろ」と和訓する。万字坂、万字峠、がある西浅井方には大浦の黒山
なる集落がある。何でも多数の石仏が出土した場所ともされる。一説によると黒山が織田信長の通行を妨げた伝説
があるとか?それは様々な時代の騒乱と剣熊の地が関係のある事を暗示するものであろう。是非行ってみたい黒山、
見てみたい石仏、そして黒山から万字坂を超えて峠の万字の刻印を見てみたい。しかし今の私には話し相手も仲間
も仕事も皆無である。またいつか善き人が1人2人と集う機会が万が一にもあるのなら、小荒路、天熊、剣熊、
の世界を実際に見て見たいと思うが、今となっては相談相手も皆無の私である。