安土城は余呉の人が東野山城も余呉の人が造った?
対話者
安土城の本丸や余呉東野山城は余呉の人が
造ったんです!だから何れも優れています。
長谷川先生が2019/11/30土曜に余呉講演
される事も滋賀県北部では大変な話題です。
東野山城縄打図 長谷川原図縄打線書き入れ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/39/b88ee87825861fcf968fc913f757905b.jpg)
安土城縄打図 長谷川縄打線書き入れ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/99/5656bb66041657c45476022954606aa3.jpg)
長谷川
安土城は余呉の人が東野山城も余呉「長浜市
余呉町」の人が造った文献資料や証拠があり
ますか?根拠のない事を言う事は謹むべき事
だと思います。文献史学なのか?伝承、伝説
資料考察研究の分野や見地のなのかを明確に
する必要があります。
対話者
余呉町には、中河内、今市、川並、小原
柳ケ瀬、国安、池原、丹生などの地名が
あります。これらの集落地名が『武功夜話』
巻六安土御本丸石垣作事の記録に登場します。
もしかして長谷川先生は御存じないのですか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/62/440062e67180b5c401e28facb92fae2a.jpg)
長谷川
存知あげておりますが『武功夜話』は天正
四年安土築城当時に記された文献ではなく
後世に記された二次資料です。文献ではなく
二次資料である事に冷静な注意が必要です。
下図『近江国明細図』は寛保2年9月に製作
された1742年(寛保2年)のもの、つまり
江戸時代は余呉の中之郷を「中江」と記して
いる事でも『武功夜話』は江戸期作と思われ
ます。また本能寺の変100年後に編纂された
『淡海温故禄』なども中之郷を「中江」と
表現表記している事に留意しましよう。です
から『武功夜和』を2次資料や伝承資料とし
て今後検討され解釈されるとは考えています。
表題の『武功夜話』巻六安土御本丸石垣作事
は作事つまり建築部門の用語である事にも充分
な留意が必要かと思います。常識として石垣は
普請「土木工事」作事は「建築工事」に該当
するので安土御本丸石垣作事と言う言葉にも
注意が必要です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fd/9214eae1d715e3c50eae6b95c94d6493.jpg)
対話者
先生!そんな事いわれましても今滋賀では明智
の事や賎ケ岳合戦の事に関しては長谷川先生が
城郭遺跡解説も含めて一番の人だと言う人が多
いのですよ!だから今度の2019/11/30土曜の
長浜市余呉町中之郷で開催される講演に遠くは
県外からも馳せ参じる賢明な人も多いのです!
長谷川
貴方の私に対する声援には心より感謝致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a6/6260d56d9f8874fd6616018d4eab9ad9.png)
長谷川
さて貴方が指摘される『武功夜話』の余呉地名
と現在の長浜市余呉町の地名を冷静に比較検討
を今一度する事に致しまよう。はっきり言って
ここに登場する余呉の地名は江戸期のものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/33/06f6909d6908095e6c6874a2339c71d5.jpg)
長谷川
これからの余呉地名を分析して行きます。
余呉を余古と表記している事にも注意を。
先ず『武功夜話』の①は中河内です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/81/d082aa97b414bcaba3535b0457bbf06e.jpg)
次に②の茶屋とは栃ノ木峠の茶屋の事でしよう。
現在は余呉湖畔に移築された江戸期の建物だと
思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/c1/2ff9e8a7a9f7256fd08e2aec2513f87c.jpg)
長谷川
その次の③の「□市」とは「今市』の事でしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/33/06f6909d6908095e6c6874a2339c71d5.jpg)
長谷川
地図の③の集落です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ef/9fd3d1c679abe395c498995fea3e9722.jpg)
長谷川
次に川並とは地図の④の湖畔の集落です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ef/9fd3d1c679abe395c498995fea3e9722.jpg)
長谷川
『近江国明細図』は寛保2年9月に製作された
1742年(寛保2年)地図にも川並や天神に注目!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fd/9214eae1d715e3c50eae6b95c94d6493.jpg)
⑤の小原は下丹生、上丹生の更に奥に該当します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/9d/3b8bcdee5426c7ab9a5080adea8bc77a.jpg)
⑥の柳ケ瀬⑧の江原は池原の誤記誤植と思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/33/06f6909d6908095e6c6874a2339c71d5.jpg)
⑦は下図の国安でしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/7d/4425084b416e4caa18962dad6135b9b5.jpg)
⑨の中江は江戸時代の図の中江つまり現代の
滋賀県長浜市余呉町中之郷⑨に該当します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/5a/aa0709ddf1827c8c585ccab74ab11a90.jpg)
『近江国明細図』は寛保2年9月に製作された
1742年(寛保2年)地図の中江や川並や天神に注目!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/83/d54095dbd423a4dc3b7d2fb3df7cabfd.jpg)
次ぎに『武功夜話』は⑩の丹生諸郷とありますが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/62/440062e67180b5c401e28facb92fae2a.jpg)
下図の⑩に該当致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/a2/ba11c865fde351c0bcb7ff5c26fa7cf9.jpg)
対話者
長谷川先生は余呉の城郭や地名に詳しいですね?
長谷川
私は滋賀県長浜市余呉町生まれですから当然の
事言えますが『武功夜話』の複数の作者達は
江戸期の『近江国明細図』の寛保2年9月に
製作された1742年(寛保2年)地図を参考にし
ながら後世に詳しく書き込んでる可能性があり
『武功夜話』全ての文言を文献として取り扱う
事は充分に吟味検討し注意を払う慎重さや冷静
さが大切です。
対話者
私が個人的に安土城は余呉の人が東野山城も
余呉の人が造った?と主張しましたが長谷川
先生は冷静でした!たしかに『近江国明細図』
の寛保2年9月に製作された1742年(寛保2年)
図には中江「中の郷」と「下余古」の間には
黒い2点つまり江戸時代特有の一里塚の印が
あり歴史とは本当に冷静さと慎重さが求めら
るものですね?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/83/d54095dbd423a4dc3b7d2fb3df7cabfd.jpg)
長谷川
『武功夜話』の貴方の対話、とても楽しめま
した。ありがとうございます。感謝致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/62/440062e67180b5c401e28facb92fae2a.jpg)
2019年11月30長谷川、歴史講演の御案内
※この記事は久々に私が講師として招いて
頂く事になった事を静かにお報せする事。
雨具用意。暖かい服装で、お越し下さい。
開催日 2019/11/30 土曜
講演時間 11時~12時の予定
講師 歴史城郭研究家 長谷川博美
★参加費 無料
場所 郷滋賀県長浜市余呉町中之郷260
△三角屋根のあるウッデイパルサブセンター
TEL:0749-86-4145ウッデイパル余呉
講演内容 賎ケ岳合戦勉強会
主催 余呉湖つまり実行委員会様「仮定」
協力 ウッデイパル余呉
催事名 秋の収穫祭
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d0/24f18922e4b5285974c89c917a96431c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/d0/7605a28b4fdf0cfc5105f0c99cd26d8c.jpg)
長谷川博美 挨拶
皆様御無沙汰しております、上記講師
の依頼を正式に受けました。現地余呉
は紅葉も進み秋色深くなっている事か
と思います。当日午後もし天気良く登
山に適する天候の場合は私は東野山城
址の散策を個人的にしたいとも思って
おります。もし当日好天に恵まれ私の
都合も良い場合は御一緒に数名様たり
と、言えども一緒に参りましようか?
余呉城郭研究会の情報によりますと20
人ほど参加されるとお聞きしています。
対話者
安土城の本丸や余呉東野山城は余呉の人が
造ったんです!だから何れも優れています。
長谷川先生が2019/11/30土曜に余呉講演
される事も滋賀県北部では大変な話題です。
東野山城縄打図 長谷川原図縄打線書き入れ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/39/b88ee87825861fcf968fc913f757905b.jpg)
安土城縄打図 長谷川縄打線書き入れ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/99/5656bb66041657c45476022954606aa3.jpg)
長谷川
安土城は余呉の人が東野山城も余呉「長浜市
余呉町」の人が造った文献資料や証拠があり
ますか?根拠のない事を言う事は謹むべき事
だと思います。文献史学なのか?伝承、伝説
資料考察研究の分野や見地のなのかを明確に
する必要があります。
対話者
余呉町には、中河内、今市、川並、小原
柳ケ瀬、国安、池原、丹生などの地名が
あります。これらの集落地名が『武功夜話』
巻六安土御本丸石垣作事の記録に登場します。
もしかして長谷川先生は御存じないのですか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/62/440062e67180b5c401e28facb92fae2a.jpg)
長谷川
存知あげておりますが『武功夜話』は天正
四年安土築城当時に記された文献ではなく
後世に記された二次資料です。文献ではなく
二次資料である事に冷静な注意が必要です。
下図『近江国明細図』は寛保2年9月に製作
された1742年(寛保2年)のもの、つまり
江戸時代は余呉の中之郷を「中江」と記して
いる事でも『武功夜話』は江戸期作と思われ
ます。また本能寺の変100年後に編纂された
『淡海温故禄』なども中之郷を「中江」と
表現表記している事に留意しましよう。です
から『武功夜和』を2次資料や伝承資料とし
て今後検討され解釈されるとは考えています。
表題の『武功夜話』巻六安土御本丸石垣作事
は作事つまり建築部門の用語である事にも充分
な留意が必要かと思います。常識として石垣は
普請「土木工事」作事は「建築工事」に該当
するので安土御本丸石垣作事と言う言葉にも
注意が必要です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fd/9214eae1d715e3c50eae6b95c94d6493.jpg)
対話者
先生!そんな事いわれましても今滋賀では明智
の事や賎ケ岳合戦の事に関しては長谷川先生が
城郭遺跡解説も含めて一番の人だと言う人が多
いのですよ!だから今度の2019/11/30土曜の
長浜市余呉町中之郷で開催される講演に遠くは
県外からも馳せ参じる賢明な人も多いのです!
長谷川
貴方の私に対する声援には心より感謝致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/a6/6260d56d9f8874fd6616018d4eab9ad9.png)
長谷川
さて貴方が指摘される『武功夜話』の余呉地名
と現在の長浜市余呉町の地名を冷静に比較検討
を今一度する事に致しまよう。はっきり言って
ここに登場する余呉の地名は江戸期のものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/33/06f6909d6908095e6c6874a2339c71d5.jpg)
長谷川
これからの余呉地名を分析して行きます。
余呉を余古と表記している事にも注意を。
先ず『武功夜話』の①は中河内です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/81/d082aa97b414bcaba3535b0457bbf06e.jpg)
次に②の茶屋とは栃ノ木峠の茶屋の事でしよう。
現在は余呉湖畔に移築された江戸期の建物だと
思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/c1/2ff9e8a7a9f7256fd08e2aec2513f87c.jpg)
長谷川
その次の③の「□市」とは「今市』の事でしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/33/06f6909d6908095e6c6874a2339c71d5.jpg)
長谷川
地図の③の集落です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ef/9fd3d1c679abe395c498995fea3e9722.jpg)
長谷川
次に川並とは地図の④の湖畔の集落です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/ef/9fd3d1c679abe395c498995fea3e9722.jpg)
長谷川
『近江国明細図』は寛保2年9月に製作された
1742年(寛保2年)地図にも川並や天神に注目!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/fd/9214eae1d715e3c50eae6b95c94d6493.jpg)
⑤の小原は下丹生、上丹生の更に奥に該当します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/9d/3b8bcdee5426c7ab9a5080adea8bc77a.jpg)
⑥の柳ケ瀬⑧の江原は池原の誤記誤植と思われます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/33/06f6909d6908095e6c6874a2339c71d5.jpg)
⑦は下図の国安でしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/7d/4425084b416e4caa18962dad6135b9b5.jpg)
⑨の中江は江戸時代の図の中江つまり現代の
滋賀県長浜市余呉町中之郷⑨に該当します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/5a/aa0709ddf1827c8c585ccab74ab11a90.jpg)
『近江国明細図』は寛保2年9月に製作された
1742年(寛保2年)地図の中江や川並や天神に注目!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/83/d54095dbd423a4dc3b7d2fb3df7cabfd.jpg)
次ぎに『武功夜話』は⑩の丹生諸郷とありますが
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/62/440062e67180b5c401e28facb92fae2a.jpg)
下図の⑩に該当致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/a2/ba11c865fde351c0bcb7ff5c26fa7cf9.jpg)
対話者
長谷川先生は余呉の城郭や地名に詳しいですね?
長谷川
私は滋賀県長浜市余呉町生まれですから当然の
事言えますが『武功夜話』の複数の作者達は
江戸期の『近江国明細図』の寛保2年9月に
製作された1742年(寛保2年)地図を参考にし
ながら後世に詳しく書き込んでる可能性があり
『武功夜話』全ての文言を文献として取り扱う
事は充分に吟味検討し注意を払う慎重さや冷静
さが大切です。
対話者
私が個人的に安土城は余呉の人が東野山城も
余呉の人が造った?と主張しましたが長谷川
先生は冷静でした!たしかに『近江国明細図』
の寛保2年9月に製作された1742年(寛保2年)
図には中江「中の郷」と「下余古」の間には
黒い2点つまり江戸時代特有の一里塚の印が
あり歴史とは本当に冷静さと慎重さが求めら
るものですね?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/83/d54095dbd423a4dc3b7d2fb3df7cabfd.jpg)
長谷川
『武功夜話』の貴方の対話、とても楽しめま
した。ありがとうございます。感謝致します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/62/440062e67180b5c401e28facb92fae2a.jpg)
2019年11月30長谷川、歴史講演の御案内
※この記事は久々に私が講師として招いて
頂く事になった事を静かにお報せする事。
雨具用意。暖かい服装で、お越し下さい。
開催日 2019/11/30 土曜
講演時間 11時~12時の予定
講師 歴史城郭研究家 長谷川博美
★参加費 無料
場所 郷滋賀県長浜市余呉町中之郷260
△三角屋根のあるウッデイパルサブセンター
TEL:0749-86-4145ウッデイパル余呉
講演内容 賎ケ岳合戦勉強会
主催 余呉湖つまり実行委員会様「仮定」
協力 ウッデイパル余呉
催事名 秋の収穫祭
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d0/24f18922e4b5285974c89c917a96431c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/d0/7605a28b4fdf0cfc5105f0c99cd26d8c.jpg)
長谷川博美 挨拶
皆様御無沙汰しております、上記講師
の依頼を正式に受けました。現地余呉
は紅葉も進み秋色深くなっている事か
と思います。当日午後もし天気良く登
山に適する天候の場合は私は東野山城
址の散策を個人的にしたいとも思って
おります。もし当日好天に恵まれ私の
都合も良い場合は御一緒に数名様たり
と、言えども一緒に参りましようか?
余呉城郭研究会の情報によりますと20
人ほど参加されるとお聞きしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/f7/4c8dcd38d1381538ab600455d862eddd.jpg)