城郭 長谷川博美 基本記録

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真説!織田軍団琵琶湖水上ネットワークの根本!

2020-09-04 05:04:35 | 社会観察
真説!織田軍団琵琶湖水上ネットワークの根本!

対談者コメント
 真説というタイトルが付けられていますが長谷川
先生の性格やキャラクターを知る我々のとり「親切」
や「真心」が相応しいタイトルかとなと思いますね。

対談者「彦根人」
 彦根在住のものです。琵琶湖水上ネットワーク
説の、①安土城、②長浜城、③坂本城、④大溝城
の4城説に強い疑義や違和感を感じます。歴史解釈
は民主主義の国では主権在民が根本であり善良なる
民衆自身が本当の主役であり冷静かつ客観的に歴史
知り語るべきと思います。琵琶湖岸の4城説が流れた
時にも大衆が無批判に肯定する事や必死に丸暗記し
迎合して、コピー増殖する事は、時に歴史的解釈の
本質や本道を見誤る事につながり、大衆への向けて
の刷り込み策を感じて時にウンザリし辟易致します。

長谷川
 そうなんですか?別に違和感や疑義を私へと投げ
かけなくても世の中の多くの滋賀近江の人々賢明で
歴史に詳しい人はちやんと認識しておられると思う。

 おそらく貴方は文献『信長公記』に織田信長の
属城、持城、拠点として
※既に天正元年に彦根の佐和山城が、織田信長の
琵琶湖水上交通手段の根本基地として大船の建造
を信長が、一時佐和山城を居城拠点としている事。

①『信長公記』に天正初期段階で「在佐和山」とあ
る記述、これは信長の岐阜から安土への過渡期の
状様な拠点であったと事を明確に。明示しており
つまり佐和山は織田信長の重要な居城のひとつ!

②佐和山内湖にも含まれる彦根の松原で巨大な軍船、
大船を信長が建造させた事『信長公記』には高島郡
の制圧に大船を使った事が、明記されております!

③永禄末年の近江南郡制圧段階では佐々木六角六角
の投降を佐和山で織田信長が自身待機している事実。

④天正年間初頭に於いて、織田信長の安土築城の
奉行職として活躍した丹羽長秀の居城つまり織田
軍団の重臣の居城佐和山城であった事認識する事

⑤佐和山城の浅井氏持城時代にも近江犬上衆を統率
していた浅井家の重臣佐和山城主で磯野丹波守員昌
の城「佐和山城」としてまた磯野氏が純然たる浅井
家臣に関わらず織田信長の伊勢平定戦線で『信長公記』
に2度も伊勢に近江佐和山城主の磯野丹波守員昌が出陣
している事。
⑥元亀末年より天正元年の浅井方磯野丹波佐和山籠城戦
に際して磯野氏が天正元年に織田信長に投降してからは
速やかに舟で高島郡に移動し所領を信長から下賜され事
などなどは『信長公記』の記述や既に琵琶湖岸の城と舟
との近江の歴史の相関関係を常に日常的に知っておられ
る生粋の近江、滋賀、在住の歴史愛好家さんであられる
事や湖の街彦根の町にこそ住んでおられる本格歴史通様
の冷静な見解や見識や達観や歴史解釈と思います。織田
軍団にとり佐和山城が如何に重要な琵琶湖岸の城であっ
たのか?根本的重要性を認識して忘れないあなたの優れ
た歴史眼見識とは!やはり滋賀生まれ滋賀育ちの冷静な
達観や慧眼の持ち主と言う事ですね!?
▼佐和山城イラスト「Ⓒ長谷川博美」


対談者「彦根人」
天正10年本能寺の変後清須会議で織田軍団は信長の
孫に相当する「三法師/幼少期の織田秀信」の持城と
して信長遺臣で秀吉の傘下に入った堀秀政の城とし
て佐和山は存在し豊臣政権になると石田三成が秀吉
に尾張清須城33万石国替えを正式に書状で通達され
てるのにも関わらず、石田三成は佐和山城なる城を
天下の趨勢を差配する重要な拠点として意識し固執
した意義や見解?かと思いますが!佐和山城が琵琶
岸の代表的な城郭である事は松原内湖や佐和山から
松原にかけて100間橋と言う内湖を横断する架橋が
存在した事からも解ります。また彦根のシンボルと
も言える芹川が現在とは異なる松原内湖へと流路が
存在した事は明白で『信長公記』には芹川上流から
織田琵琶湖水軍の根本たる「大船」に用いる木材を
切り出した事が書かれており佐和山城こそは琵琶湖
の織田軍の水上軍事拠点の根本とも評価できます!
佐和山西山麓には水上の交通安全を祈る為の大洞
弁財天や石ケ崎とよばれる港の後も今も残ってる。
▼「古城」は佐和山城の事。琵琶湖を控えた城郭!


対談者「彦根人」
織豊政権の近江水辺の城の代表、水陸兼備の佐和山
城を戦国琵琶湖水上交通の枢機と要の城として見落
す事は止めて欲しい!江戸徳川幕府最大の譜代大名
井伊氏が佐山城に代わる水陸の要衝、彦根城を選定
した時には、平田山や磯山やなどが城地候補として
取沙汰されたが!?やっぱり水陸の要の城としては
徳川家康が認可した城こそ彦根山に築いた彦根城と
言う事やまたその前身である佐和山城に是非に気付
いて欲しい!のです!佐和山城は湖の城なのですよ!

織田、豊臣、徳川
織ー豊ー徳の政権の流をも歴史大観して頂きたい!
そうする事によって小江戸彦根の街や国宝彦根城
が今後世界遺産として光彩を放って行く道がある!

長谷川
 解りました!あなたの論説には彦根愛!佐和山愛
だけには留まらない、歴史を本当に冷静に大観する
歴史の深層や真意を看破する優れた本物の慧眼が備
わっている事に私は謹んで敬服を致します。私が常
日頃から探している歴史人とは歴史テスト丸暗記の
型の人ではなく、深く慎重に歴史を洞察する人です。

対談者「彦根人」
 そりや、そうですよ!こちとら、生まれも育ちの
彦根犬上の生粋の湖東に暮す歴史愛好家です!こん
な初歩的な事を、知らないで?どうするのです!?
佐和山内湖松原内湖を認識して水城佐和山城認識!

長谷川
まあまあ、御冷静に!歴史解釈とは冷静謙虚なもの!
令和2年9月19日激戦の陣城/大岩山砦、岩崎山砦見学。




コメント
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