愛知の古墳 滋賀の古墳 小牧長久手合戦 賎ヶ岳合戦
◆残念な遺跡の消失 余呉町 狐塚 柴田勝家陣
遺跡は消失する前に見ておくのが鉄則である現代
社会において開発とともに常に遺跡は消失して行く
もの虎御前山城の丹羽長秀陣にも、かって土塁堀切
は存在し見事にものだった。賤ケ岳合戦においても
柴田勝家の狐塚跡は消失してしまった、また中之郷
に存在した笠上城や東野氏の居館「東野館」も消失
しているやはり、遺跡とは消失する前に見ておくの
が鉄則であろう。
◆古戦場と古墳
古戦場と古墳には成立時期に関係なく相関関係が
存在する。それは古墳が築造された立地とは平野を
俯瞰でき戦況把握可能な展望に、優れた地理的条件
に本陣や古墳を権力者が設営する時代を超えた普遍
的な地理的要因因子が存在するからであろう。
◆姉川合戦 元亀元年(1570)6月28日
浅井朝倉連合軍VS織田徳川連合軍
姉川合戦の場合浅井方は大依山古墳群に陣を設定し
ている。織田方の本陣は龍が鼻で信長と家康が会談
している。勿論この古墳こそ姉川古戦場を一望可能
な長浜市最大級の前方後円墳「茶臼山古墳」である。
▲富士塚古墳後円部
◆小牧長久手合戦 、天正12年(1584年)
秀吉VS徳川家康織田信雄連合軍が戦った小牧長久手
の合戦では愛知県江南市の富士塚古墳で家康と信雄が
敵方の秀吉方の陣営を望見したと伝承されていて余呉
城郭研究会の田畑氏と宮本さんは、富士塚古墳の形状
を現地視察に訪れている。
▼富士塚古墳前方部
◆古墳に陣取る戦国武将
関東忍城攻め天正 18年( 1590年 )の石田三成の
拠点も古墳だ。山崎合戦天正10年1580年の明智光
秀の本陣も古墳である。有名な大阪夏冬の合戦に
おいても茶臼山(古墳?)が両軍の陣営の拠点になっ
ている。
◆賤ケ岳合戦の古墳陣地利用
1583年天正11年の柴田勝家と羽柴秀吉の北陸織田
軍団と近畿織田軍団が相互に陣城を構築して長期戦
を展開させた賤ケ岳合戦でも秀吉は茶臼山に一時的
に陣を敷いている。これは遺跡名称で言うと穂崎谷
古墳であり巨大な茶臼型の円墳と前方後円墳であり
明日令和2年9月19日土曜日に茶臼山陣/穂崎谷古墳
、賤ケ岳城、大岩山城、岩崎山城を詳しく現地見学
する見学会が開催される。
★御案内★賤ケ岳城/大岩山城/岩崎山城見学会
講師 歴史城郭研究家 長谷川博美
①令和2年西暦2020年9月19日土曜日
②集合場所
電車の人 JR北陸線余呉駅10時10分
自家用車 余呉観光館前無料駐車場10時
③参加費
2500円/弁当/レジュメ資料
500円/賎ケ岳リフト交通費合計3000円
④連絡先
ウッデイパル余呉城郭係様
☎ 0749ー86-4145
▼余呉城郭研究会
▼余呉城郭研究会
▼余呉城郭研究会
▼関森グループ様