松永久秀 多門城のビイスタ工法
◆長谷川
大和に存在した多聞城について
髙田徹氏『奈良中世城郭事典』
を是非参考にして下さい。
◆質問者
大和多門城は公家が見物した
記録があると聞いていますが?
◆長谷川
京都の吉田『兼右卿記』にも
「華麗さに目を奪われた」と
『家久君上京日記』には「多聞
城内から大和が一望できた」な
ど書簡の末尾に「日本全国より
これを見るために来る」とあり
軍事機密性よりも城郭としての
美しさ「見栄え」当然の事なか
ららビイスタ工法が多門城に存
在した可能性は否定ではません。
宣教師ルイス、アルメイダなど
も多門城の美観を記録してます。
この様な扇型のビイスタ工法用
い多門城の美観を一層高めたと
私は推測しております。
複数のビイスタ工法や方円
を交えた縄張だと想像して
おります。
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