半円形の海防ビイスタ
◆一般者
長谷川先生の城郭ビイスタ論
が日本中で大変な話題になっ
てます。中には令和の新しい
幾何学城郭論として是非とも
我が町主催の演壇に招きたい
という意見が飛び交ってます。
◆長谷川
過分の賞賛はお控え下さい
私のブログを読んでおられ
る人員は一人20人と少なく
城郭ビイスタ動画が予想に
反して4500人の視聴がある
事に自分自身困惑し驚いて
おります他の動画は全く視
聴されておらず全く奇妙な
な現象の意味が解りません
今回は海岸に突き出した半
円形施設のビイスタ工法を
検討してみたいと思います
先ず分度器は古今東西共通
の角度計測装置と言えます。
▼弧度法 角度割り算の数学
▼中国古代 弧田図
▼分度器は西欧の城も使っている
▼コンパスの起源 方円の基礎 円弧 直角
▼織田信長 近江安土城 ビイスタ工法
この図にはない複数のビイスタも存在
▼安土城 天主台ビイスタ工法
あの天守台も測量され作られた
▼織部焼の団扇 墨壺 水引
武家茶人古田織部の象形は意味深
▼日本の検地の為の測量機具 ▼注目
コンパスを漢字で書くと根発子『和漢三才』
『 和漢三才図会 』(わかんさん
さいずえ)は、 寺島良安 により
江戸時代 中期に編纂された 日本
の 類書 ( 百科事典 ) [1] 。
正徳 2年( 1712年 )成立。
▼近江国 膳所城の幾何学
築城家藤堂高虎の縄張だと
されるが琵琶湖畔に半円を
描くようなグランドプラン
水ヒネリを用いた縄張です
▼長崎出島のビイスタ工法
長崎出島は江戸幕府により
1634年寛永11年~1636年
にかけポルトガル人を管理
する為作られた設計は日本
人がオランダ人から技術を
学んだとされる半円形施設
である。オランダは幾何学
を応用した稜堡式城郭形式
が発達した国で日本の幕末
築城術「五稜郭」等などに
も強い影響を及ぼしている
所謂『蘭学』の流れなのか?
模索研究する必要もあるか?
◆小浜藩「若狭国」
川崎台場は1854年(安政元年)
小浜藩が川崎町の重田卯右衛門
に命じて作らせたものである。
川崎台場は扇型半円ビイスタ
で設計された幕末台場「砲台」
である。▼川崎 台場図
◆小浜藩「若狭国」
▼松ケ崎台場
18世紀後半から日本近海に異国船
対策の為に江戸幕府 の命を受けた
小浜藩が小浜湾口の当地に築いた
のが松ヶ瀬台場で嘉永7年(1854)
の酒井家の史料に 当台場記録あり
上図は半円形西洋式を成す2号台場
これも扇型半円ビイスタ工法です。
◆宮津藩台場
安政3年(1856)9月12日、
丹後宮津城外島崎に砲台築造
この台場も半円形ビイスタ!
砲身の左右には陵堡の形状!
◆鳥取藩 赤崎台場
文久3(1863)年 西洋式
城塞プランが採用された
いわゆるコンパス測量だ
▼赤崎台場のビイスタ工法
◆鳥取藩由良台場ビイスタ工法
堡塁は半円形でないが明らかに
設計腺はビイスタ工法そのものだ
設計者の武信潤太郎は、嘉永5年
(1852年)翻訳出版の『海岸備要』
(オランダ人ゲルリット・ハンゲン
トルレンの兵学書を長崎通詞・本木
正栄が翻訳、兵学者・布川通璞が校訂
を行なったもの)を参考に、由良台場、
赤崎台場を設計した。嘉永6年(1853年
)に設計、翌年に完成させた砲台遺跡