城郭 長谷川博美 基本記録

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半円形の海防ビイスタ

2022-11-26 18:06:55 | 規矩術、ビイスタ工法、城郭平面幾何学、

半円形の海防ビイスタ

◆一般者

長谷川先生の城郭ビイスタ論

が日本中で大変な話題になっ

てます。中には令和の新し

幾何学城郭論として是非とも

我が町主催の演壇に招きたい

という意見が飛び交ってます。

◆長谷川

過分の賞賛はお控え下さい

私のブログを読んでおられ

る人員は一人20人と少なく

城郭ビイスタ動画が予想に

反して4500人の視聴がある

事に自分自身困惑し驚いて

ります他の動画は全く

聴されておらず全く奇妙な

な現象の意味が解りません

今回は海岸に突き出した半

円形施設のビイスタ工法

検討してみたいと思いま

先ず分度器は古今東西共通

の角度計測装置と言えます。

▼弧度法    角度割り算の数学

▼中国古代 弧田図 

▼分度器は西欧の城も使っている

▼コンパスの起源 方円の基礎 円弧 直角

 

▼織田信長 近江安土城 ビイスタ工法

 この図にはない複数のビイスタも存在

▼安土城 天主台ビイスタ工法

あの天守台も測量され作られた

 

▼織部焼の団扇 墨壺 水引

武家茶人古田織部の象形は意味深

▼日本の検地の為の測量機具   ▼注目

コンパスを漢字で書くと根発子『和漢三才』

『 和漢三才図会 』(わかんさん

さいずえ)は、 寺島良安 により

江戸時代 中期に編纂された 日本

の 類書 ( 百科事典 ) [1] 。

正徳 2年( 1712年 )成立。

▼近江国 膳所城の幾何学

築城家藤堂高虎の縄張だと

されるが琵琶湖畔に半円を

描くようなグランドプラン

水ヒネリを用いた縄張です

▼長崎出島のビイスタ工法

長崎出島は江戸幕府により

1634年寛永11年~1636年

にかけポルトガル人を管理

する為作られた設計は日本

人がオランダ人から技術を

学んだとされる半円形施設

である。オランダは幾何学

を応用した稜堡式城郭形式

が発達した国で日本の幕末

築城術「五稜郭」等などに

も強い影響を及ぼしている

所謂『蘭学』の流れなのか?

模索研究する必要もあるか?

 

◆小浜藩「若狭国」

川崎台場は1854年(安政元年)

小浜藩が川崎町の重田卯右衛門

に命じて作らせたものである。

川崎台場は扇型半円ビイスタ

で設計された幕末台場「砲台」

である。▼川崎 台場図

◆小浜藩「若狭国」

▼松ケ崎台場

18世紀後半から日本近海に異国船

対策の為に江戸幕府 の命を受けた

小浜藩が小浜湾口の当地に築いた

のが松ヶ瀬台場で嘉永7年(1854)

の酒井家の史料に 当台場記録あり

上図は半円形西洋式を成す2号台場 

これも扇型半円ビイスタ工法です。

 

◆宮津藩台場

安政3年(1856)9月12日、

丹後宮津城外島崎に砲台築造

この台場も半円形ビイスタ!

砲身の左右には陵堡の形状!

◆鳥取藩 赤崎台場

文久3(1863)年 西洋式

城塞プランが採用された

いわゆるコンパス測量だ

▼赤崎台場のビイスタ工法

◆鳥取藩由良台場ビイスタ工法

堡塁は半円形でないが明らかに

設計腺はビイスタ工法そのものだ

設計者の武信潤太郎は、嘉永5年

(1852年)翻訳出版の『海岸備要』

(オランダ人ゲルリット・ハンゲン

トルレンの兵学書を長崎通詞・本木

正栄が翻訳、兵学者・布川通璞が校訂

を行なったもの)を参考に、由良台場、

赤崎台場を設計した。嘉永6年(1853年

)に設計、翌年に完成させた砲台遺跡

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (言霊)
2022-11-24 08:40:21
スゴイ理論が展開されていて驚愕致します。日本の城郭研究家でこれだけの解説する人材を未だ聞いた事がありません。
返信する
Unknown (長谷川博美)
2022-11-24 13:54:21
言霊様御声援コメントを賜り感謝致します。
返信する

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