◆初めてブログを見た人
天下人ま信長や秀吉の城の構図が存在する事
を初めて知り仰天してます!竹生島には千度
行っている。安土城にも千度行ってる。でも
こんな大切な城郭ビイスタ論があるなどとは
夢にも思わなかった彗星の様な城郭研究者だ!
◆一般者
滋賀米原の長谷川先生は令和社会に彗星の如く
現れた戦前戦後を通して城郭研究家がなし得な
かった城郭ビイスタ論がたいへんな話題です!
◆滋賀人
長谷川さんは1980年代から滋賀で知る人ぞ知る
存在の城郭研究家として古豪の先生として認識
されています。特に城郭縄張図のその領域とは
神の領域と!さえ言う城郭研究家さんもいます。
◆米原人
滋賀の人々にとり先生の城郭の講座の話題として
身近な例として竹生島と城郭に関して講座を展開
して頂ければ湖北の人々の身近な話題になります。
◆対談者
として竹生島権現を復興している。この際復興された
のが現・宝厳寺の唐門・観音堂・渡り廊下、その渡り
廊下と繋がっている現・都久夫須麻神社本殿である
現・当社本殿は伏見城の日暮御殿を移築したもの」
とウイッキペデイアには掲載されていますよ!
◆城郭愛好家様
竹生島と城郭の話題を出すなどは、もう語り尽され
ていて今更竹生島と城郭の話題など平凡な話題です。
織田信長の天正安土城のビイスタ工法の方が衝撃的!
▼安土城ビイスタ工法論 長谷川博美
▼安土城 伝前田利家邸宅 ビイスタ工法 長谷川
◆対談者
竹生島の唐門、渡り廊下は「城郭」の遺構でしよ?
それなら、城郭ビイスタ工法が使われている可能性
があると思います。浅井氏淀殿が普請奉行片桐且元
に命じ、浅井氏の弁財天信仰を天下に喧伝せんが為
の建築物なら安土城や肥前名護屋城にも匹敵すべく
土木建築の秘術を尽くして建設していると思います
そんなの宝厳寺の唐門とは安土桃山文化を代表する
高い建築技術の粋を駆使した天下の建築敷遺構です。
▼太閤秀吉肥前名護屋城 ビイスタ工法 長谷川
▼諏訪原城ビイスタ工法論 長谷川博美
◆長谷川
困りましたね?比較的面積の狭い竹生島で
片桐且元ら普請奉行の技術集団達がはたし
て竹生島にビイスタ工法を展開できたか?
▼国宝唐門/重文宝厳寺渡廊下 国宝都久夫須麻神社本殿図
◆対談者
長谷川先生は何事も小局的な性格過ぎます。
ビイスタ工法論という稀代の才覚があるの
に目立たず。地味で素朴な城郭研究の姿勢
だけでは残念な事です。先生は一般と異な
る視点や観点を持っている学者だからこそ
新しい発見して現地城郭遺跡解説も本格派。
◆長谷川
いや本当に困りました。竹生島宝厳寺廊下
橋自体は日本の伝統文化で言う所の橋掛と
いう架橋建築物に相当致します。日本各地
の室町以来の能楽舞台も「橋掛かかり」の
手法を用いています。能舞台にも橋がある
◆長谷川
伝統的に2カ所の見所「見物視点」が存在してる。
◆長谷川
見所をビイスタと解釈してみましょう。
果たして竹生嶋宝厳寺渡廊下の橋掛か
りにはビイスタ工法が存在するのかと?
◆長谷川
廊下橋を含めて複数の
見晴 みはらし
見栄 みばえ
見所 みどころ
を用意周到に設計した竹生嶋宝厳寺の縄張
つまりビイスタ工法は存在すると思います。
下図は廊下橋という掛け橋自体がビイスタ
構造機軸に含まれて設計配置されています。
◆長谷川
華厳の島、幽玄の神仙思想の影響下に
ある竹生嶋にとり、また淀殿は浅井氏
4代目の子孫、豊臣秀頼は浅井亮政から
の5代目の外孫に相当し大坂豊臣氏秀頼
は浅井氏系列の重臣に位置する片桐且元
に荘厳な竹生島演出の為の堂塔伽藍配置
を用意周到設計配置していると思います。
どこから見ても荘厳神聖に甍が形成され
る様視覚的工夫ビイスタ工法施工された。
◆長谷川
竹生嶋宝厳寺を安土桃山の時代として
研究して行く場合はその時代の歴史的
建造物のビイスタ工法を再認識再研究
すべき事かと私は慎ましく思います。
失われた日本の土木建築史の展望論
ビイスタ工法論を認識すべき事です。
▼羽柴秀吉 太閤ヶ平城のビイスタ
▼秀吉の伏見桃山城