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大友氏上原原館のビイスタ 守護職の城館の考察

2024-07-28 09:38:49 | 九州の城 ビイスタ工法

大友氏上原原館のビイスタ

守護職の城館の考察

◆長谷川

米原市に住まいするアマチュア

城郭研究家の長谷川と申し上げ

ます。米原市近江地区の能登瀬

城は堀氏の居城で重複ビイスタ

であると解説しても受講者様の

反応]むなしく講師として消沈を

します。自信を全くなくします。

▼米原市 能登瀬城ビイスタ

◆有識層

私長谷川氏の解説を非常に高度

な令和の時代に相応しい未来型

の卓越研究論者であると認識を

致します。是非傾聴すべき学術。

 

◆熱田様

私も同感ですね。元来尾張守護

職斯波氏の守護所であった清須

城のビイスタをこの様に鮮やか

に解説された城郭研究家は本邦

におい稀有の存在です東海地域

でこんな解説する先生まずない

私滋賀に行って仰天しました!

 

▼尾張国 清州城ビイスタ

◆一般様

長谷川先生と越前一条谷遺跡の

朝倉義景遺跡を見学した時先生

はこんなふうに二ヵ所から放射

状に測量されていますと解説を

されて私は飛び上がるほど仰天

こんな解説聞いた事なく新鮮よ!

 

◆長谷川

さて現地城郭講師を解雇され全国

にその恥じをサラした暗愚な私で

すが、いつまでもクヨクヨ悩んで

も仕方ないので個人研究続けます

美作国守護所とされる院庄館の地

割からは守護館のビイスタ測量的

縄張が読み取れると思われます。

院庄館跡とその周辺に残る地割り ※『史跡院庄館跡発掘調査報告』 

津山市教育委員会 1974年より引用、赤線を長谷川が加筆

◆一般様

すごい解説ですよね!こんなに

卓越した城郭先生なのに解雇?

 

◆長谷川

九州の大友宗麟を知ってますか

義鎮「よししげ」と呼ばれた人

で1560年代に、豊後、豊前、筑前、

筑後、肥前、肥後の九州北部6か国

治め、室町幕府から守護や九州

探題に補任されるなど栄華を極め

文化人キリシタン大名として有名

 

◆対談者

私は大友氏の城館が城郭ビイスタ

による設計縄張なのか知りたいで

す。何故かと言うと長谷川先生の

城郭ビイスタ論は日本全国の城郭

に適応しうる令和の卓越理論とし

近年大きな話題になっている事!

 

◆長谷川

今回は大友氏の政庁というよりも

守護館としての上原館を検討して

みましよう。「うえのはる館」

◆長谷川

典型的な重複ビイスタ工法です。

◆ウイッキペデイアより以下引用

 

上原上原館(うえのはるやかた)は、大分県大分市

豊後国府内)の上野丘陵にあった中世の大友氏の館。

大分市顕徳町付近にあった館とは別の館である[1]

別名、西山城2014年(平成26年)10月6日に一部が

史跡大友氏遺跡に追加指定されている[2][3]。館は、

上野丘陵の北部にあった館で、鎌倉時代

後期に大友氏泰によって築かれたとする説のほか、

建築年代については諸説がある。館跡は東西130

メートル、南北156メートルで[4]、現在は土塁

の跡が残っており[1]、往時は高さ約2メートル、

幅約8メートルの土塁を四方に巡らせ、その外側には

一部に堀を設けていたと考えられている。上原館は

1597年慶長2年)に福原直高府内城を築いた

際に廃されたとされる。

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