天佑ある人を看破する。善とは一体何なのか?
天佑とは天の神が道徳と慈悲に溢れた
思いやりのある。嘘偽りのない素晴ら
しく良い政治家や人物を引き上げる事
を言う。また大衆に喜びや幸福をもた
さんとする大志ある人を天が認めた時
に貴殿には天佑あり、道に政道を正し
し立志の気魂あり瞳に輝きあり麒麟の
如くこの世を駆けて、龍馬の如く難関
千里万里の道を疾駆するだけの器量あ
りと賞賛される人であろう。世の中に
は才ある人が臥し凡俗が世衆を翻弄す
る事が常である。我々大衆は何時の世
も冷静で民を幸福へ導く天佑ある仁士
を洞察し選択する事が幸福への糸口だ。
人を見かけや姿だけで、意図的に作ら
れた世評だけで、判断し、これに安易
に迎合し、忖度する事は時に正道を見
失う事が人間の住む集団社会には存在
する。善とは何か?時に冷静に観察す
る事は歴史を学ぶ人は冷静さやが必要
だ嘘実を述べ並べる不実の人を見たら
もうその人は政治や歴史を語る資質の
ない人間である事を、看破洞察できる
だけの冷静な、人間で、いたいものだ。
一匹のネズミが港の岸壁の下の海へと
走り出したら千匹万匹が先頭集団へと
続き次々に溺死する事は集団心理社会
の常である。いかに賢者のネズミ一匹
が止まれ!冷静に自らの集団や団体を
客観的に洞察せよと言ったとて聞く耳
持たないのが、大衆心理や集団迎合
心理の根本であり恐ろしさでもある。
一匹の愚かなネズミを信用するのも
社会の愚かさ、一匹の賢者のネズミ
を、鼻から嘲笑するのも浮世の常だ。
吉川英治の小説『宮本武蔵』の結びの一節
「波騒(なみざい)は世の常である。 波にま
かせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は躍る。
けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。
水のふかさを。」
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