城郭 長谷川博美 基本記録

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清正の築城術 熊本佐敷城の築城秘術

2023-02-26 19:22:25 | 九州の城 ビイスタ工法
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佐敷城(近世)
熊本県
別名 佐敷花岡城
城郭構造 山城
築城主 加藤清正
築城年 1588年天正16年)
主な改修者 加藤清正
主な城主 加藤重次
廃城年 1615年元和元年)
遺構 曲輪、石垣
指定文化財 国の史跡
再建造物 なし

◆学識経験者

長谷川先生の城郭ビイスタ論

は非常に学術性が高く 近代

明治大正昭和平成日本の城郭

構造に 放射状の グリッド

つまり扇の形の如き測量文化

が存在した事を研究検討した

学者は皆無です。その様な意

味で先生は100年に一度出る

か出ないかの優れた研究家と

思います。おそら城郭幾何学

論を解説されたら長谷川先生

は海内第一人者たる研究者と

1980年代から 専門家筋では

言われた研究家の中の研究家

 

▼佐和山城見学会

▼磯山城見学会

◆世話人様

次回の多和田山城は2城の山城

からなり石灰岩の奇岩乱立する

特異な石積みの城郭遺跡として

これは必見城郭と断言致します。

◆世話人様

長谷川先生への学門的高評価

は困惑します我々平凡な市民

にとり身近で気さくな性格の

先生の城郭理論が崇高にして

高度なものと噂が一般市民様

に広がったら善良な市民様達

は長谷川先生が高度で難解な

学問として忌避されます我々

が長谷川先生から知らない間

に学べる機会が皆無になるわ!

ようやく長い年月を経て先生

が長浜や米原の講座や講演に

登場される機会恵まれたのに

我々裏方の支持者の長年の苦

労は水泡に帰します。我々は

弱小民間学で弱者の立場です。

 

◆学識経験者

長谷川先生の資質を洞察する

だけの見識をお持ちの諸賢様

には 改めて敬意を払います。

しかし私は織豊系城郭たる

熊本の佐敷城の城郭ビイスタ

を長谷川学兄から学びたい!

私は学問的見地の希望です。

ウイッキペデイアを読むと

安土城の縄張奉行は羽柴

秀吉とされます。秀吉家臣

の加藤は清正の縄張を知り

たいつまり安土城と佐敷の

城は類似しているのかです。

◆反論者

ふん!城郭ビイスタ論などは

認めません!絶対に反対です!

 

◆世話人様

現実を受け止める事

城址こそが先生です

ないと誰かが言った

ら鵜呑みにする事は

学問ではありません。

 

◆世話人様

しかし城郭ビイスタ論動画は

5800人の日本中の人々が見て

いるこの現実を冷静に評価!

城郭ビイスタ論は日本の城

の縄張「設計」の基本です。

我々日本人は和の心日本の

城の根本城郭ビイスタ論を

無視しては意味がない事!

▼織田信長 安土城ビイスタ

◆長谷川

信長の安土城にもビイスタ

がある熊本県葦北郡芦北町

の人々も佐敷城跡にビイスタ

がある事を知られたら勇気や

元気を感じられる良い機会だ

と思い投稿致します。芦北町

様への応援です。さて佐敷城

流石は加藤清正見事な扇型

のビイスタ構造の城郭縄張!

 

◆みんな

すごいな!やっぱり私達の城郭

の講師長谷川先生の解説です!

 

◆質問者

佐敷城の北壁面にビイスタ工法

が存在致しますか?

 

◆長谷川

見事な北壁面のビイスタ工法

だと言う事になります完璧!

▼佐敷城北面ビイスタ工法

◆学識経験者

長谷川先生の城郭ビイスタ論

は令和に突如出現した訳では

ありません。滋賀に城郭親子

鷹と言われる長谷川銀蔵父子

の学問は高く評価されながら

も長く潜伏し隠されていた訳

で此れを一部有志の方が必死

に興さんとした米原の有志達

が米原『城歩会』と言えます。

この会順調に進捗すると思わ

れましたがバス研修旅行4回

を経てバス使用が公的に禁止

され『城歩会』は衰微した訳

です。『城歩会』のうごきや

活動は長谷川先生が余呉城郭

の講師にへと行かれるに従い

『余呉城郭研究会』として残

つた訳です。本来ならば東海

近畿北陸の要衝の米原にこそ

米原『城歩会』が冠たる主導

たる会派だと私は考えてます。

 

◆長谷川

御声援を賜り感謝致しますが

私のブログ読者はゼロな訳で

米原『城歩会』も復活不能で

す。何故ならばマイクロバス

を我々持ち合わせていません

旅行業で決してありませんし

要するに不運な会が『城歩会』

 

◆長谷川

佐敷城のビイスタ解説戻ります。

南から北に向けても美しい形状

のビイスタ工法が読取れます。

◆男性(神奈川出身)

これはすごいね!見事なビイスタ

いや!これを解説出来る力量資質

が長谷川先生にある事自体に驚く

先生は平凡な城案内の先生とは訳

が違う!そこに俺は気付いたんだ。

 

◆質問者「なかま」

先生!高度な縄張の城にはWビイ

スタが存在すると聞いてます九州

佐敷城加藤清正の城でワンランク

上の優れた織豊城郭と感じますが?

 

◆長谷川

センスの良い質問をされますね!

あなたの御指摘のとおりこの城

にWビイスタが数か所存在する

◆質問者

佐敷城の北虎口はどの様に

縄張してますかまさかビイ

スタ工法じではあるまと!

 

◆長谷川

そのまさかが存在するのが

城郭遺跡の深淵縄張の深淵

と言えます。二の丸の枡形

も北虎口クランクもビイスタ

起点Aから縄張しB北虎口へ

C二ノ丸枡形へと縄張してる。

◆みんな

すごなあ!まるで長谷川先生は

400年以上前の世界から令和の

現代に来た城郭縄張の専門家

や軍学者の様に感じ恐ろしい。

◆質問者

長谷川先生作成の城郭ビイスタ

一覧表にある中央型ビイスタと

小ビイスタ工法は佐敷城に存在

致しますか?

 

◆長谷川

赤Aが小ビイスタ

青Bが城のへそに

相当する中央ビイスタ工法です。

 

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