佐敷城(近世) (熊本県) |
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別名 | 佐敷花岡城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 加藤清正 |
築城年 | 1588年(天正16年) |
主な改修者 | 加藤清正 |
主な城主 | 加藤重次 |
廃城年 | 1615年(元和元年) |
遺構 | 曲輪、石垣 |
指定文化財 | 国の史跡 |
再建造物 | なし |
◆学識経験者
長谷川先生の城郭ビイスタ論
は非常に学術性が高く 近代
明治大正昭和平成日本の城郭
構造に 放射状の グリッド
つまり扇の形の如き測量文化
が存在した事を研究検討した
学者は皆無です。その様な意
味で先生は100年に一度出る
か出ないかの優れた研究家と
思います。おそら城郭幾何学
論を解説されたら長谷川先生
は海内第一人者たる研究者と
1980年代から 専門家筋では
言われた研究家の中の研究家
▼佐和山城見学会
▼磯山城見学会
◆世話人様
次回の多和田山城は2城の山城
からなり石灰岩の奇岩乱立する
特異な石積みの城郭遺跡として
これは必見城郭と断言致します。
◆世話人様
長谷川先生への学門的高評価
は困惑します我々平凡な市民
にとり身近で気さくな性格の
先生の城郭理論が崇高にして
高度なものと噂が一般市民様
に広がったら善良な市民様達
は長谷川先生が高度で難解な
学問として忌避されます我々
が長谷川先生から知らない間
に学べる機会が皆無になるわ!
ようやく長い年月を経て先生
が長浜や米原の講座や講演に
登場される機会恵まれたのに
我々裏方の支持者の長年の苦
労は水泡に帰します。我々は
弱小民間学で弱者の立場です。
◆学識経験者
長谷川先生の資質を洞察する
だけの見識をお持ちの諸賢様
には 改めて敬意を払います。
しかし私は織豊系城郭たる
熊本の佐敷城の城郭ビイスタ
を長谷川学兄から学びたい!
私は学問的見地の希望です。
ウイッキペデイアを読むと
安土城の縄張奉行は羽柴
秀吉とされます。秀吉家臣
の加藤は清正の縄張を知り
たいつまり安土城と佐敷の
城は類似しているのかです。
◆反論者
ふん!城郭ビイスタ論などは
認めません!絶対に反対です!
◆世話人様
現実を受け止める事
城址こそが先生です
ないと誰かが言った
ら鵜呑みにする事は
学問ではありません。
◆世話人様
しかし城郭ビイスタ論動画は
5800人の日本中の人々が見て
いるこの現実を冷静に評価!
城郭ビイスタ論は日本の城
の縄張「設計」の基本です。
我々日本人は和の心日本の
城の根本城郭ビイスタ論を
無視しては意味がない事!
▼織田信長 安土城ビイスタ
◆長谷川
信長の安土城にもビイスタ
がある熊本県葦北郡芦北町
の人々も佐敷城跡にビイスタ
がある事を知られたら勇気や
元気を感じられる良い機会だ
と思い投稿致します。芦北町
様への応援です。さて佐敷城
流石は加藤清正見事な扇型
のビイスタ構造の城郭縄張!
◆みんな
すごいな!やっぱり私達の城郭
の講師長谷川先生の解説です!
◆質問者
佐敷城の北壁面にビイスタ工法
が存在致しますか?
◆長谷川
見事な北壁面のビイスタ工法
だと言う事になります完璧!
▼佐敷城北面ビイスタ工法
◆学識経験者
長谷川先生の城郭ビイスタ論
は令和に突如出現した訳では
ありません。滋賀に城郭親子
鷹と言われる長谷川銀蔵父子
の学問は高く評価されながら
も長く潜伏し隠されていた訳
で此れを一部有志の方が必死
に興さんとした米原の有志達
が米原『城歩会』と言えます。
この会順調に進捗すると思わ
れましたがバス研修旅行4回
を経てバス使用が公的に禁止
され『城歩会』は衰微した訳
です。『城歩会』のうごきや
活動は長谷川先生が余呉城郭
の講師にへと行かれるに従い
『余呉城郭研究会』として残
つた訳です。本来ならば東海
近畿北陸の要衝の米原にこそ
米原『城歩会』が冠たる主導
たる会派だと私は考えてます。
◆長谷川
御声援を賜り感謝致しますが
私のブログ読者はゼロな訳で
米原『城歩会』も復活不能で
す。何故ならばマイクロバス
を我々持ち合わせていません
旅行業で決してありませんし
要するに不運な会が『城歩会』
◆長谷川
佐敷城のビイスタ解説戻ります。
南から北に向けても美しい形状
のビイスタ工法が読取れます。
◆男性(神奈川出身)
これはすごいね!見事なビイスタ
いや!これを解説出来る力量資質
が長谷川先生にある事自体に驚く
先生は平凡な城案内の先生とは訳
が違う!そこに俺は気付いたんだ。
◆質問者「なかま」
先生!高度な縄張の城にはWビイ
スタが存在すると聞いてます九州
佐敷城加藤清正の城でワンランク
上の優れた織豊城郭と感じますが?
◆長谷川
センスの良い質問をされますね!
あなたの御指摘のとおりこの城
にWビイスタが数か所存在する
◆質問者
佐敷城の北虎口はどの様に
縄張してますかまさかビイ
スタ工法じではあるまと!
◆長谷川
そのまさかが存在するのが
城郭遺跡の深淵縄張の深淵
と言えます。二の丸の枡形
も北虎口クランクもビイスタ
起点Aから縄張しB北虎口へ
C二ノ丸枡形へと縄張してる。
◆みんな
すごなあ!まるで長谷川先生は
400年以上前の世界から令和の
現代に来た城郭縄張の専門家
や軍学者の様に感じ恐ろしい。
◆質問者
長谷川先生作成の城郭ビイスタ
一覧表にある中央型ビイスタと
小ビイスタ工法は佐敷城に存在
致しますか?
◆長谷川
赤Aが小ビイスタ
青Bが城のへそに
相当する中央ビイスタ工法です。
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