令和 新時代の城郭論はこれだ!!
城郭ビイスタ論
◆質問者1
何故?長浜下坂屋敷/下坂城が正方形に出来
ていないのですか?平城ならば絶対正方形
に出来ますよ。長谷川先生御教示願います。
◆長谷川
投稿を最後まで慎重に読めば解ると思う。
◆一般者
城郭ビイスタ論動画の視聴数既に2500人
超えていますね!これは異常な人数です!
やはり正論は着実に地道に浸透して行く!
◆質問者
苅安尾城にビイスタ工法が存在しますか?
◆長谷川
文献『信長公記』の元亀元年1570年条に
「浅井備前越前衆を呼越し、たけくらべ・
かりやす両所に要害を構へ候」とあります。
◆質問者
私が質問しているのは伊吹地域の苅安尾城
にビイスタ工法が存在するのかと言う事?
◆長谷川
結論から言いますと複数のビイスタ工法が
確実に北に向けて型放射状に存在致します。
連続竪堀や竪堀の長さ尺もビイスタ工法の
原則に従って確実に築城普請をしています。
▼苅安尾城 楔形放射ビイスタ工法
◆長谷川
苅安尾城は扇形ビイスタ工法も側面に存在。
竪堀群も扇形ビイスタ工法を駆使してます。
青色ビイスタ腺は各郭群の形状を形成する。
◆質問者
上平方面から見た城郭ビイスタ線も確認が
出来ますか?
◆長谷川
雄大な黄色表示のビイスタ腺が読取れ確認
する事が可能で、Ⅵ郭もビイスタ設計です。
Ⅲ郭の竪堀も黄色ビイスタ腺に従属してる。
Ⅰ本丸は見ての通りビイスタ工法そのもの。
▼上平城の竪堀群の放射状ビイスタ工法
◆質問者
北近江守護職京極氏の上平館にビイスタ工法
は存在しますか?
◆長谷川
存在します。泉水や参道や寺院としての地割
区画も赤青腺のビイスタ工法測量で作ってる。
隠岐屋敷の土塁欠損部もビイスタの影響下に
あります。それは伊吹山資料館の立体模型で
も理解できると思います。
◆対談者
素晴らしい研究です正に本物の城郭研究家!
◆質問者
上寺城下の街割りの内堀外堀の縄張りとは?
◆長谷川
北近江守護職の京極氏の街割りはビイスタ工法
を用いて内堀、外堀を見事に配分配列してます。
◆長谷川
家臣屋敷や町屋まで繊細にビイスタ工法を
用いて用意周到に縄張されている様子です。
◆長谷川
壮大なビイスタ工法を用いて守護大名として
京極氏の上平寺館の城下町割りを施工します。
◆長谷川
京極氏の山の拠点が上平城ならば
上坂氏にその管理を委託させた城
京極氏の湖の拠点こそ今浜城です。
やがて長浜城として整えられます。
今浜城を考える要はビイスタ工法。
◆質問者
長谷川先生の卓越した城郭研究視点に驚き
ます!さて苅安尾城は元来京極氏の城郭で
す。浅井氏の小谷京極つふら「京極丸」の
縄張にビイスタ工法が駆使されてますか?
◆長谷川
D地点から京極丸を中軸とする、楔形城郭
ビイスタ工法が明瞭明確に確認可能です!
◆質問者
京極氏の臣下浅井氏の城たる本丸、大広間、
黒鉄門、馬屋、茶屋、番所にビイスタ工法
が確実に存在しますか?
◆長谷川
下図赤色写真でも明確に小谷城大広間を
中軸とする典型的楔型城郭ビイスタ工法
が存在し柳馬場赤尾屋敷もビイスタ工法
のビイスタ腺に従属する縄張は明確です。
◆一般者
長谷川先生の驚異的な城郭ビイスタ論に驚く
やはり本格派研究家の衝撃的視点が冴える!
◆質問者
小谷詰城の嶽城にビイスタ工法は存在します?
◆長谷川
小谷城の詰めの城、大嶽「おおずく城」には
美しい典型的扇形ビイスタ工法を施工してる。
◆一般者
長谷川先生貴方は何と言う達観した研究
視点を持っ日本の屈指の城郭研究家なの?
全く新しい城郭研究手法を創出した学者!
◆長谷川
過分の御称讃対し慎み御礼を申し上げます。
が城郭研究とは元来地道な研究の継続です。
◆質問者
苅安尾城上平寺の更に高所に所在する京極氏
の詰め城、弥高に大嶽城の様な扇形ビイスタ
工法が使われていますか?
◆長谷川
複数の扇形ビイスタ工法が弥高百坊遺跡には
認める事が可能です。この城は弥高山城です。
◆質問者
小谷城下の町割りにも城郭ビイスタ工法が
採用されていますか?
◆長谷川
小谷城下の街割りにもやはり小谷市場を中心
とした複数のビイスタ工法が存在致します。
。
郡上ビイスタ、清水谷ビイスタ、小谷寺ビイスタ
◆質問者
佐々木六角氏の観音寺城下の石寺や竹林坊
等の中世の街割りビイスタ工法の採用は?
◆長谷川
複数の扇形ビイスタが駆使されております。
日本初の楽市が開催された先進的地区です。
◆質問者
佐々木六角の大観音寺城に城郭ビイスタは
存在致しますか?
◆長谷川
壮大な規模の双璧をなす巨大ビイスタが存在。
◆質問者
安土城や常楽寺の城下の街割りも都市計画
としてのビスタ工法は存在いたしますか?
◆長谷川
下豊浦を中心とした安土城城下町割りは
赤腺青線の重複形ビイスタが存在します。
特に赤線ビイスタはダイウス、シュミノザ
蓮池などの琵琶湖内湖のクリーク「水路」
と密接に整合シンクロして浦々の生活景観
を緻密に形成する一方豊浦と常楽寺の赤青
町割ビイスタ線は木村氏の常楽寺城を中心
とする中世町割が起源だと私は思います。
これらも重複型の街割りビイスタと言える。
◆質問者
安土城の中腹の羽柴邸や伝前田利家邸に
ビイスタ工法が潜在するのでしょうか?
◆長谷川
典型的扇形ビイスタ工法が読み取れます。
長谷川先生の論説には本当圧倒されます。
学芸員研究家として、衝撃を隠せません!
◆長谷川
安土山頂も整合性のある美しい
扇状城郭ビイスタ工法施工が!
◆長谷川
安土全山を包含する如く放射線状ビイスタ工法も!
◆長谷川
織田信長の近江安土城には
大手ビイスタ「表の見栄え」陸地景観
搦手ビイスタ「裏の見栄え」琵琶湖側
中芯ビイスタ「中央測量点」センター
が読取る事が可能なのです。
◆長浜市内在住者様「匿名」
主君織田信の安土城に
陸からの眺望「表ビイスタ」
湖からの眺望「裏ビイスタ」
が存在するのならば
信長の股肱の家臣たる
羽柴秀吉の長浜城にも
陸ビイスタ「陸からの眺望」
湖ビイスタ「湖からの眺望」
ビイスタ長浜城ビイスタ論
を長谷川先生なら看破可能
だと長浜市内で話題ですよ!
長谷川先生は長浜市出身です。
地元の城は地元の人が知る事!
◆長谷川
藤吉郎羽柴筑前ほどの英傑、参謀竹中半兵衛
を得て見事に方円の縄張を駆使して、長浜城
を見栄え良く普請した形跡が図から偲ばれる。
流石藤吉郎さりとてはの者!俊敏な英傑です!
▼羽柴秀吉の長浜城城郭ビイスタ論 長谷川博美
◆長谷川
藤吉郎は太閤となり肥前名護屋城を扇形
のビイスタ工法を用いて築城しています。
この城の場合本丸群と山里郭群という別
系統のビイスタ工法に属する城郭群あり。
◆長浜市民様
城郭ビイスタ論は優れた城郭論だと聞き及び
ます。長浜城以前の今浜城はビイスタ工法の
理論を応用して復元的に解明出来ますか?
◆長谷川
私には資料がなく今浜城の縄張は復元不可能
だと思います。少ない資料から今浜城の縄張
を考察してみます。これあくまで仮説推論で
先ず御家中屋敷は城郭特有の縄張の曲折を認
る内殿町の地名は城郭内に存在する地名です。
一方「北土居」は城の北側の土塁の事ですね。
仮に今浜城としましたエリアとは古殿町とも
呼称されていた場所です。クリークの形状か
ら、本丸二の丸三の丸と思われ北に対応した
整合性のある見事な幾何学「ビイスタ工法」
の縄張が読み取れます。
◆長谷川
また長浜城大手門口からのビイスタ工法
の配置も真に秀麗見事な放射状縄張です。
◆長谷川
次にクリーク水路を描いた明治期の地籍図を
参考に致しますします。
1のクリーク水堀に突き当りが存在
2のクリーク水堀に突き当りが存在
3ー4クリーク水堀に突き当り存在
右の4は城郭の入り隅に相当
上の5は城郭の横矢に相当
下の5は横矢または馬出に相当
6は筋交い道、10も筋交い道
789は曲折路と城下の要素が読み取れます。
◆長谷川
京極氏の有力家臣として上坂城を拠点とする
上坂氏が京極家から守城を委託された中世の
城郭の城郭の可能性や秀吉の湖岸の城に対し
て陸部に設定された秀吉の陸の城の可能性も
つまりは織豊系城郭の要素強く感じられます。
◆質問者
長谷川先生は滋賀湖北出身なので旧びわ町の
安養寺城などの形状にも詳しいと聞いてます。
長浜の下坂城もビイスタ工法使ってますか?
◆長谷川
中世城郭中世城館としてビイスタ工法使って
います。先ず南から扇状ビイスタを用います
。
◆長谷川
次に西からも扇状ビイスタ工法を用いてます。
下坂屋敷とは複合ビイスタ工法採用した城館。
◆一般様
いやいや!日本国にこれだけの城郭研究家
が存在した事を誰も知らなかった事に驚く!
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